【45/hundred】みのいたづらに

あはれともいふべき人は思ほえで
身のいたづらになりぬべきかな

「りょう……」

目の前の相棒は安堵を飛び越えて
すっかり脱力しきっていた。

「お前ってやつは、いったい何度
俺の寿命を縮めさせれば気が済むんだ」

死期が3年ぐらい早まったと言いたいのだろうけど
こっちなんて数年どころか
今すぐくたばっちまうところだったのだ。
ま、そうなっても別にかまいはしないが。

「確かに俺の眼からしても彼女は美人だ、
うちの妹には負けるが。だがな、撩
だからといっても
なにも彼女のためなら死んでもいいって
そういうレベルじゃないだろ?」

もっこり美人の依頼人のため毎度毎度の大立ち回り
今回は少々度が過ぎて九死に一生というところだった。
おかげで気がつきゃ周りは
パトカーのサイレンでやかましいくらいだったが
槇村の話がどこか遠くに聞こえたのは
騒音のせいだけではなかった。

依頼人のためなら生命も惜しまないっていうのが
俺の営業方針なのだが、それは
それほどまでに彼女を愛しているから
というわけではない。
まぁ確かに好きは好きさ、
あわよくば現金の代わりにもっこりで
報酬を支払ってくれないかと思うくらいに。
だが、いわゆる「たとえ火の中水の中」
――槇村にとっての妹のような
そういうレベルの『好き』ではないのだ。

極端な話、愛してもいない女のために
生命を捨てられるのか――答えはYesだ。

素面しらふの真夜中――そんなことは滅多にないが
一人きりの暗い部屋で、ふと思うことがある。
いったい何が楽しくて俺は生きているんだ?
そう考えると、生きる意味というのが全く見当たらなかった。
相棒はたった一人の妹を守るためだろうし
その恋人は都民1000万の平和と安全を守るため
だが俺にはいったい何があるというのだ。

夢もなく、希望もなく、ただ息をしているというだけ。

確かに俺は生きるか死ぬかの修羅場をくぐり続けてきた。
そこで生命を落とさなかった、それだけでも
何か意味はあるのかもしれない。
だが、神の作為はただの無作為
こんな俺より生きるに値する奴はいくらでもいる。
そして、その中の何人かを俺は葬ってきたのだ
――奴より俺の方が死ぬべきだったはずなのに。

「――ョウ、リョオ!聞いてるのか?」

あーびっくりした、まだお説教は続いていたのか。
こっちの方がよっぽど寿命が縮みそうだぜ。

「撩、頼むから自分をもっと大事にしろ
簡単に命を危険にさらすな」

当たり障りのない世間のモラルってやつは
俺にとってはまさに『種馬の耳に念仏』

「お前に死なれちゃ困るんだよ」

それまで他人事のように聞こえていた言葉が
いきなり頭の中で音高く響いた。

哀しむだけなら簡単だ。
例えば、道端に供えられた花束
そこに目を向けるとき、名も知らぬ犠牲者に
思いを馳せていることだろう。
だが次の瞬間、自分自身の待ち合わせを思い出して
足早にそこを立ち去るのかもしれない。
所詮それは他人事、
ほんの一瞬だって哀しんだことにはなる。
だが、『困る』というのは自身にとって切実な問題だ。
そいつに死なれたら、これから自分はどうすればいいんだ?
その問いは――喪失感といってもいい
生き残っている間ずっと続いていくもの。
もしかしたら誰か代わりが見つかるかもしれない
けれども、一人の人間がはたして誰か他の人間の代わりを
完璧に果たしうるものなのだろうか。

もし――目の前の相棒がある日突然いなくなっちまったら
これから俺はどうやってこの街で――

「お前に死なれちゃ俺と妹
二人して路頭に迷うことになるんだぞ!」

やつの『困る』はもっと生々しくて
だからこそより切実で。

「だからちゃんと給料払い続けてくれよ、社長どの!」

誰かが言った、今のお前は
死に場所を探し続けているんだと。
確かにそうかもしれない、生きていたくもないのに
自ら死を選ぶ勇気もないから
俺を殺してくれる誰かを探しているに過ぎない。
こんな生きている価値もない人間の生命で
真に生きるに値する誰かの生命を救うことができれば
この人生を終わらせる恰好の言い訳になる。

なぁ槇村、俺が死んでも困るのはお前だけだ。
でもお前が死んだら、少なくとも妹と冴子
この二人が困ることになる。
だから――もしものときはこの生命
お前のために捨てさせてくれよ。なぁ、頼むから。


――誰ひとり「死んだら困る」と言う人が
思いつけない 今のところは