添い遂げる覚悟

香が真剣な眼をして睨みつけているのは敵ではなかった。
冬物一掃大セール¥1,000也のショートブーツ
ちなみにここも慣れ親しんだ庭・新宿ではない
水産物、そして靴の安売りで知られる上野・アメ横
新宿周辺をはじめとする山手線西側界隈で
目ぼしいものが見つからなかったからと、
わざわざ遠征してきたのだ。
きちんとしたところにも履いていけて
なおかつ雪の日でも滑りにくいブーツという
あいつの高いハードルを、値段も含めて達成できているのは
ソールが良くてもデザインが合わない、
両方OKでも今度はサイズが無いと
どれも一長一短、なかなか見つからなかった。

だが、さすがにこれだけ靴屋がたくさんあれば
一つくらいは香のお眼鏡に適うのも置いてあるもんだ。
それでもあいつは箱をひょいと掴んで
レジに向かおうとはしなかった。
まるでシンデレラのガラスの靴のように
(女物の靴はサイズがcm表示ではないので
MだとゆるくてもLではぶかぶか、ということもある)
サイズもぴったりだというのに。

「うー、銀座に行けばもっといいのもあるかも。
それか、ここから花川戸までは近所だから……」
「銀座だったら余計高くつくだろ。
これのいったい何が不満なんだ?」

未だひとり言のようにぶつくさぼやく香の目を覚まさせねば。

「だってこれ、ジッパー付いてるんだもん」
ジッパー?

「嫌いなのよ、女物のブーツでジッパー付いてるのが。
まぁ、撩の好きな太腿まであるようなロングブーツならともかく
こういう踝までしかないようなのにも付いてるでしょ?
男物にはそんなの付いてないのに」

と言って俺の履いているブーツに視線をやる。
確かにそんなものは付いていない。

「なんか偽物くさいっていうか
子ども扱いしているようで嫌なのよね」

そういえば、香が今履いているカジュアルなデザインのブーツには
ジッパーは付いていなかった。

「絶対靴とか服とか妥協して買うと
後で後悔して結局タンスの肥やしになるんだもの」
「でもどうせ1000円だろ?とりあえず今買っておいて
後からもっといいものがあったらまた買えばいいし」
「ダメっ!それは絶対ダメっ!!」

そう半ば文字どおり噛みついてきた。

「1000円だからムダにしていいってもんじゃないわ
100円均一だったらともかく。
そうやってほとんど履いてない靴なんて
捨てられるわけないじゃない」

あーもったいない、と吐き捨てる香。
安かろう悪かろうとは言わないがこのお値段だ
少しは妥協してもいいだろうに。

「言っとくけど撩、あたしはあんたの稼ぎを
一円でも無駄にしたくないの」

まるで頭の中を見透かされたかのように
先手必勝で反論された。

「あ、撩はどうせ自分の報酬
ツケに消えるか、一晩で飲んじゃうもんね」

確かに俺たちの家計を支えるのは
俺が文字どおり命懸けで稼いだ報酬だ。
それを一銭たりとも無駄遣いしたくないという
香の心がけはありがたいのだが――

すると香は箱を掴んで、すたすたとレジに向かおうとしていた。

「いったいどういう心境の変化か?」
「やっぱり人生妥協もときには必要よね」

と冷めた口調ですっぱり言い切る。

「でも、他にいいのがあったからって
これを捨てて買い替えたりはしない。
何があってもぼろぼろになるまでこれを使い切るわ。
だから撩も証人になって」
「証人って、そんな大げさな」
「あたしがもし目移りしそうになったら
『あのときこう言ってただろ』って思い出させてほしいの」

香の眼は真剣そのものだった。
たとえ自分の理想どおりではない、妥協の結果だとしても
自分が選んだ以上それを全うすると。
どうせきっとボロボロになって、ソールが剥がれたりしても
修理に出してまで使うんだろうな、あいつは
そっちの方がよっぽど金がかかったとしても。

そして、一足の靴でさえそうなのだから
男ともなればそれ以上に真剣に選ばざるをえないだろう。
「試しに付き合ってみる」なんてのか香の辞書にはないはずだ
まして「とりあえず寝てみる」なんてのは論外。
一生を添い遂げられる相手、
自分の理想とは違っていたとしても
後悔することなく共に歩んでいける、
果たしてそれがそういう男なのか
その厳しい眼でまさに選んでいるところなのだろう
そうやって選んだからには一生離さないと。

そんな女、今までだったら
重すぎるとこっちから願い下げだった。
でも、今は違う。
もしお前が俺を選んでくれたなら
俺もそれに負けないくらいの真剣さで愛し続けるつもりだ
ボロボロになるまで、お前も俺も。