もう負けないよ

相棒の成長は、組んでる側としても嬉しいことではある。
けど――

「いやぁ、香ちゃんのおかげだよ」
「帰ったら香さんによろしく言っといてね」

そんな声をあちこちで聞くたびに
無性に腹の中がもやもやするというか――

今ではすっかり、出入りのヤクザを追っ払う程度の
些末な依頼事なら
あいつ一人で何とかなるまでになっていた。
俺の出番があるとするならパイソンに用があるときくらい。
もちろん香にこの仕事を
一から教えてやったのは、この俺なんだが……
おかげでこの街のグレーな面々にも溶け込んでいるだけでなく
麗香やかすみといった、本来ならばライバルであるはずの
彼女たちですら、少なからず香を慕っているのだ。

あの、事あるごとに落ち込んでは
「あたしなんて撩にふさわしくないんだ」と
勝手に思いつめていた頃と比べると著しい成長だ。
ただ、あいつに欠けていたものが
きれいに埋まったというわけではない
周りと、己を見つめ直して
学べるものは学んだうえで
自分の長所を確実に伸ばしていったというべきか。
そういう「努力ができる」のが香の一番の長所なのだから。

それでも、その「成長」を素直に受け止められないのは――
街の雑踏が嘘のように閑古鳥の鳴く【笑】いきつけの店で
一人静かにアイスコーヒーなどちゅーちゅーと飲んでいると

Ding a Ling!

とアメコミのような擬音でドアベルを鳴らした時点で
誰が来たか判ったさ、この耳でも。

「Tut! なんだ、カオリはいないのかよ」

相も変わらず耳障りな奴だ。

「四六時中一緒ってわけじゃないんでな」

するとミックはスツールに腰掛けもせずに
アタッシュケースの中からA4の茶封筒を取り出すと
ばさり、とそれをカウンターに置いた。

「何これ」とその奥から女主人が尋ねた。

「最新号のWeekly Newsさ。ほら、ここ
オレの潜入ルポなんだけど、そのサポートを
カオリがしてくれたんでね」

と自慢げに袋から雑誌を取り出すと
件のページを開いて主夫婦に示してみせた。
サポート、といっても香も潜入したわけではない
その後方支援は、俺たちもまた潜入捜査も
仕事の内だから、あいつにとってもお手のものだろう
――ああ、またここにも「香のおかげ」か。
美樹が目を通している間に、ミックは
そそくさとアタッシュケースを閉めて踵を返そうとする。

「あら、コーヒーぐらい飲んでいってよ」
「I'd really like to that, but(そうしたいのは山々だけど)
これでも忙しいんでね。じゃあリョウ
ちゃんとカオリにケンテイしてくれよ」

献呈、って大袈裟な。1000円もしない雑誌のくせに。
すると図ったように行き違いに

カランカラン

と再びドアベルが鳴った。

「あ、撩! こんなとこにいた」
と言うとずけずけと俺の隣りの定位置に納まる。

「香さん、ついさっきミックが来てたのよ」
「え、そうなの?」

というと、全く正反対の方に出て行ったのか
言葉どおり本当に忙しかったのか
お互い気づかなかったらしい。

「でもすごいじゃない、この記事――」
と美樹がミックの書いたページを指し示した。

「あ、うん……でも全然。実際に潜入して
取材したのはミックだし
あたしがやったのは調達屋みたいなことだけだから」
「ううん、潜入中に疑われることなく
何不自由なく過ごせたってのは事前の準備と
その間のサポートがあってこそじゃない」

そうだろそうだろ、といつもの俺だったら
口に出すことはなくても内心は胸を張っただろう
その香は俺が育てた、と。
けど、今の俺はというとその間――

「そういえば撩、次の依頼どうするの?」

と香は、アイスコーヒーのストローを咥える
俺の顔を覗き込んだ。

「ああ、あれな。あれだったら俺一人で充分だろ」

久々にパイソンの出番がありそうな仕事だ
だとしたら俺の出番だろう。だが

「いーえ、あたしも行くわ」
と食い下がる。

「あんたの耳、まだ本調子じゃないでしょ?」

――俺にとっては「その前の」仕事だった。
いつもどおりの荒仕事、でもいつもと違ったのは
最後の最後、まさか俺の耳元で大爆発が起きるとは――
幸い、鼓膜等には損傷はなく
「しばらくすれば元に戻る」とのことだった。
その「しばらく」はもう経ったはずだ。

「じゃあ撩、目つぶって」
「なんだよ」
「今からコインを落とすわ
もう耳が大丈夫なら、その音だけで
金額が判るでしょ?」

確かに、それくらいは朝飯前だ。
いくよ、との声の後
――5枚、なのは判った。

「126円」
「残念、76円」

100円玉と50円玉を間違えたか……
カウンターの向こう、同じ条件のタコが
やたらとニヤニヤしてやがる。

「ね、あたしがついてった方がいいでしょ?」

――香の成長を素直に喜べない理由
それは、自分が置いて行かれたように
感じてしまっていたから、なのだろうか。
あいつはようやく長く暗いトンネルを抜けたというのに
今度は俺がその真っ只中という。

「――撩には感謝してる
あたしにできる仕事をちゃんと任せてくれて。
でも辛い仕事だったり、あたしがしんどいときは
やっぱり撩にいてもらわなきゃ、って思うもの。
ねぇ、それがパートナーってものなんじゃない?」

パートナー、か……もちろんそうだが、それでも
今の俺は心のどこかで、そんな弱い自分を
曝け出したくないと思っているのだ。
心の中のもやもやだって、半分以上は見栄なのだから。
けど、それじゃ相棒の意味が無いのだろう
万全の状態なら、この俺だ、誰と組んだって戦える
でも、こういう不完全な状態だからこそ
それをさらけ出せたうえで一緒に戦えるのは
香しかいない、と判っているのに。

「――ああ、判ったよ。その代わり
言ったからには足手まといになるんじゃねぇぞ」

我ながら素直じゃない。いつも他の誰よりも
香のおかげ、と思っているのに。
けど、今度は俺が頑張らなきゃならないな
この街の連中が頼りにする香に相応しい相棒として。