もう負けないよ

相棒の成長は、組んでる側としても嬉しいことではある。 けど――「いやぁ、香ちゃんのおかげだよ」 「帰ったら香さんによろしく言っといてね」そんな声をあちこちで聞くたびに 無性に腹の中がもやもやするというか――今ではすっかり、出入りのヤクザを追っ払う…

El Fuego en el Alfaque

そのとき彼らは、テレビが映し出す惨状に目を奪われた ――そのうち一人は視力を失って久しかったが 見えていた頃の習慣と、正面を向いた方が よりそこから聞こえる音をはっきり耳にすることができる という理由からだろう。昼下がりの、喫茶店にとってはそれ…

彼が猫を嫌いな理由

――ぎゃあ、ぎゃあ 赤ん坊と“聞き紛う”ような声が外から響く これが本物の赤ん坊ならどれだけ良かったことか だが春先のこの時期はそうではない。 それがいつもの猫の鳴き声以上に俺の嫌悪感を掻き立てるのは 天敵が今以上に殖える合図だから、というだけでは…

Pain−Killer

日本の男性とアメリカ人との違いはいろいろあるけれど そのうちの一つが「男子、結構厨房に入る」ということだろう。 ハリウッドのロマンティックコメディでは、よく 男女がキッチンで並んで一緒に料理を作るようなシーンがあるけれど それが私たちカップル…

終わりのない傾き

人探しなんてスイーパーの仕事じゃねぇ、ってのは いったい何年言い続ければ判ってもらえるのだろうか。 それでもまだ美人探しならモチベーションも上がるが その前に「将来の」が付いてもなぁ…… 本当に美人になるかどうか保証は無いだろうし。けれども10代…

【63/hundred】ひとづてならで

いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがなアスファルトを叩くように降りしきる雨が 血の跡を洗い流していく。 こんな嵐の夜ではなかったら、きっと ヘンゼルとグレーテルのパン屑のように 地面に残る赤黒い染みを追っていけば 容易に…

【72/hundred】たたずもあらなむ

高砂の をのへの桜 咲きにけり 外山のかすみ たたずもあらなむ見上げれば桜の花が満開を迎えようとしていた。 見慣れたソメイヨシノよりやや小ぶりのその花は 花弁の端に行くにしたがって、グラデーションのように 淡い薄紅が次第に濃さを帯びてくる。その様…

Groom's Blue

ニワトリが先か卵が先かという喩えがあるが 言葉に関して言えば、その言葉が指し示す 物なり現象なりが先にあって 後追いでその名がつけられる というのがほとんどだろう。なので「マリッジブルー」という言葉が生まれる以前から 結婚を前にした男女はあれこ…

2000.2/それが あたしだから

ティータイムのお客が去って、一息ついたCat's Eye 今はカウンターにいる香さんとひかりちゃん その横にちょこんと座っているうちの鴻人だけ。 溜っていた食器洗いも片づいたし わたしもようやくコーヒーの一杯も飲めそうだ。 何しろ、今日は寒かったからか …

1991.12/ポルボロン、ポルボロン、ポルボロン

紅茶を浸したマドレーヌを一切れ口にするだけで 過去の出来事が鮮やかに脳裏に蘇るなんてのは 小説の中だけの話だと思っていた。「へぇ、沖縄のお菓子?」 「Yeah、美味しいから食べてみてよ」そうミックはカウンターに箱を差し出した。 中にはギザギザとし…

【R15】Time, Place, Occasion

前後へと滑るように動くもっこりヒップ ソファの背もたれの向こうに、それだけが まるで水面から浮かび上がったかのように揺れていた。 いつものようにリビングで“芸術鑑賞”に耽る昼下がり おかげで掃除機の轟音も耳に入らないほど 夢中になってしまっていた…

LOVE ADDICTION

一仕事片づけて、次の依頼をあくせく探す必要の無い昼下がり いつものようにリビングのソファに横になりながら ぼんやりと紫煙をくゆらす。 持ち手を除いてたっぷりと灰にすると その「吸い殻」と化した煙草を灰皿に押しつける。 そして次の一本をと、ポケッ…

Prince Charming in the City

「まさかあの子が結婚するなんてねぇ」と言ったのは、高校時代からの友達だった。 そして「あの子」というのは、あたしたち共通の つまり高校の後輩。彼女が「まさか」と言われたのには それなりに理由があって、というのも高校時代 あたしに直接ラブレター…

36.2℃

灯篭流しの小舟が川面に揺れる。 彼女はその中の一隻に、亡き恋人の形見をそっと置いた 給料3ヶ月分、というほどではない指輪 けど彼女はずっとそれを左手の薬指に嵌め続けていたのだ 彼が自ら生命を絶ってから、ずっと。亡き人の死の真相を知りたいと依頼…

who is without sin among you

ある村が焼かれた。 ジャングルの中にある、先住民の小さな村 そこを陥したところで戦略上の何のメリットも無いような 小さな村――ただ一つ、見せしめ以外に。 その村は反政府ゲリラに協力的だった ――彼らの掲げる理想に共鳴してだったのか それとも、ただ彼…

やっぱり赤は似合わない

一応自分にも贔屓の球団ってのはあるが どこかの誰かほど何連敗したからって この世の終わりのように落ち込んだりはしない。 だからもちろんチームが何連勝しようと それが二桁に伸びようと頬を緩めたりはしないのだが――「ほーっ」何でオレが鏡の前で西武の…

定点観測

「じゃあ、そろそろ記念撮影するか」と撩が言えば宴はお開きの合図。「おいおい、それで撮るのかよ」奴が構えたのは携帯電話で、「だったらこれ使え」そう言って俺が手渡したデジカメは 四角くコンパクトなお手軽タイプ。 だったら最近の携帯と 機能としては…

LOVE BEACH

――夏ともなれば渚を駆け抜け「ねーねー、そこのビキニのもっこりお嬢さんたちィ サンオイルか日焼け止め、撩ちゃんが 塗り塗りしてあげよっか♪」 「くぉらぁ、リョオ! ビーチの風紀を乱すなっ!」「撩ちゃんもっこりー♪」を連発する渚のオオカミ野郎と (間…

2017.5.20/Heart Break Cafe

最近ヒカリの様子がおかしい。 といってもいくら幼馴染みの父親とはいえ オレとあの子の付き合いは今やほぼ 「お向かいさん」ということに尽きてしまう。 だからせいぜい街で偶然見かけるか 行きつけのカフェで行き会うかぐらいなのだが ここ数日、ずっと表…

2017.9/それにつけても

「カオリ、それで来週京都に取材に行ってくるんだけど お土産は何がいいかな?」そう色目半分であいつに話を振ってくるのもいつものこと これがもう四半世紀も続いているのだから いちいち目くじらを立てるのも面倒なだけだ。 Cat'sのカウンターでの日常茶飯…

獅子の子落とし

RN探偵社の社長として、調査員の採用も大切な仕事の内だ。 もともとは私一人の個人商店だったけれど 依頼が増え、自分だけでは回し切れなくなって 3人、4人と従業員を増やしていった。 おかげで今では拠点をここ新宿以外にも増やそうかという勢い そのた…

一人じゃないって

本当は寄るべきではなかったのだろう。 けど習慣というのは恐ろしいもので ついつい足を運んでしまった以上 とりあえず顔だけ出しておけば 「何で来なかったんだ」なんてことで 余計な詮索をされずには済む、などと 勝手な言い訳を用意してドアを開けた瞬間 …

1984.5/mezzotint

まさか彼に美術鑑賞の趣味があるとは思わなかった。 槇村が刑事を辞めて、私は警察に残り FBIでの研修のために渡米し一年。 帰国後、初めての“デート”がここだった。「君ならこういうのは好きだと思ったんだがな」と、私の目を見ようともせず 壁にかかっ…

Place I belong

うちは一応喫茶店だけど、開店時間は かつてのもう一つの仕事柄、それほど早くはない。 ファルコンもときどき手伝いに駆り出される以外は そっちの方はすっかり引退状態ではあるけれど オープンはその頃のままだ。そして まだお客もまばらな時間帯、常連の …

【61/hundred】けふここのへに

いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかなこっちにきてからずっと、何で日本人は たかだか1種類の花の開花にこうも 一喜一憂するのかが理解できなかった。 この国を象徴する花だとはいえ 予想日を立てて、咲いたかどうかを役人が確認し それ…

ミモザの日

3月初旬、春まだ遠い風の寒さ 三寒四温のまさに「三寒」真っ只中 この調子じゃ1ヶ月後、本当に桜が咲いているのか 疑いたくなるほど、東京は冬を引きずっていた。 おかげでこっちは猫背をさらに丸めて歩く始末。 だが香はというと、美樹ちゃんと一緒に 『…

Delivery Boy, Delivery Girl

炊飯器が炊き上がりを告げる音でふっと我に返った。事の発端は今日の昼間、Cat'sでのやりとり 美樹さんに少し元気が無かったのが気になった。 聞けば、最近お店に通い始めたマダムの 不躾な一言がきっかけだったとのこと。「帝王切開だと母性が足りないなん…

【41/hundred】わがなはまだき

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか「あら、今日はまだ来てないわよ」店に入ってきたわたしを見るなり カウンターの向こうの女主人はそう言った 誰が来ていないかは省略して。「ち、違うわよ。わたしはただ ここにコーヒーを飲み…

軽い左手

さっきからやけに左手にばかり目が行ってしまう。 いつもより良い腕時計の文字盤、は素通りして その先、薬指には銀色の指輪。ただ、これは いつも身につけているものではなかった「香さん、どうしましたか?」 「いえ、なんでもないです」 「そうですか……あ…

欄干の無い橋

慣れたところへなら自らハンドルを握るが 知らない道ならそうもいかない。 信頼できるナビがいないなら尚更のこと。 そうなると、自ずとバスや電車を使わざるを得なくなる。美樹には「近くじゃないなら白杖を 持ち歩いた方がいいんじゃないの」と言われるが …