原作程度

【63/hundred】ひとづてならで

いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがなアスファルトを叩くように降りしきる雨が 血の跡を洗い流していく。 こんな嵐の夜ではなかったら、きっと ヘンゼルとグレーテルのパン屑のように 地面に残る赤黒い染みを追っていけば 容易に…

1991.12/ポルボロン、ポルボロン、ポルボロン

紅茶を浸したマドレーヌを一切れ口にするだけで 過去の出来事が鮮やかに脳裏に蘇るなんてのは 小説の中だけの話だと思っていた。「へぇ、沖縄のお菓子?」 「Yeah、美味しいから食べてみてよ」そうミックはカウンターに箱を差し出した。 中にはギザギザとし…

LOVE BEACH

――夏ともなれば渚を駆け抜け「ねーねー、そこのビキニのもっこりお嬢さんたちィ サンオイルか日焼け止め、撩ちゃんが 塗り塗りしてあげよっか♪」 「くぉらぁ、リョオ! ビーチの風紀を乱すなっ!」「撩ちゃんもっこりー♪」を連発する渚のオオカミ野郎と (間…

【61/hundred】けふここのへに

いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかなこっちにきてからずっと、何で日本人は たかだか1種類の花の開花にこうも 一喜一憂するのかが理解できなかった。 この国を象徴する花だとはいえ 予想日を立てて、咲いたかどうかを役人が確認し それ…

ミモザの日

3月初旬、春まだ遠い風の寒さ 三寒四温のまさに「三寒」真っ只中 この調子じゃ1ヶ月後、本当に桜が咲いているのか 疑いたくなるほど、東京は冬を引きずっていた。 おかげでこっちは猫背をさらに丸めて歩く始末。 だが香はというと、美樹ちゃんと一緒に 『…

【95/hundred】うきよのたみに

おほけなく うき世の民におほうかな わが立つ杣に墨染の袖アパートの屋上から眺める、見慣れた新宿の街並み。 吹き始めた木枯らしがこの街から雲という雲を 追い払ってしまったようで、頭上には青空が広がる。 でもその景色が寒々しく見えるのはあたしだけだ…

細腕&太腕繁盛記 vol. 4 酒種パン

たまたま(寝汚い俺には)珍しく 開店直後の店に顔を出したからだろう ここにはずいぶん入り浸っているが こういう光景を見るのはこれが初めてだった。「ちわ〜っす」とプラスティックの大きなトレイ ――こういうところより、スーパーの バックヤードの方が似…

After Carnival

砂浜にひとり腰を下ろす。 目の前に広がるのは広々とした大海原 そして左手前方には砂州で陸と結ばれた 緑の小島があるはずが、今日はあいにくの天気 もやで霞んで、姿を見せてはくれない。 ――あーあ、ヌードの弁天様にも嫌われたか。この砂浜にも、ほんの数…

1989.12/Goodbye, Humpback

「はい、one two, one two!」軽快なビートに負けじと手拍子が響く。 そのリズムに合わせて美男美女たちが 肩で風を切るように歩き、ポーズを決めると 颯爽とターンを決め、歩き去っていく。 その容貌もさることながら、姿勢の美しさ 舞台上を歩く一連の動き…

細腕&太腕繁盛記vol. 2 ナポリタン

「えーっ、無いのー!?」と香が素っ頓狂な声を上げた。 近所、というほどではないが俺たちの行動範囲内に この店が出来て(数年前までは美人姉妹が 切り盛りしていたらしい。そのときに行けばよかった;泣) 今ではこうして顔を出してはタコ坊主のマスター姿…

世界への第一歩

「冴羽商事はアフターサービスが売り」と言ったのは 取締役社長の方だが、依頼人のお見送りまでが 我が社の業務内容といっても過言ではない。 だから今まで依頼人の数多くの背中を見送ってきた ある人は駅で、ある人ははるばる空港まで そして、案外見落とさ…

リクエストナンバー#18

「バタバタしてて新年会やりそびれちゃったけど」 といつもの面子が集うのは、いつものCat's Eye……ではなくて そこは一次会、ただ今すっかり出来上がったメンバーが 狭い部屋の中で膝を突き合わせているのは 最近、歌舞伎町でも勢力を拡大しつつあるカラオケ…

友を選ばば……

「りょう、おい撩」誰だ、こっちは気持ちよくお休み中だというのに こうして肩を揺さぶる手が美人の 白魚のようなそれならまだしも、少々華奢とはいえ 感触は明らかに男ものだ、見なくても判る。 そしてその声も、鈴を転がすようなソプラノではなく 陰気なバ…

細腕&太腕繁盛記vol. 1 サイフォン

丸底のフラスコに、先の細くなったホーローのポットから お湯を注ぐ。その前に、ガラス容器を丁寧に布巾で拭って 水滴を取り去っておくのは忘れない。 アームに容器を掛け、その下にアルコールランプを置く。 そこに火を点けるのにマッチを擦る一手間が何と…

prophetic dream

「どうしたんだ撩、朝からそんな顔して 昨夜は飲み過ぎたか?」と、朝も早よから“出勤”してきた相棒に たしなめられるのはいつものこと。 ただ、不快感の理由だけはいつもと違っていた。「違わい。夢見が悪かっただけだ」 「夢だって?」いつも冷静沈着とい…

1991.12/Demon laughs

年の瀬も押し迫る頃となれば、歌舞伎町は 街全体が毎日忘年会といった様相を呈してくる。 そこのあの店この店に毎晩どこかしらから呼ばれて 年忘れの酒にありつくというのが年中行事だが 今年は少々様子が違った。 俺はというとそっちのけで、宴の主役の座は…

1989.11/Scar of Honor

温泉に行きたいとしつこく言っていたら 瓢箪から駒ということもあるもので、 珍しく撩が「連れてってやる」なんて言うものだから 1泊分の荷物をボストンバッグに詰めて いそいそとクーパーに乗り込んだものの、 止まった先はアパートから数分と離れていない…

1990.4.16/永遠の美女

北鎌倉なんて鄙びたところは俺たちには縁の無いと思いきや シティーハンターの名前というのは、案外 上流階級なんて呼ばれる連中の間の方に むしろよく知れ渡っているようだ。なので今日は その一員たる依頼人との顔合わせのために わざわざ新宿を離れ、ここ…

Our Endless War

戦場において、敵の矢玉に斃れることは もはや宿命といっても過言ではない。 それゆえ、もし不幸にもそのような事態に陥っても 当の本人は従容としてそれを受け入れうるだろうし (実際のところどうなのか、向こう岸からは 戻ってこられようがないので判らな…

Light of Life

私が育った場所と、ここでは 生命の価値がずいぶん違うような気がする。あの国では常に死が自分たちの近くにいた。 戦争だけではない、貧しさゆえに 病に倒れればそれは生命の危険を表していた 子供も、働き盛りの大人も。でも、この国では違う 世界に関たる…

1985.3.31 Sun.

「あ、おはようアニキ」 「おはよ……って、朝飯お前が作ったのか?」普段の槇村家の朝食は由緒正しきご飯なのだが 日曜だけは洋風にパン食になる。 もっとも、トーストだけでは足りないので ゆで卵か目玉焼きに、ハムなどの簡単な付け合せもつく。「今日ぐら…

1985.3.30 Sat.

「――おい、こんなところで寝てると 風邪ひくぞ」 「あ、アニキ、おかえり」深夜近い帰宅だというのに、妹はというと 風呂だけはしっかり入ったのだろう パジャマの上にカーディガンを羽織っただけという 無防備な姿で、玄関から入ってすぐの ダイニングテー…

1985.3.29 Fri.

香は助手席でずっと時計を気にしていた ダッシュボードのと、自分の左腕のと。 車の時計は狂いやすいとはいうけど それだってほんの数分の誤差だ、大した違いはない。 そして、その両方ともが0時直前を指していた 金曜から土曜に変わるか、変わらないかだ。…

1985.3.28 Thu.

知られてはいけない、彼とのことは 私が彼に友人以上の感情を抱いていることは 彼もそれに気づいたうえで、憎からず思っていることは そして、こうして彼と二人電話で 話し込んでいることも――《よぉ、冴子》帰宅早々、かかってきた電話は彼からだった。《毎…

1985.3.27 Wed.

10:00 新宿中央公園 といってもこの公園は広さ8万8000Km2(だそうだ) 待ち合わせようにも「中央公園のどこそこ」と 伝えておかなければすれ違いが生じかねない。 だからあたしが言ったのは 「噴水の前の階段のところ」。あいつを呼び出すんだったら、新宿…

1985.3.26 Tue.

警察にいた頃は、修羅場愁嘆場に 居合わせるのは日常茶飯事だった。 この時期は特に、学校が休みに入るから 全国から家出少年少女が東京へ 新宿へと押し寄せてくる。 そうでなくても夜ごと歌舞伎町の道端に 屯(たむろ)している未成年の常連もいた。 そんな…

human first

撩ではなくあたしご指名の仕事ということで 喜び勇んで出かけたものの、要は便利屋代わりというか いわゆる「偽装恋人」の依頼だった。 もっとも、「何でもやります」と銘打って ビラをまいていたのはあたしなのだから 報酬も入ったし、願ったり叶ったりなの…

need not to know

「お前、香の気持ちは知ってるんだろう」タコ坊主に言葉尻を捉えられた。「知ってるも何も、当然だろ 『こんなバカ男、馬に蹴られて死んじまえ』ってな」「冴羽さん!」「残り四感」が鋭い海坊主ならともかく 美樹ちゃんもお見通しだったとは。 もちろん「仕…

1985.6.1/夏のはじめ

季節というものは、三寒四温というように 少しずつグラデーションで変わっていくものだと思っていた。 でも、本当はそうではないみたいだ。 寒い日が続いていたと思ったら、ある日突然 ぽかぽか陽気になって冬が終わり うららかな陽気も、いきなりカーッと暑…

corkscrewed

あいつが帰ってきた、ぐでんぐでんに酔っぱらって というのはいつものこと。 まるで背骨を失くしてしまったように 床に伸びているあいつを、肩に抱えて 引きずるようにして部屋へと連れて行くのも。 ただでさえの大男なのに、全身の力が 抜け切ってしまった…