ビター

El Fuego en el Alfaque

そのとき彼らは、テレビが映し出す惨状に目を奪われた ――そのうち一人は視力を失って久しかったが 見えていた頃の習慣と、正面を向いた方が よりそこから聞こえる音をはっきり耳にすることができる という理由からだろう。昼下がりの、喫茶店にとってはそれ…

彼が猫を嫌いな理由

――ぎゃあ、ぎゃあ 赤ん坊と“聞き紛う”ような声が外から響く これが本物の赤ん坊ならどれだけ良かったことか だが春先のこの時期はそうではない。 それがいつもの猫の鳴き声以上に俺の嫌悪感を掻き立てるのは 天敵が今以上に殖える合図だから、というだけでは…

Pain−Killer

日本の男性とアメリカ人との違いはいろいろあるけれど そのうちの一つが「男子、結構厨房に入る」ということだろう。 ハリウッドのロマンティックコメディでは、よく 男女がキッチンで並んで一緒に料理を作るようなシーンがあるけれど それが私たちカップル…

終わりのない傾き

人探しなんてスイーパーの仕事じゃねぇ、ってのは いったい何年言い続ければ判ってもらえるのだろうか。 それでもまだ美人探しならモチベーションも上がるが その前に「将来の」が付いてもなぁ…… 本当に美人になるかどうか保証は無いだろうし。けれども10代…

【72/hundred】たたずもあらなむ

高砂の をのへの桜 咲きにけり 外山のかすみ たたずもあらなむ見上げれば桜の花が満開を迎えようとしていた。 見慣れたソメイヨシノよりやや小ぶりのその花は 花弁の端に行くにしたがって、グラデーションのように 淡い薄紅が次第に濃さを帯びてくる。その様…

2000.2/それが あたしだから

ティータイムのお客が去って、一息ついたCat's Eye 今はカウンターにいる香さんとひかりちゃん その横にちょこんと座っているうちの鴻人だけ。 溜っていた食器洗いも片づいたし わたしもようやくコーヒーの一杯も飲めそうだ。 何しろ、今日は寒かったからか …

LOVE ADDICTION

一仕事片づけて、次の依頼をあくせく探す必要の無い昼下がり いつものようにリビングのソファに横になりながら ぼんやりと紫煙をくゆらす。 持ち手を除いてたっぷりと灰にすると その「吸い殻」と化した煙草を灰皿に押しつける。 そして次の一本をと、ポケッ…

Prince Charming in the City

「まさかあの子が結婚するなんてねぇ」と言ったのは、高校時代からの友達だった。 そして「あの子」というのは、あたしたち共通の つまり高校の後輩。彼女が「まさか」と言われたのには それなりに理由があって、というのも高校時代 あたしに直接ラブレター…

36.2℃

灯篭流しの小舟が川面に揺れる。 彼女はその中の一隻に、亡き恋人の形見をそっと置いた 給料3ヶ月分、というほどではない指輪 けど彼女はずっとそれを左手の薬指に嵌め続けていたのだ 彼が自ら生命を絶ってから、ずっと。亡き人の死の真相を知りたいと依頼…

獅子の子落とし

RN探偵社の社長として、調査員の採用も大切な仕事の内だ。 もともとは私一人の個人商店だったけれど 依頼が増え、自分だけでは回し切れなくなって 3人、4人と従業員を増やしていった。 おかげで今では拠点をここ新宿以外にも増やそうかという勢い そのた…

一人じゃないって

本当は寄るべきではなかったのだろう。 けど習慣というのは恐ろしいもので ついつい足を運んでしまった以上 とりあえず顔だけ出しておけば 「何で来なかったんだ」なんてことで 余計な詮索をされずには済む、などと 勝手な言い訳を用意してドアを開けた瞬間 …

1984.5/mezzotint

まさか彼に美術鑑賞の趣味があるとは思わなかった。 槇村が刑事を辞めて、私は警察に残り FBIでの研修のために渡米し一年。 帰国後、初めての“デート”がここだった。「君ならこういうのは好きだと思ったんだがな」と、私の目を見ようともせず 壁にかかっ…

Place I belong

うちは一応喫茶店だけど、開店時間は かつてのもう一つの仕事柄、それほど早くはない。 ファルコンもときどき手伝いに駆り出される以外は そっちの方はすっかり引退状態ではあるけれど オープンはその頃のままだ。そして まだお客もまばらな時間帯、常連の …

【41/hundred】わがなはまだき

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか「あら、今日はまだ来てないわよ」店に入ってきたわたしを見るなり カウンターの向こうの女主人はそう言った 誰が来ていないかは省略して。「ち、違うわよ。わたしはただ ここにコーヒーを飲み…

軽い左手

さっきからやけに左手にばかり目が行ってしまう。 いつもより良い腕時計の文字盤、は素通りして その先、薬指には銀色の指輪。ただ、これは いつも身につけているものではなかった「香さん、どうしましたか?」 「いえ、なんでもないです」 「そうですか……あ…

欄干の無い橋

慣れたところへなら自らハンドルを握るが 知らない道ならそうもいかない。 信頼できるナビがいないなら尚更のこと。 そうなると、自ずとバスや電車を使わざるを得なくなる。美樹には「近くじゃないなら白杖を 持ち歩いた方がいいんじゃないの」と言われるが …

名を捨て実を取る

一人暮らしで不便なことといったら 数え上げればキリが無いが 一番困るのは体調を崩したときだろう。 泣こうがわめこうが家にいるのは自分一人 己の看病は己でしなければならない。 ぬるまったアイスノンや汗をかいたパジャマを 取り替えるくらいならまだ何…

【95/hundred】うきよのたみに

おほけなく うき世の民におほうかな わが立つ杣に墨染の袖アパートの屋上から眺める、見慣れた新宿の街並み。 吹き始めた木枯らしがこの街から雲という雲を 追い払ってしまったようで、頭上には青空が広がる。 でもその景色が寒々しく見えるのはあたしだけだ…

My Sweet Cubs

「なぁリョウ、お前、昔のこと 思い出したりするときってあるか?」金髪の腐れ縁が突然訊いてきた。 いつものようにさんざ飲み歩いて 最後に辿り着いたいつもの店で むさくるしくも男同士、肩を並べながら。 しかもカウンターの向こうは 頭は空っぽながら顔…

半径5メートルの平穏

「ただいまぁ」 「おぉ、おかえり」帰ってきても状況は変わっていなかった。 それもそうだ、家を空けていたのは ほんの小一時間ほどなのだから。何てことはない日曜の昼下がり 普段と違うのはパパがこの時間に 家にいることぐらいだろうか。 相変わらずリビ…

1991.10/Sorrow and joy are today and tomorrow.

こういうのを“lucky break”というのだろうか 日本語でいえば……確か「ケガのコウミョウ」 これもまさに文字どおりの意味だ。ミス・ハヅキの依頼に乗せられ、亡命中の大統領なんて VIPの護衛に駆り出された挙句に 己のスイーパーとしての限界を突き付けられ…

蓼食う虫

大きな塗り椀の蓋を開けた瞬間、香の顔色が変わった。「うわぁ……」と安っぽいグルメリポーターのような歓声を上げたが その眼は喜色に染まってはいなかった。 小顔のあいつの顔程もある大きな椀の中は 紅玉と黄金の2色に塗り分けられたかのようだというのに…

タナトスの誘惑

また病室に逆戻り、か…… 今度は広大な和風建築の中にある 私設ラボ&クリニックというなどという変わり種ではなく ごくごく普通の総合病院、といっても 病室の中の景色はどちらも大差は無かった。“教授”と呼ばれる老医師のもとでの 治療とリハビリを耐え抜い…

恋はカーニバル

男の依頼人だと撩がやる気をなくすのは 昔も今も変わらない。今回だって 「人探しはスイーパーの仕事じゃねぇ」と ごねるのを無理やり引きずってだった。 もっとも、宥めすかしてとまではいかなかったのは 探すのがあいつ好みの美人の人妻だったから。そんな…

いつか来た道、いつか行く道

「そういえば、これからウィスキーはどうなるんだろうな」水割りをちびりちびりと舐めながら ふとそんなことが気になった。「だったらおとなしくバーボンにしとけよ」と、一つ空いた隣の席でロックをあおる義弟が 視線を合わせることなく茶々を入れる。「E…

Atomic Babies

「どうじゃったかの、広島は」土産物のメイプルリーフ形の和菓子をつまみつつ グリーンティーを喫しながら、正面の老人は問うてきた。「やはり‘Seeing is believing(百聞は一見に如かず)'ですね 行ってよかったと思います、これからこの国で 生きていくと…

tax heaven

浮かない顔をして香が帰ってきた。 毎度毎度の俺のツケの清算日、それでも今日は ようやくそれに見合った額の報酬も振り込まれて これで大手を振って夜の街へと繰り出せると 思ったにもかかわらず。「どうしたんだよ、そんなシケた面して」 「ただいま、りょ…

End of the USA

さっきから奴は、届いたばかりの夕刊を手にしながら My God! Heavens! Jesus Christ!と 妄りに神の名を口にしていた。「ミック、いい加減新聞を皺くちゃにするのはやめろ 他の客も読む」聞くに聞きかねた店の主がたしなめる。 奴の言うとおり、この店の客…

わたしの扶養家族

出先から帰ってくると郵便受けに何通か刺さったままになっていた。 仕方なく自分がそれを回収して、デスクで一通一通開く。 ダイレクトメールばかりだったらまだしも、こういう仕事をしていれば 名指しで封書が届くことも多々あって、その中には 訴状だった…

behind your smile

外から聞こえるのは時折車の通る音くらい 静かな部屋に、ただチクタクと秒針の音だけが響く。 その出元を見遣る。すでに「草木も眠る丑三つ時」を過ぎていた。 「眠らない街新宿・歌舞伎町」とはいえもうこの時間では 大抵の店はすでに閉まっているというの…