dog tag

そういえば、あいつの持ち物には軍用品が多かった。
ライターの中で一番愛用しているのは古いシンプルなジッポーだし
ガレージのハーレーも第二次大戦中ではアメリカ軍で採用されていたものだという。
仕事で遠出するときに荷物を入れていく、頭陀袋としか言いようのないバッグも
昔の戦争映画で兵士があんなものを持っていたのを見たことがあったし
そういえばラッキーストライクだって、ベトナム戦争当時は軍の配給品にもなったとか。
もともとゲリラ兵に囲まれて育った撩にとってそれらの物は
使い慣れた、馴染みのあるものに違いなかった。

そんな撩が、小さなペンダントを買ってきた。
銀色のそれは、いわゆるドッグタグ――あたしも見たことがあった。
犬の鑑札によく似た形の、兵士の認識票。
一つのチェーンに同じものが二つ下げられており
不幸にも持ち主が命を落としたした場合、片方を回収して戦死の報告をするという。
撩の手のひらの中にあったタグは一枚きりだったが
本物同様に何かが刻まれていたのは反射の具合であたしからも判った。
撩がそれを首に掛けたのはあたしではなく――3歳になる娘だった。

「いいか、どんなときも必ずこれを付けとくんだぞ」

そう言ってくしゃりとひかりの髪を撫でる。
普段はまるで男の子のようで、おもちゃでもアクセサリーの類には興味のないあの子も
シンプルなデザインが気に入ったのか、それとも父親から貰ったというのが嬉しいのか
にっこりと撩に向かって破顔する。
彼もまた我が子に向かって微笑み返すが、その笑顔がどこか切なげに映った。

撩がひかりに名前や住所、電話番号を教え込んでいる様子を
あたしは何度も目にしてきた。あたし自身、彼に言われて口立てで言って聞かせた。

「お名前は?」
「まきむらひかり!」
「住所は?」
「えーと、とうきょうとしんじゅくく、あざおおあざろくちょうめ――」

おかげで、3歳児とは思えないほどすらすらと言えるようになったのだけど
まだほんの小さなあの子にそこまで覚えさせることに違和感も覚えていた。

「ねぇ撩、ひかりの住所と電話番号のことなんだけど……」

ある晩、珍しくリビングで飲んでいた撩にそう切り出した。

「確かにあの子がいざというときのため、言えるようにしておくのは必要だと思う
あたしも小さいとき、アニキに教え込まれたし。
でもそれは、もうちょっと大きくなってからでも――」
「小さいときだから、だろ?」

そう言って撩は手にしていたグラスをテーブルに置いた。
ロックの氷がからんと小さく音を立てる。
彼の眼がどこか虚ろげだったのが今でも心に残っていた。
それは何もない空虚さではなく、ありとあらゆる感情が渦巻き
互いにぶつかり、打ち消し合った末の虚ろさだった。

――撩が実の両親を失ったのは、おそらく今のひかりと同じくらいだ。
ショックで自分の名前を言うのがやっとだった彼は、その結果総てを失ったのだ
係累も、家族の想い出も、自分が本当は何者かということも。

あたしだって似たようなものだ。
生みの母と引き裂かれ、父を亡くしたのはまだほんの赤ん坊だった頃。
当然、二人の――そして実の姉の記憶も残ってはいなかった。
そんな血縁の薄い、似た者同士が出逢い
そしてまさか我が子に恵まれるとは思いもよらなかったけれど
たとえ血は繋がっていなくても、あたしたちを心からの愛情をもって育ててくれた
育ての親の想いを否定するつもりはない。
でも、日一日と愛らしく成長する実の娘の姿を見ながら
自分たちの失ってしまったものの取り返しのつかなさに胸が痛くなった。
もし仮に生き別れでも死に別れでも、あの子がたった一人になってしまって
あたしたちのことも、「ひかり」という名前さえも忘れて
それでも誰かに実の子のように、いやそれ以上に愛されて育てられたとしたら
――あの子が幸福ならと割り切れるだろうか
たとえ割り切れない感情が生みの親のエゴに過ぎないと判っていても。

「ねぇ、ママー」

ひかりは嬉しそうに駆け寄ると、さっきかけてもらったばかりの
銀色のペンダントを自慢げに見せてくれた。

  Hikari MAKIMURA
  1995.03.26 F B+

そこには本物のようにそう刻まれていた。
裏には小型化された発信機――技術もずいぶんと進んだものだ。
これが首に掛けられているかぎり、彼女は槇村ひかり――あたしたちの娘
たとえどこに行こうとも、その鎖を手繰り寄せるように。

あたしはひかりをぎゅっと抱き寄せた、決してどこへも行かないように。

http://www.47news.jp/news/2012/05/post_20120502135700.html