as easy as a dog

公園デビュー、なんて言葉があると知ったのはいつぐらいだろうか。
おそらくまだその頃は、自分がその当事者になるなんて
夢にも思わなかったはずだ。
でも、まさかまさかの有為転変でこんなあたしでも
ママになることができたのだけど、
公園の前にデビューさせなきゃならない場所があった。
といっても、まだまだそこで遊べるほどしっかりはしていないし
ベビーカーどころか抱っこ用のスリングで充分なのだけれど。

「わー、かわいーvやっぱり女の子はいいわねぇ」
「何ヶ月だっけ?」
「まだ一月ちょっと」

みんな、生まれてすぐにお見舞いに来てくれて
美樹さんなんてまだあたしが外を出歩けないときから
アパートの方に何度も遊びに来てくれたのに、
こうして連れてきたら連れてきたでちやほやしてもらえるのは
正直、予想していた以上だった。
まぁ、産まれたばかりのときはまだ人間未満の顔つきで
あれを可愛いといえるのは
同じく子供を持ったことがある人くらいだろう。
それが今ではすっかり大人たちの歓心を買えるまでに
『進化』しているのだから。

「あ、まだコーヒーダメだったわよね」
「あら、一杯くらいは平気だったと思うけど」

と、医師にしてコーヒー党のかずえさんが助け舟を出したのだけど
美樹さんが出してくれたのは、ガラスのカップに赤が鮮やかなハーブティー。

「はい。これ、ラズベリーリーフが入ってるから
母乳の出にもいいのよ」

あたしもずいぶんとこれにはお世話になったわ、と言っていたけど
確かに鴻人くんの父親譲りの体格では
それこそ乳牛のように乳の出がよくなきゃ追いつかなさそうだ。
もっとも、平均体重以下のわが娘も飲みっぷりだけはそれ以上なのだが。

気がつけば周囲の話題は自分の出産のときになっていた。
それもそのはず、冴子さんを含めここにいる面々が
1歳半から9ヶ月まで全員がお母さんなのだ、そうは見えないけれど。
そして何も出産に限らず、トークというものはいつしか
苦労自慢になってしまうことが多々ある。

「病院来る前から含めて陣痛で72時間よ?
うちの母親だって『こんなに難産は一度もなかった』
って言ってたんだから」

と、冴子さんが胸を張れば

「あたしなんて帝王切開の緊急オペ。
元から切って出すのは決まってたんだけど
手術予定日前に産気づいちゃって、
しかもそれがこどもの日よ!
スタッフ掻き集めるの大変だったそうだわ」

と美樹さんが返し、

「まだいいじゃない、ジェイクのときなんか
ミックが立ち会うって張り切ってたのに、
わたし以上に張り切りすぎて酸欠でダウンだったんだから。
うちの両親も来てたっていうのに……
恥ずかしいったらありゃしない」

とかずえさんもボヤく。
あたしだって、それに負けぬ劣らぬ武勇伝のはずだ。
なにしろ、この子が産まれたのは分娩台の上でもなければ
手術室の中でもなかったのだから。
あれ、でも……純粋にかかった時間でいうと
あんな状況、しかも撩が来るまでは
コンクリの部屋で一人っきりで時計なんて見てなかったし
腕時計はしてたにせよ見られる状況ではなかった。
ただ、後から経過をいろいろ総合してみると――
一度、陣痛が遠のいてしまったものの
それを除けば安産以外の何ものでもなかった。
どころか、おそらく教科書に載っているかぎりで
初産の(机上の計算での)最短時間だったのでは。
それでも、あんな極限状態での出産だったのだから
そのうえ難産だったとなれば、ひかりどころか
あたしの生命さえ危うかったに違いないだろう。

でも、それを告げるとさっきまでの難産自慢が一転
みんな揃って頷かれてしまった。

「確かに香さん、安産体形だもんねぇ」

そう、すっかり元のすらりとした体形に戻っている
かずえさんが言った。
昔からボトムスだけは9号が入らなかったもの
これで出産経験が無いままだったら
一生何のメリットも無かっただろう。

「いいえ、撩のおかげね」
「あー、確かに」

と、冴子さんの痛烈な一言に
美樹さんも意味深な表情で同意する。
そして、あたしを除く全員視線が総てこちらへと突き刺さった。

「まぁ、あの『種馬』に日夜愛されてたら通りも良くなるわよね」
「妊娠中だからって我慢してたとは思えないし」
「案外、陣痛の方が初めてよりも痛くなかったりして」

と、真っ昼間とは思えない明け透けな物言い。
自分でも、鏡を見ずとも顔が真っ赤なのが判るほどだ。
けれどもそれを本気で否定できるかというと
心のどこかでそうなんじゃないかと思っている自分もいたりして……

仕方なしにガラスのカップに口をつける。
スリングの中のひかりは、そんな話題におかまいなしにすやすや
さすが種馬の娘、といってやるしかなかった。

http://mainichi.jp/feature/news/20120706ddm041040136000c.html