Tom Boy or Nancy Boy?

まだ二人の間に秀弥くんが授かる前の話。

所轄の署長という立場も、一課や特捜と比べたら閑職かもしれないけれど
一人の肩に背負い込む責任たるやそれとは比べものにならないもので
いくら定時で上がれるとはいえ、退職したばかりの父に実家に呼び出され
拝聴してきた話というのが、その疲れに追い打ちをかけるものだった。

「おかえり冴子――どうしたんだ?」

毎日の挨拶は欠かさないよう約束していたにもかかわらず
無言で妻が帰ってきたなら、本庁勤めながらも飼い殺しにされてるらしく
帰宅後いつも夕飯の台所に立つ夫は訝しむに違いない。
それでも答える気力もなく、私はただ父に渡されたものをばさりと
リビングのテーブルの上にぶちまけた。

「……おいおい、参ったな」

この手の話題になるといつも沸騰するように赤面する妹ほどではないにせよ
槇村もまた何の臆面もなくそういうことを言ってしまえる男ではなかった。
その彼が、兄として彼女を育てたのだから当然のことだろう。
そもそも、真っ昼間から「もっこり〜♪」なんて言える
彼の元相棒の方が常軌からかけ離れているのだ。

テーブルの上に散らばったのは――いったいいつの間にこれほどまでに集めたのか
いわゆる『子作り』本、しかも男女産み分けマニュアルの山だった。

もちろんそのことは夫婦の間でも考えている。
私自身、こういう仕事をしていながら年齢などを考えると
今すぐ欲しいと思っていたし、それは槇村も同意の上だった。
彼も香さんに対する小さい頃からの可愛がり方からすれば
子供好きには違いなかった。

だが実家――とりわけ父の心配をよそに
私としては子供の性別にこだわりはなかった。
齢が齢だから、五体満足に生まれてくれればそれでよかったし
もしそうでなかったとしても――精一杯の愛情と
親としてできること総てを注ぎ込む覚悟はあった。それなのに、

「迷信みたいなものばかりじゃなくて
最近じゃ体外受精で男の子の受精卵だけ戻すのもできるって言うんだから
それじゃテクノロジーの濫用じゃない」
「まぁな。もちろん学会のガイドラインじゃNGだけどな」

八つ当たりでさらにテーブルから叩き落された本を
彼はそれには罪はないとばかりに黙々と拾い上げる。

「だいたい、男の子だからって跡取りとしてふさわしいとは
かぎらないんじゃないか?」

そう穏やかに、だがはっきりと述べた。

「もしかしたら二丁目に行っちまうかもしれないし
そうでなくても、おおよそ警官には不向きな子に育つかもしれない。
かといって女でも、うちの香みたいなのもいるからな」

と、意味深にこっちに目配せする。
確かに、私ももし男に生まれたとしても
ここまで父の跡取りらしく育っただろうか。
むしろ、いつまでたっても息子を欲しがる父への反発心で
今までやってこられたようなものだ、跡継ぎとして認めてほしいと。

「――そういえば前に、母が言ってたわ。
古い商家は息子よりも娘を欲しがったものだって」

苦労知らずに育って、いずれ貸家と唐様で書くような銅鑼息子より
奉公人の中から見込みのあるものと跡取り娘を娶せた方がいいと。
それでも娘の結婚の自由を無視した話ではあるのだけれど。

確かに、母の言うとおりかもしれない。
おかげで槇村というこの上もない長男の婿が来てくれたのだから
彼にはこの女系家族で多少の気苦労は強いてしまうかもしれないが。
――そういえば、うちの母方って代々そういう家系なのよね
父も、姓こそ変えなかったけれど、実質入り婿みたいなものだったし。

「ねぇ、それじゃああなたは男の子と女の子、どっちの方がいい?」

女豹が急に子猫のようにしなだれかかったものだから
純情そうに急に顔色を変える夫が可愛らしい。
といいながらも、しっかり腕は私の肩に回しているのはさすがというか。

「考えたこともなかったなぁ」
「じゃあ今考えて」
「無理だよ、急すぎる」
「だったら、女の子」

きっと、香さんのときみたいに猫っ可愛がりするだろう。
いや、きっとそうしたいはずだ。

「でも、男の子もいいな。そうしたら親父がそうしてくれたみたいに
キャッチボールしたり釣りにつれてったりしてやれるから」
「あら、それも女の子でもできるんじゃない?」

そう鋭く指摘してあげる。だってそれはさっき彼自身が言っていたことだから。
思わぬところから矛盾を論われて槇村は思わず
眼鏡の奥の小さな目を見開いたが、それと同時に
回した腕をぐっと抱き寄せた。

「それもそうだな。男の子でもそういうのに興味が無いかもしれないしな」

私もあの父と母の娘だから、女の子ばかりになってしまうかもしれないけれど。
でも結果は理想的なことに男の子と女の子一人ずつ。
もっとも、キャッチボールとか釣りとか、興味はあるにせよ淡白な息子と
そういう男の子っぽいことが大好きな女の子の、実質二男の母かもしれない。

えっ、一人多いって?
あなた、言ってやりなさいよ。家族ってのは血の繋がりでもなければ
戸籍でもないんだって。

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20120716-OYT8T00396.htm