underground passage

この時期――あたしの誕生日前後は
「花曇り」だの「花冷え」だの「花散らしの雨」だの
天気の不安定さを表した季語ばかりが辞書に並ぶけれども
今日はとりわけ「春の嵐」だ。
昨日からの雨にさらに強風まで加わって
何も無ければ外に出たくないといった空模様だ。
現に、労働意欲の欠片も無い同居人は
ナンパにすら出ていかず、家でゴロゴロ惰眠を貪っていた。
でもあたしにはやらねばならないことがあるのだ。
駅の伝言板まで以来の有無を確かめに行かなければいけない
そこにXYZと記して、あたしたちからの連絡を
不安に怯えながら待っているかもしれない
いつかどうかも判らない依頼人のために。

そうは言うものの、昨日も雨の中伝言板を見に行ったら
家に帰りつくころには靴の中がぬかるみ状態だった。
なるべく水たまりを避けて歩いたはずなのだけど
そうは言っても歩道全体が海状態になっているようなところもある。
とはいえ、昨日のうちに靴の中に新聞紙を丸めて突っ込んでおいて
今朝足を入れてみて不快なほどではなかった。
でも今日は昨日以上の雨模様、片道だけでも靴下まで
ぐちゃぐちゃになりかねない。

――雨靴があればなぁ、とふと
欲しいものリストに新顔が一つ加わる。
いかにもゴム長というものではなく
最近はおしゃれなものもあるというけれど
あたしの場合、デザインも値段も納得できるものをと
近所の靴屋という靴屋を回りまくるであろうことは
自分でも目に見えて、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
そうなるとしばらくは手にはできないだろう。
少なくとも今日は普通の、安物の防水スプレーで
コートしただけの靴でこの雨に立ち向かわなければならない。

そこで採った策が、地下道を通っていくことだった。
さすがに大都会・新宿、駅の周辺には
緻密な地下道のネットワークが張り巡らされて
かなりの距離まで外を出ずに行くことができるのだ。
中にはお店の並ぶ地下街になっているところもあり
今日の夕飯の買い出しにも行かなければならないのだけど
ここで売っているお惣菜で済ませてしまってもいいだろう、
デパ地下にももちろん繋がっていることだし。

普段あまり、地下街で買い物するくらいしか
地面の下を歩いたことはないのだけれど
今日はもしかしたらいつもより人が多いかもしれない。
もちろん外の風雨を避けるためだろう。
古いところは、まだ日本人が小柄だったころのものなのか
天井がやけに低く感じられる。
あたしでも手を伸ばせば指の腹がぺったりとつく。
撩だったらもしかしたら低いところでは
頭をぶつけてしまいそうだ、とその惨劇を想像してしまい
歩きながら吹き出しそうになってしまう。

さて、駅まで足を運んでも今日も依頼は無かった。
また来た道を無益に引き返さなければならないのかと思うと
さっきまでの道のりがやけに長く感じられた。
それは地下の通路を通ってきたことと無関係ではないだろう。
無機質な四角いトンネルの中は、外の通路と違って
距離感がいまいち掴みづらいのだ。
なのでいつもより短くもあり、また長くも感じられる。
それに、普段だったら目に留まって
足の疲れも忘れさせるものも今日は無い。
街路樹は徐々に萌黄から色を濃くしていき
通りにはいち早く流行りの春物をまとった女性たちが颯爽と歩く、
そしてショーウィンドウはそれぞれ工夫を凝らして
今という季節を切り取ろうとしているのに
今日、目に映るのは殺風景な白いタイルだけ。
つまらない、実につまらない。

ようやく花園神社の手前まで辿り着く。
ここから先は地上に出なければならない。
靴を濡らさないように慎重に歩かないと。
――明日は天気になりますように、と
視線の先の赤い鳥居に小さく願った。
晴れたらまたいつものように街を歩くことができる
あたしの好きな新宿の通りを。

Yahoo!地図:新宿サブナード