私のお母さん

あの撩が珍しく男の人から依頼を受けてきた。
その依頼人というのが、この新宿で風俗関係なんかを
手広くやっている、半分カタギではなさそうな人で
どういう風の吹き回しかと最初は不審に思ったものの
どうやらあいつはその人にちょっとした弱みを
握られているらしい。客としてではなさそうだけど。

で、その依頼というのが店の今売出し中の娘に
悪い虫が付きまとっているので
それを追っ払ってほしいとのことだった。
彼女は元銀座のホステスという触れ込みなので
(そういうのや元AV嬢が風俗くんだりに、というのが
売れるらしいというのは某種馬の弁)
せっかくの有望株を、この街に妙な噂が流れる前に
余計な傷から守ってほしいそうだ。

ただ、悪い虫の正体については
このオーナーもマネージャーも
知り合ったばかりの同僚も何も聞いていなかった。
元・銀座のホステスというプライドが
弱みをひた隠しにさせているのかもしれない。
それまでとは違う、彼女のどこか怯えた様子などから
そう推察しているに過ぎなかった。
とにかくストーカーなのか、それとも別のトラブルなのか
正体を知らなければこちらも打つ手がない。
彼女に対してはいつもどおりの密着ガードで
(そしてあいつはいつもどおりの猛アタック→ハンマー→簀巻きで)
その周囲に眼を光らせていると、ようやくその悪い虫が
姿を現した。その正体は――彼女の実の母親だった。

「いっつもああなんです。前の――銀座のお店にいたときから」

あちこちに借金を作っては首が回らなくなって
そのたびに稼ぎのいい娘にたかっていたとのことだった。

「最っ低の母親ですよ。いつも男を取っ替え引っ替えして
そのたびに捨てられて、もう男はこりごりだなんて言っておいて
結局一人じゃいられなくて、で、いつもあたしは置いてけぼり……」

彼女――さおりさんの眼が虚空を彷徨った。
実際に母親を目の当たりにして、彼女の子供時代が容易に想像がついた。
確かに昔はいかにも男好きしそうな美人だったのだろうけれども
今でもその頃の輝きにすがりついているかのような
派手な服装に化粧、けれども年齢以上に要らぬ苦労が
刻み込まれた、醜く年老いた顔――
きっと揃いも揃って碌でもない男にばかり惚れたのだろう
この冴羽撩以下の、最低な男に。何人かからは
殴る蹴るもされたのかもしれない。けれども
その母親に対してあたしは同情することはできなかった。
本来それよりもやるべきことがあったはずだ、母親として。

「水商売の世界に入ったのだって、半分以上は
あの人に対する当てつけですよ。ほとんど自暴自棄」

そう「あの人」、と他人のように呼んだ。

「あたしのことをブスで頭が悪くて
行儀もまともにわきまえていない、いらない子だって
お前なんか生まなきゃよかったって、いっつもそう言われて。
だから性格は今思えば最悪でした
ずっと『あたしなんか』って捻くれてて――
銀座のお店に入れたのだってただ運が良かっただけなんです。
でもそこで、美代子ママがこの世界の、一般社会の常識を
一から教えてくれました。そして……気づかせてくれたんです
あたしはブスでも馬鹿でも、要らない子でもないんだって」

問わず語りを続けるさおりさんの目からは
いつしか大粒の涙が零れ落ちていた。

「でもそのママが借金を抱えてしまって――
パトロンさんの連帯保証人になって肩代わりしてあげたんです。
それでお店の権利も売って、それでもまだ足りなくて
伝手を頼って新宿で小さなお店を始めたんですけど
働きづめに働いて、それで病気で働けなくなってしまって――」
「だから風俗に鞍替えした、ってわけか」

撩の言葉に彼女はこくんと頷いた。

「でも、これって変ですよね。赤の他人のために躰まで売って
そのお金は実の親には渡せないなんて」

あたしにはそれは否定できなかった。撩もきっと同じだろう。
人としての繋がりがときに血縁を超えるということを
共に身をもって知っているのだから。
だけど、あたしは養女とはいえアニキたち槇村家の家族とは
養子縁組という形で誰もが認める絆があった。
でも、彼女とママとの固い絆は
二人の間にはっきり結ばれているとしても
それが母親はじめ世間の眼にははたして見えているのだろうか……

「さおりさんにとって、美代子ママがママなんだろう?」

そう問いかけられて、さおりさんは泣きじゃくりながら
それでもどこか笑みを浮かべて大きく首を縦に振った。
それは、やっと居場所を見つけられたような嬉しそうな表情で。

「あの人はあたしを生んでくれた人かもしれません。
でもただそれだけです。あたしにとってママは
美代子ママただ一人なんです」

顔を上げるとさおりさんは、はっきりと言い切った。
その表情には、たとえ泥沼の中であろうとも
自らの想いを貫き通す信念と誇りのようなものが
あたしには感じられてやまなかった。

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