眠らない街が眠る夜

歌舞伎町の裏通りは、八甲田山と化していた。

「……ウソだろ?」

と思わず呟いたとしても、それは紛れもない現実だった。
表の車が行き交う道ならタイヤが絶えず除雪してくれるが
そうはいかない所だと、うず高く積もった雪を
踏み分けて行かなければならない、といっても
さすがに人の背丈ほどではないので
雪国の人間からすれば笑い話みたいなものだが。
しかし、だいぶ記憶から薄れてきているとはいえ
冬のニューヨークだってここまで降っただろうか。

積雪はすでに20cmほどはあろうか
普通の靴なら雪が中に入ってくる深さだ。
しかも轍はおろか、先達の足跡すら無い。
文字どおり道なき道を進まなくては。
そうやって雪を掻き分け道を作っていったとしても
本日二度目の

「……ウソだろ!?」

夜はこれからだというのに、お目当ての店は軒並み閉店。
よく考えれば無理もない、通常どおり営業していたら
もっこりちゃんたちの帰る足は無くなってしまうのだから。
それにしても、自分勝手と謗られて当然だが
ようやく報酬が振り込まれて、これでやっと
小遣い=飲み代も懐に入ったというのに
それを盛大に落っことすこともできやしないとは……
しかも週明けから、香のヤツがまた仕事を
入れてきやがったのだから、これで当分遊べそうもない。

しかも、今夜だってそのあいつに
「夕飯要らない」って言っちまったんだよなぁ。
それを思いだしたら、酒よりもまず腹が減ってきた。
こういうときはあったかいラーメン大盛りが一番なのだが
あいにく、街全体がゴーストタウンと化しているようだ。

「……帰るか」

といっても、帰ったところであいつが俺の分の
夕飯まで用意してくれているかは定かではない。
それでも、踵を返して家路に就こうとする俺を
吹雪寸前の風雪が襲う。
雪だけでなく風も舞っているので
真っ直ぐに降ってこないばかりか、
ビルの谷間ではつぶしたホースの先のように
突風が飛びかかってくるので
折り畳み傘では容易に引っくり返ってしまうだろう。
おまけに、先述ながら足場も当然よくない。
危うく都会の真ん中で遭難しそうな勢いだ。

「山岳部隊じゃねぇんだぞ!」

と這う這うの体で表通りまで出てきたら
なぜかあいつがいた。
スキニーパンツに膝下まであるロングブーツ
(もちろんヒールは低いが)
ダウンのコートにニットの帽子をすっぽりかぶって。

「どうしたんだよ」
「あ、撩こそ」

この時間帯なら家で夕飯の支度をしている頃だが。

「一人分だと作る気しなくて
デパ地下のお惣菜にでもしようかなって
伝言板の帰りに寄ってみたんだけど
これがことごとく壊滅」

で、西口から地下街まで虱潰しに当たっていたら
こんな時間になってしまっていたらしい。
一人で良いもの食おうと思ってるんじゃねぇよと
いう非難はここではやめておく。それだって
俺の今夜の飲み代(予定)に比べれば
ささやかな贅沢ってものだったはずだ。

「あー、おなかすいたぁ」

とこっちも同様なのもおかまいなしに呟く。

「これから帰って作るのもなぁ……
そこまで待ちたくないし」
「家に何も無いのかよ」
「昨日の酢豚の残りだけ」

飯とおかず一品だけってのもなぁ。

「あ、レトルト」
「ダメ、あれはお金無くなったときの
非常食も兼ねてるから」

そうとぼとぼと未だ雪が斜めに降り続ける
通りを歩いてると、見慣れた看板が目に入った。

「ドナルドマグ……」
「あそこで夕飯ってのは……」

それだけはNGだ。あんなの間食にしかならない。
(香に言わせれば「お昼まで」だそうだが)

そうは言っても、この大雪では
新宿の繁華街とはいえ、どの店も早じまいだ。

「あーあ、結局自分で作んなきゃならないのかぁ」

という香の嘆きもよく判る。
ここからアパートに帰りつくまででも
この天気じゃ結構な行軍だ。
だが、自分で台所に立たなければ
今夜は夕飯にありつけないのだ。

「――しょうがねぇなぁ」
「りょう?」
「あ、期待すんじゃねーぞ。
俺“が”作るんじゃなくて
俺“も”作るんだからな!」

俺だって今すぐ何か腹の中に入れたいのだ。
でも、どっちにせよ待っていなければならないのなら
自分も台所に立った方が少しは早くありつけるだろう。
もちろん、それで空腹を紛らわせられるとは
少しも期待はしていないが。

「材料はそろってんだろ?」
「うん、昨日ちゃんと買い込んでおいた」
「じゃあちゃっちゃと作れるもんがいいな」

相変わらず腹はぺこぺこだ。
でも希望があれば、吹き付ける風雪にも
向かって、前に歩いていける。