Saving All My Love For You

歌姫が死んだ。
死因については未だはっきりしたことは判っていないが
状況からしておそらくオーヴァードーズ(薬物の過剰摂取)だろう
彼女の元夫も、そして彼女自身も薬物常用の過去があったのだから。

テレビの追悼ニュースでは必ずバックに数々のヒット曲が流れ
ラジオでも一日中リクエストがひっきりなしのようで
おかげで頭の中でもぐるぐるとパワープレイ中だ。
香にいたっては、家事をしながら口ずさんでいるくらいだ
いかにも耳で覚えたカタカナ英語で。
ちょうど『世代』というか、どれも俺たちの間でいろいろあった頃を
彩った歌だから、きっかけさえあればいつでも思い出せるものばかりだ。
だが、それ以上に香のそんな姿をぼんやりと眺めていると
彼女の短く不幸だった人生があいつのそれとが重なって見えた。

彼女の薬物常用は夫から教えられたものだったのか
彼との結婚生活の苦痛を忘れるために覚えたものだったのか。
海の向こうの素人の知るところだから確かなことは言えないが
彼との結婚を周囲に反対されていたらしい。
その懸念は見事に的中した。
彼は様々なトラブルを引き起こすだけでなく
彼女に対してもたびたび暴力をふるったという。
結果、彼女は夫と別れ、薬物からも決別する道を選んだ。

類い稀なる歌唱力とモデル並みの美貌
音楽活動だけでなくスクリーン上の演技でもその才能を発揮していた。
あんな男に捕まりさえしなければ……

「みんなどこのテレビでも、あのダンナと
結婚しなければ、って言ってるけどさ――」

俺の思考を見透かしたように、洗濯物を干し終えた香が
空になった籠を足元に置くと、ソファに向き直った。

「でも、不幸だったって言えるのかな。
そりゃ、DV受けたりクスリに走ったり
結局それで離婚しちゃったわけだから
傍から見れば典型的な『不幸な結婚生活』よ?
でも、あれだけ反対されていたのに
自分の意志を押し通したんだから、
そうなることは判っていたのかもしれない」

もちろんそれは彼女のことを言っているのだろう。
だが、その言葉の主語がまるで香自身のように思えてならなかった。

「もしかしたら、本当は彼女は幸せだったのかもしれない――
もちろんあんなところで死んじゃうなんて
思ってもみなかっただろうけれど、
それでも自分の選んだ道を全うして
自分の好きな人を愛することができて――」

香だってそうだ。
俺のパートナーとして、伴侶として生きるという選択は
周囲からすれば決して賛成できるものではないはずだ。
ロクに仕事はしないわ、ツケばかり溜めてくるわ
実際手を出していないものの、『精神的な浮気』は常習犯だ。
そして、その生業は人の生命を奪うこと――
いつ生命を落とすか判らないのみならず
誰かの不幸の上に自分の幸福が成り立っているということ。

それでも、香はその選択を、今の自分を幸福だと言い切った。
もちろん歌姫自身がそうだったかどうか、俺たちには知る由もない。
だが、少なくとも香の幸福を翻させないために
あいつの決然とした眼を曇らせないために
俺には何ができるだろうか――とりあえず俺は
咥えていた、まだ長く残っている煙草を灰皿に押しつけた。

http://mainichi.jp/select/person/news/20120220k0000m030008000c.html/