Vintage

見慣れないしぐさに思わず目が釘付けになった。
外から帰ってきた撩が、ヒップポケットから
二つ折りの財布を抜き出したのだ。

「あれ、あんた財布持ってたの」

いつもポケットにじゃらじゃらと小銭を入れては
そのまま洗濯に出していたから
てっきりそんなものは持ち歩いていないと思ってた。

「もっこりちゃんとお茶するとき、さすがに剥き身ってのもまずかろうが」

確かに『種馬』の言葉としては至極もっともだ。
じゃあ何で財布を持ち歩いているにもかかわらず
ポケットにも小銭を入れておくかというと、
あの逞しく盛り上がった(その道の人にはヨダレものの)ヒップだ
ポケットから出し入れするには少々窮屈なのかもしれない。

リビングのガラステーブルの上に投げ出されたそれは
シンプルな黒いレザーのものだった。
飾りらしい飾りのない財布はずいぶんと使い込まれているようだったが
きっと革が良いのだろう、くったりとしながらも
丁寧に手入れされたものだけが持つ光沢を放っていた。

でも意外といえば意外でもある。
小銭の扱い一つとってもお金にルーズなあいつが
わざわざ自分から財布を買ったりするだろうか。

「ああ、貰ったんだよ」

そんなあたしの懸念を見透かしたように撩が先手を打つ。
だけどその答えがよけいに疑念を膨らませた。

「心配すんな、野郎だ」
「誰よ」
「俺のホルスターを作ったやつ」

そういえば、パイソンを収めるホルスターも同じような革製だった。
こちらもずいぶんと長い間使い込まれており
すっかりパイソンの形になってしまったほどだ。
だが、財布以上に過酷な状況で使われているにもかかわらず
目立った傷やほつれは無かったように思う。

「俺が料金なかなか払わないもんだから
こいつ押しつけて『財布ぐらいちゃんと管理しやがれ』ってさ」

なるほど、撩らしいや。その顛末も
今も彼の手の中にある財布そのものも。

ブランドロゴの類には昔から興味は無かったけれど
こういう素材のしっかりしているものにずっと憧れはあった。
特に、こういった革製品は。
思い起こせば、それはアニキの影響だったのかもしれない。
服はよれよれでも、いつも靴はいいものを履いていた。
それを時折り、アニキに代わって手入れしていたけれど
触れただけでも自分の合皮のローファーとは全然違うことに気がついた。
そしてそれはあたしにとって、大人の世界そのものだった。

撩もやっぱり靴にはこだわっているようだ。
あの馬鹿でかいブーツの手入れはもっぱらあたしなのだが
しっかりとした造りのそれは、どんな過酷な状況の中でも
底が剥がれたり縫い目がほつれたりすることは無く
彼の足元を常に守り続けていた。
もちろん古びてくたくたになりつつあったが
それでむしろ履きやすくなっているくらいだし、
無数の細かい傷さえもまるで勲章のようであった。

それに比べればあたしの安物のバッグなど
使えば使うほどボロボロに、みすぼらしくなっていくだけだった
傷ばかり目立って――リアルレザーは高いのだ。

「どうだ、それ?」

視線だけで、ドアノブに掛けられたままのショルダーバッグを示した。
あまりにも先代がボロボロになってしまったのを撩が見かねて
プレゼントの季節でもないのに買ってくれたものだった。
それまでの合成皮革ではない、本物の革製。
しかも、応急セットやら手榴弾やら余計なものを入れ込むクセのあるあたしにとって
コンパクトな見た目以上に収納力があるというのが有難かった。
そして何より、しなやかな手触りがそれまでのものとは全然違った。
だけど――

言ったところでどうしようもない不満なのだが
まだ新品の持つ硬さがどこか恨めしかった。
撩のあの財布なんか、きっと手に吸い付くように違いない。
もちろん、いつまでたってもごわごわしたままの合皮とは違い
いつかはこのバッグもそうなるはずなのだけれど――
要は嫉妬していたのだ、その財布に、ホルスターに
あたしよりも長い間、撩と共に過ごしてきた革たちに。

「うん、使いいいよ。気に入ってる」

そんな釈然としなさを抱えたまま、口だけでそう答えた。
釈然としない理由はもう一つ、
プレゼントというわけでもないのに、こんな決して安くないものを
買ってもらってしまったという負い目もあった。

でも撩は、あたしの言葉にほんのわずか
――あいつにとってはかなり――表情を緩めると、

「大事に使えよ、いいもんなんだからな」

そう言った。

ただの安物は使い続けていくうちに古びていくだけだ
でも本当に良いものなら、使えば使うほど
重ねてきた時間が、丁寧に使い続けた思いが味わいとなって表れてくる。
だったらこれからあたしが使い込んでいけばいい、このバッグも
撩の財布やホルスターに劣らぬ味が現れるまで。
そして、あたしたち自身の関係も。

あたしと撩の関係が『素材の良いもの』かどうかは自分でも判らない。
人もまた、時を重ねるにしたがって
出逢った頃の熱い想いを見失ってしまいがちな生き物。
でも10年、20年後、あたしたちも
いい感じに使い込まれていますように。