Madame/Mademoiselle

「聞いたぜぇ、ブロンド美人に振られたんだって?」

その話を聞きたいがために、歌舞伎町中を探し回ったのだ。
同じくブロンドの悪友は顔も見られたくないと視線をそらす。
隠そうとした頬には今も真っ赤な手のひらの跡が残っていることだろう。

「そりゃあなぁ、フレンチ娘にマドモアゼルなんて言ったら
肘鉄くらうに決まってるだろ」

英語の『ミス』もフランス語の『マドモアゼル』も
どちらも辞書的な意味では未婚女性につける言葉だ。
ドイツ語だったらフロイライン、昔懐かしスペイン語ならセニョリータだ。
だが、ヤツみたいな英語話者、つまりは英語中華思想の持ち主が陥りそうな罠だが
これらの言葉は英語の『ミス』とイコールとは限らないのだ。

例えばA.クリスティの生んだ老婦人探偵ミス・マープル
(ちなみに香がドラマで見ていただけで、俺も読んだことはない)
その名のとおり、結構なお歳ではあるが結婚歴なしの、いわゆる『老嬢』というやつだ。
イギリスの小説なんかにはこの手のミス○○がよく現れるが
これが大陸となると、ただ結婚したことがないという一点だけで
ミスと呼ばれることはおそらく無いだろう。

それでもあいつは納得がいかないらしく、未だに憮然としていた。

「なぁミック、お前こっちに来てから何年になる?」

えーと、ひぃふぅと今どき日本人もやらないような古典的な方法で数えはじめる。
Do in Rome as the Roman do(郷に入っては郷に従え)とはいうが
奴もすっかり日本的な考えに染まってしまったらしい。
いや、アメリカ人も例外的に「畳と女房は新しい方が良い」文化圏に入るのか
じゃなかったら、あれだけセレブが躍起になってシワ取り手術を受けるはずがない。
もともとヨーロッパに比べれば若い国だけに、取り柄はその『若さ』しかないのだから。

それにひきかえ、特にフランスは「女とワインは年代物の方が良い」お国柄だ。
だから街往く女性に「マドモアゼル(お嬢さん)」とは呼んではいけない
それは取りも直さず彼女たちを小娘扱いしているということなのだ。

「なぁ、その彼女、齢いくつだ?」
「訊けるわけないだろ?ジェントルマンのオレに」

おーおー、れっきとしたレディをお子様呼ばわりしておいて。
話では向こうの大学を出た後にこっちに留学してきたというから
おそらく20代半ばというところだろうか。
マドモアゼルかマダムか難しい年頃ではあるが
ここはサービスでも『マダム』と呼ばないと。
この辺は新宿在住・ワールドワイドなナンパ師だったら当然の常識。

もちろんマドモアゼルにはマドモアゼルのぴちぴちとした魅力があるが
この齢になって(公称「万年ハタチ」だが)気がついたのは
マダムにはマダムの魅力があるということだ。
もちろんそれを気づかせてくれたのは、『マダム』なんて言葉とは程遠い我がパートナー。
裏切りは女のアクセサリー、といったのは某三代目の世界的大泥棒だが
俺に言わせりゃ、目尻のシワだって充分熟女のアクセサリーだ。
そこに刻まれた経験と、それに裏打ちされた包容力は
小娘がいくら逆立ちしたって敵いっこない。

(だけどあいつ、英語だとまだ『ミス』なんだよなぁ)

すでにミス/ミセスという区別をつけずに
その両方を表す“Ms(ミズ)”という呼び方が定着はしているが、
香の戸籍はあれから子供のことが付け加わっただけで
それ以外はまっさらなままだった。
だが一方で、この街の住人だったら俺たちのことを知らなければモグリだ。
彼らにとっては俺はあいつの「亭主」で、あいつは俺の「嫁さん」で
少なくとも俺たちは「伴侶」同士なのだ。
『ミス』であり『ミセス』であり、そのどちらでもない存在。

もし「マドモアゼル」と呼びかけられたら、香は振り向くだろうか?
ある意味、その呼び名もまた事実なのだから
――それが、俺の存在を無視することになろうとも。

自分でそう思いついておきながら、胸糞が悪くなる。
その苛立ちをぶつけるように、目の前の皿の中のナッツを思いきり噛みしめた。

消える「マドモワゼル」、フランスの行政文書で使用禁止に