thirty years after

ふっと思い立って街に出た。今日がちょうどその日だったから。
毎日通う伝言板のある新宿駅を抜けて西口、中央公園に。
高層ビルのふもとに広がる緑は、近くのオフィスに勤める
サラリーマンやOLさんたちの憩いの場であり、
それに紛れるように接触の場に指定してくる依頼人も多い。
今日はそんな約束もなかったけれど。

植込みを背にしたベンチには、ちょうどお昼どきということもあり
近所の勤め人たちが思い思いにランチタイムを過ごしていた。
お弁当を広げ合う若い女性
ベンチ一つを占拠して午睡を決め込む男性
またある人は、すでに賞味期限の切れかけていた
今日の朝刊を広げていた。
その光景になぜか心が波立ち始めた。

ビルの足元を抜け、大ガードをくぐれば
また打って変った猥雑な雰囲気。
通りを彩る看板は変わっても、この空気は昔のままだ。
そして、角を折れれば歌舞伎町の歓楽街ということもあり
通り沿いのビルにかかった看板の中には
どこかいかがわしげなものも交じっていた。
今でこそそれは見慣れた風景だけれど
昔はそんなものを目にするたびにやけにどぎまぎしたっけ。
ただ、街を行き交う人々はそんな看板を気にすることなく
少しずつ春めいてくる日差しの中を颯爽と通り過ぎる。

――ねぇ〜、もっこりちゃ〜ん♪

雑踏の中に空耳だけが響き渡る。
確かに、そろそろ恋猫もうるさい季節
もっこり男が冬眠から覚めてもおかしくない頃だ。
といってもヤツは年がら年中発情期なのだが。

そこから一歩、細い路地に入る。
ビルの谷間の真昼でも日の当たらないそこは
相変わらずビールケースなんかが転がっていた。

「変わんないなぁ、ここは」

もちろん、この辺もすっかり様変わりしてしまった。
ただでさえ店の入れ替わりの激しい街だし
まして、あれからもう30年も経ってしまったのだから。
あの頃、ポケットの中でやたら自己主張していたカメラも
今では手のひらに収まるほどの携帯電話で済んでしまうのだ。
そのレンズを路地から、表通りへと向けた。

「――おい、なんの真似だ?そりゃ」

一瞬、今がいつか判らなくなってしまった。
もちろんその口調にはあのときのような
咎め立てする厳しさは無かったのだけれど。
あたしの前を遮るように立ちはだかったのは、一回り大きな影――

「ぼうす――っていう齢じゃねぇよな」
「りょう――」
「でも、相変わらず色気ない格好しやがって」

それもそうだ、今の格好もフードつきのジャケットにジーンズ姿なのだから。
いい齢してこういう服もどうかとは思うが、主婦にとってファッションは着やすさが命
ましてや仕事柄、動きやすさも重要なのだから。
撩はというと、もしかしたらあの頃より少し痩せたかもしれない。
だけど鍛え抜かれた身体は今も通りで人目を惹くほどだ。

「ねぇ撩、ここがあたしたちが初めて逢った場所なんだよ」
「ふーん、そっかぁ?」

気のない返事をかえしてきても、本当は判っているはずだ
初めて出逢った今日という日付も覚えてくれていたのだから。

「まさかあのもっこりスケベと30年後も一緒にいるなんて思ってもみなかったなぁ」

あれから、さまざまなことがあった。
時代は激しく移り変わり、その荒波はあたしたちを呑みこんだ。
そんな波とはおかまいなしに、あたしたちに襲いかかった嵐もあった。

「俺は思ってたって言ったら、信じるか?」

そう言ってあたしを見つめる真っ直ぐな眼は
からかっているようであり、でも本気のようであり――

でも、今はともに慶ぼう
30年後の今日もともにいられる幸福を。