【R15】飛んで火に入る夏の虫

安普請らしい古びたラブホテルの廊下には
あちらこちらから、安物のベッドのきしむ音と
あられもない嬌声が漏れ聞こえていた。
いや、これはすでに「漏れる」と言っていい程度ではない。
廊下でさえこうなのだから、それぞれの部屋の中でも
隣室の声が聞こえていてもおかしくはないはずだ。
それがもし気にならないというのなら、彼らもまた
同じように盛大に喘いでいるからということなのだろうか。

こんな状況では奴の居場所を突き止めるのは厄介かと思われたが
何てことはない。その中でも一番声が派手なところを突き止めればいい。
確かに彼らの声量は、他の部屋と比べてひときわ大きかった。
こうしてドアの近くにまで辿り着いてみると
振動さえ靴の裏から感じられるほどだ。

女の声はポルノ映画の媚びるような下卑な
いかにも作りめいたものではなかった。
堪えられぬ快楽がもたらす本物の声
それはこの場にいる我々すら劣情を催させるほどでありながら
どこか凛とした清さをも感じさせるものであった。

そして、その合間からかすかに聞こえる男の声――
あの男が女に喘がされているなど夢にも思わなかった。
無論、男には男の矜持がある。
だがそれを曲げさせてしまうほどの女なのか。
資料は少し古いものの、男勝りで気が強く
女と思われている様子はないとあったが
我々の調査不足か、それともその数年の間に
これほどまでに女を変えてしまう何かがあったのか。

――まぁいい、かえって好都合だ。
どんなハニートラップにも引っかかるどころか
飛んで火に入る夏の虫とばかりに容易に罠にかかったかに見えて
決して理性を失うことはなかった男が
これほどまでに女に溺れているのだから。
これならさすがのシティーハンターとて生命は無いだろう。

そのとき、ドアの向こうから奴の声がした。

「てめぇら、只見しようなんて思ってんじゃねぇだろうな?」
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「見たきゃそれなりのお代はちょうだいしないとな。
もちろん命で、だが」

と言うと、パイソン――もちろん枕の下に隠しておいたもの――を
ドアに向け、銃爪を引き絞った。
買った女なら上に跨らせて、ついでに盾代わりにしても心は痛まないが
相手が香となると、傷一つその白い肌につけさせるわけにはいかない。
むしろいつものノーマルポジション、覆いかぶさって守ってやっている形で
片手腕立ての体勢で上体をひねってドアに向けているのだ、やや無理はある。
だが、そんな泣き言はいっていられない
こっちは命懸けの俎板ショーなのだ、文字どおり。
(言葉の意味が判らなかったら、お父さんに訊いてみよう)

仕事は片をつけたにもかかわらず、俺たちを狙っている気配があった。
いつまでたってもついてくる金魚の糞のような奴らだったから
ずるずる連れ帰るよりは、さっさと始末した方がいいと
相棒としけこんだ場末のラブホテル。
このベッドだって、スイッチを入れればぐるぐる回る代物だ。
もちろんそんなもの俺には必要はないのだが。

香も了承済みだ。
それどころか、言い含めて協力してもらっている。
この盛大な喘ぎ声だってそう。
もちろん演技ではない、それは0を100と謀ること。
ではなくて、なるべく声は殺すなと囁いただけだ。
要は1を10に嵩上げしただけのこと。
ただ、あいつの場合、ひとたび声を上げ始めると
今度は自分の声で感じてしまうから
もしかしたらこの状況を忘れて興じかねないと思ったが
それは杞憂のようだ。俺の下にいる香は
頬には喜悦の紅みを残しながらも
さっきまで男に喘がされていたとは思えない眼で
ローマン――これも枕の下かどこかに隠していたのか――を
とっさに構えていたのだから。

ドア越しに撃ったものだから、相手の姿など判らない。
当然、急所を外すような器用なことはできるはずもない。
ただ、殺したなら殺したまでのこと
濡れ場を修羅場に変えるつもりだったのなら
馬に蹴られなかっただけましなくらいだ。
だが、ドアの向こうから周りの嬌声に交じって聞こえたのは
それとは違う呻き声と、がたりと何かを落とした音。

「お代代わりにその無粋な鉄の塊を置いていくんだな。
今夜はそれで勘弁してやるよ。
でも次、出歯亀を働こうっていうんなら
そのときは――あの世で後悔するんだな」

そう言い放つと、大の男の足音が三つほど
そこから遠ざかっていった。
俺はようやく向き直り、右手のパイソンを
枕の下、香の邪魔にならないところに再びひそませた。
そして、

「ほら、そんな危ない玩具はしまって」

と、香の手からローマンを受け取り、並んで隠した。
空いた右手で頬を撫ぜれば、さっきまで凛としていた瞳が
淫らに蕩けた。

「じゃあ続き、始めるか」

さすがにドアの向こうに屍が転がっているところで
あんあんやるのはお互いに寝覚めも悪いだろう。
だが、この世ってやつは案外そんなものかもしれない。

「ハエにとってセックスは命取り」、音でコウモリの餌食に 独研究 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News