平和の祭典

「なんだ、起きてたのか」

それはこっちのセリフだっつーの。
幸いにも夏休み中のオリンピック、
いろいろある競技は観戦しきれないものの
開会式くらいは生で見たかった。
ただのセレモニーと侮るなかれ、後で録画で見られるけれど
聖火をだれが点火したかとか、見る前に囁かれたら
やっぱり面白くないもの。まして、あたしの周りには
いっぱいいるからなぁ、そういう手合いが。

なので、わざわざ目覚ましを4:30にセットしておいたのだ。
これなら褒められこそすれ、夜更かしと叱られることもない。
どうせパパは早起きというより、ついさっきまで
ママとよろしくやってたんでしょうよ。

「ん、これどうしたんだ?」
「これ?入場行進のお供

パパが目に留めたのは、あたしの中学の頃の地図帳
これを広げて、入場してきた国の位置や国旗などを調べるのだ。
もっとも、独立国以外の国旗は載ってないことも多いし
そもそもそれ以降、旗が変わったり新しく生まれたりした国もある。
あたしが生まれる前、ちょうどパパとママが
くっつくかくっつかないかの頃と比べればまだマシなんだろうけど
今でもそうやって世界は動いているのだ、確実に。

あたしと五輪の付き合いは、96年のアトランタは
さすがに1歳だから記憶には残っていない。
その次のシドニーが辛うじて覚えている程度で
本格的に残ってるのは次の冬のトリノ、そして夏のアテネからなのだが
その記憶の断片が開会式の選手行進だったのだ。
あの悪名高い虹色マントはやたらと焼きついてしまっている(--;)
もちろん、開催国のお国柄を表すスペクタクルも見ていて楽しいけれど
国によってはユニフォームが民族衣装だったり
アナウンサーの紹介コメントを聞きながらだと
意外と地味にお勉強になるのだ。
だからママもまだ幼いあたしに見せてくれたのかもしれない
世の中にはいろんな国があって、いろんな人がいるのだと。

パパは上半身裸というあられもない姿でソファに寝ころびながら
たまたまやってるからというくらいのテンションで見ていたものの
カメラマンもしょせん男ということか、各国の美人選手が大映しになると
眠たそうな眼を見開いて大画面を凝視していた。
特に旗手ともなるとその国自慢の美女を抜擢する選手団も多いし
伝統衣装の中には露出が多いところもある。
おかげで視線だけはテレビにかじりつきだった。
美女といってもさすがに世界各国から集まっているだけあって
ブロンドあり、アジアンビューティーありとさまざまだけど
どうやらパパのタイプはラテンアメリカや中近東などの
目鼻立ちのくっきりした、ちょっと気の強そうな感じのようだ
食いつき方が違う。
やっぱりそれは育った環境なのだろうか。
とはいうものの、アフリカ諸国のブラックビューティにも
ちゃんと熱い視線を送っていたのは、さすがは種馬というべきか。

それでも、失礼にも相変わらず寝転がったまま
美女を鑑賞していたパパが起き上ったのは
とある国の小さな選手団がアナウンスされたときのこと。
そこはユニフォームもなんてことのない国旗の色のジャージで
とりたてて綺麗な選手がいるわけでもなかった。
だが、その身の乗り出し方は尋常ではなかった。
地図で調べてみれば――それは中米に位置する国だった。

「もしかして、ここって――」
パパの、育った国?

そんなあたしの問いなどまるで聞こえていないように
パパは画面をじっと見つめ続けていた。
パパがその国を抜け出した後もいろいろあって
ようやく本格的に平和が戻ったのは90年代に入ってからのこと。
けれども、ついこの前まで内戦だったところが
おいそれと普通の、そこそこ豊かな国になれるはずがない。
今回派遣された選手団だって、たぶん選手はほんの数人で
残りはコーチだったり、その国の委員だったりだろう。
アナウンサーによれば、未だメダルは取れていないらしい。

でも、そのちっぽけな選手団も裏返せば
この国が、ようやくそこまで元どおりになったということ
人々が明日の生命の心配をすることなく
たとえ一握りであろうとスポーツに打ち込めるまでに。

「メダル、今回こそ取れるといいね」

娘の言葉に、パパは視線をくれることはなく
ああ、と小さく頷いた。