みんなガンバレ

「えーと、ちょっと待ってねー」

と俺の視野外から声をかけるのは香――ではなく、なぜか絵梨子さん。
そう、ここは表参道の一等地にある彼女のオフィス兼アトリエ。
しかも、ここには一緒にいて然るべきの彼女の親友はいない。
いったい何でこうなったかというと、話は数日前に遡った。

注文の品を届けるついでと、我がむさくるしいアパートに立ち寄った
新進気鋭の売れっ子デザイナー先生。
どうせお目当ては香の顔を見にいくの俺たちに発破をかけることだろう。
余計なお世話だっつーの。

「絵梨子ー、貰い物のクッキーがあるんだけど」
「いいわよ、香。おかまいなく」

そしてリビングのテレビには、スポーツ観戦好きな香が
つけっぱなしにしていた高校野球の予選決勝。

「あ、ごめんねー」

と、アイスコーヒーとお茶請けを運んできたあいつが
リモコンに手を伸ばそうとすると
そんな、気にしないでと客人が制する。
それでもテレビのスイッチを消したのは来客に対する気遣いというよりは
誰も見ていないテレビがついているのが気になるという
あいつのケチ、もといエコなのだろうが。

「懐かしいなぁ、高校野球」
「そういえば香は1年生のときからせっせと行ってたもんね」
「だって楽しいじゃない、生の野球観戦は。
それに同じ学校ともなれば応援に力も入るし」

――二人が顔を合わせれば、俺の知らない世界の話になるのは
いくらいい気がしなくても仕方のないこと、と
諦めようと思おうとはしている。
だが、頭で判っていても心は言うことを聞いてくれないのだけど。

「でも、3年のときだっけ。いいとこまで行ったのは」
「ああ、そうそう!あのときは盛り上がったよねー」
「いいとこって?」

口をはさむ口調にも、思わず苛立ちの色が混じる。

「ベスト16だったっけ」

なんだ、その程度かよ。という素直な感想が
どうやら口をついて出てしまったらしい。
すると、

「撩、都内に野球部のある高校が
いったいいくつあると思ってんのよ!」
「それに、ただでさえ私立は全国から巧い子を集めて
勉強もそこそこに野球漬けにしてるんだから!」

と、ステレオで責め立てられたらたまったものではない。

「でもあれは香のおかげよねぇ」
「えーっ、なんでよー」
「だってあのときは香が応援団にいたから
野球部も気合が入ったって、もっぱらの噂だったわよ」

香が――応援団!?
高校野球の応援席がどのようなものか
毎年あいつのお供で見ていれば俺だって知っている。
炎天下のアルプススタンドに陣取る地元からの大応援団
そして、そこに花を添えるぴちぴちのチアリーダー……
俺がもし野球部員だったら、それに燃えないはずがない。
だが俺は、当然ながら野球部員などではなかった。
ということは、俺の知らない誰かがその
ぴちぴちの香を目にしていたということ――
いくら悔やんでもどうしようもないこととはいえ
その事実が俺の中で納得がいかなかった。

けれども、まず事実関係を確認しようにも
直接香に訊くのは何となく気が引けた。
なので、こっそりと絵梨子さんに電話を入れ
そのときの様子が卒業アルバムに残ってるということを聞きつけ
その現物を目にするべく、こうしてこっそり来ているというわけだ。
だが、肝心のアルバムは彼女のデザイン画や資料の山に埋もれて
なかなか出てこないようだ。
こうしている間にも苛立ちは募る。
香のミニスカートから伸びる太腿、はじけるような魅力――
ブラウン管越しに見た姿が香のそれにすり替わる。

「あーっ、有ったわよー!見て見て、冴羽さん!」

絵梨子さんが開いたアルバムのページに写っていたのは
パンチらすれすれのミニスカもまぶしい10代の香――ではなく、

「ね、これなら気合入っちゃうでしょ?」

学ランにたすき、鉢巻姿も凛々しい応援団長のあいつであった。
は、ははは……確かに、まだまだシュガーボーイの頃だ
そんな香がチアリーダーなんて格好はするわけないよな……。

「これで負けたら香に何されるか判らないって、言ってたわよ」

確かに、それもそうだ。
炎天下のスタンド、流れる汗を拭うことなく
腕を振り回し、声をからしているであろうあいつの眼は
グラウンド上の選手に劣らず、いやそれ以上に鋭かった。
それは、誰より俺が一番近くで見てきた
本気の香の眼差し。

「あー、冴羽さんったらもしかして
香がポンポン持ってチアガールやってたんじゃないかって
気が気じゃなかったとか?」

どうやら厄介な相手に気づかれてしまったようだ。
もっとも、誰が見てもバレバレだったのかもしれないが。

「じゃあ、今度のコレクションに香のこと
借りてもいいかしら」
「仕事が入らなかったらな」

ああ、どうぞどうぞお好きに。
これでNoと言ったらあいつにバラされるに決まっているからな。