1983.4/Easter Eggs

イースター休暇といえば、日本では春休みかGWにあたるだろうか。
時期的にはちょうどそのくらいなのだが
「春分の日から初めての満月のある週の日曜」という定義ゆえに
約1ヶ月の幅をもって年によって前後してしまう。
もっとも、そんなことはミッションスクール育ちでは毎年のことなのだが。

1年の予定のアメリカでの研修もようやく折り返し地点となった。
せっかくこっちにいるのだから、休みにはあちこち行けるかと思ったけれど
日本にいるとき以上に仕事に勉強にと忙殺されていた。
なので、せっかくのまとまった休暇だから観光らしいことをしようかと
前々から行先にいろいろ頭を悩ませていたのだけれど
実家からの電話でそれもお流れになってしまった。

「サエちゃん、春休みには帰ってくるんでしょ?」

字面にしてみれば強制のきの字もない
実際、口調もあくまで柔らかいものだ。
だがその言葉には我が家の誰も、あの外弁慶の父でさえ逆らえない
野上家の専制君主、それは家付き娘の母だった。

スーツケースを引きずって半年ぶりに我が家に帰ってくると
(ああ、そういえばもう過ぎてしまったけど
元相棒の妹の誕生日ついでに、彼にも逢ってこようかしら)
エアメールでは母がいつも家に寄りつかないと愚痴をこぼす次妹も
リビングに顔を出していた。
中学生の頃から悪い仲間とつるんでいるようだが
まだまだ一向に遊びに飽きていないようだ。まったく。
そして4月には小学2年生になる末の妹。

「それじゃ、全員揃ったみたいね」

すると、家長の登場とばかりに父を従えて
――実際、そうとしか形容しようがないのだ――
母が現れた、満面の笑みで。

その笑みを私たちはかつて眼にしたことがあった
まだ思春期真っ最中だった頃。
同じく目撃者だった麗香と顔を動かすことなく目配せしあった。

「今日お前たちを呼んだのは他でもない。
父様たちから大事な話がある」

警察幹部の威厳とばかりに場を仕切ろうとするが
記者発表の司会をするのはたいていNo. 2の仕事だ。

「我が家にまた、家族が増えることになりました♪」

――やっぱり。次妹と二人、内心で肩を落とす。
はしゃいでいるのは前回の“当事者”であった唯香ひとり。
そして嫣然と微笑む母――いったい私がいくつになったと思ってるのよ!

確かに母は若い。父に嫁いだのが学校を出てすぐの18歳のとき
その翌年にはすぐ第一子の私を生んでいるのだから
同級生の他の母親よりも半回りほど年下だ。
それ以上に、街を歩けば今も声をかけられるのではないか
というほどの容貌だ――アイツなら平気でナンパしかねない。
それにしても、母も母なら父も父だ
未だに「野上家の跡取り」を諦めきれないらしい。
もうこんなに大きい娘たちがいるにもかかわらず――
いや、娘たちが大きくなったからこその暴挙だろうか。
私は就職と同時に家を出て、麗香もどうせ朝帰りの毎日だろう
唯香さえ寝静まってしまえば後はどうにでもなるのだから。

「でも、実はそれだけじゃないの♪」

と、母が見せたのは2冊の母子手帳。

「「「えぇーーーっっ!!?」」♪」

ソプラノ、メゾソプラノ、アルト。三姉妹の声が見事にハモった。

「だから、どっちか男の子かもしれないでしょ。
あ、もしかして二人とも男だったりして♪」

すっかり取らぬ狸の皮算用の母は娘の眼も気にせず
父と手を取り合ってきゃっきゃとまるで女学生のようにはしゃいでいた。
社会に出ることなく家庭に入ったということもあるのだろう
こういうところは娘の私からしても若いというより幼いというか……
それもまた父が『子作り』に執念を燃やす所以なのだろうか。

「っもう、ちょっとは齢を考えなさいよ!
ただでさえ高齢出産なのに、双子だなんて――」
「でもサエちゃん、おばあちゃまがアキコ叔母さんを生んだのは
今のお母様よりずいぶん後だったわよ」

母もやはり女きょうだいばかりだったが
その当時は今以上に多産なのが当たり前だった。
引き合いに出された末妹など、長女の母より私の方が
年齢が近いくらいなのだから。

「ねーねー、生まれてくる赤ちゃんの名前
ユカがつけていいー?」

と、末妹が無邪気に母に縋りつく一方で
ここ数年ろくに言葉を交わさなかった次妹がそっと耳打ちしてきた。

「姉さん、もしかしたらわたしたちの子供と妹と
同い年なんてことになるかもしれないわよ」

まさかそのさらに数年後、それに近いことになるとは思わなかったけれど。

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