Reading Glasses

普段俺が撩のところを訪ねることは滅多にない。
警察官と殺し屋が繋がっていると世間に知られれば身の破滅
もちろんそれは事実なのだが、なおのこと申し開きもできない。
だが、女房など堂々と上がり込んでは用も済んだというのに
妹と延々と女同士の会話に花を咲かせて帰ることもしばしばだ。
だからそれは性格なのかもしれない
石橋をたたいて渡るといえば聞こえがいいが、要は臆病なだけなのだ。

けれども、先述のとおり奴のところには妹――香がいる
それに可愛い姪も。
行きつけの喫茶店で顔を合わせることもあるが
大抵こちらは勤務を抜け出してのこと、そう長話はできない。
なので、彼女たちの顔を見にという理由をつけて
腐れ縁の義弟に今度の仕事の書類を届けにきたのだ。

「まーた厄介なことを押しつけてきやがって」

そう撩はソファにふんぞり返って足を組みながら
桜田門の文字どおり門外不出の捜査資料に目を通す。
これが外に漏れたと知れただけで俺の立場も危うくなる。
だが、今回のことはそれに目くじらを立てる上層部も関わっていること
だからこそシティーハンターの手も借りなければならない。

一方の撩はというと、ただでさえ要領を得ない内容を
細かい字でみっしりと書き連ねた資料の“解読”に難航しているらしく
背もたれに上半身を預けながら、書類を持つ右手の位置を
何度か前後させていた、目との距離を調節するように。
すると、その試みもいい加減諦めたのか
俺たちにコーヒーを出してからいったんキッチンに下がったパートナーを呼んだ。

「かおりぃ、リーディンググラス」
「はいはい、老眼鏡でしょ」

その言葉はかなり意外だった。
どれくらい意外だったかというと、どうやらそれが
思いきり顔に出ていたらしいくらいに。

「槇ちゃん、口開きっぱなし」
「あ、ああ」

はい、撩と、香が奴に眼鏡を手渡した。

「そうなのよ、実はねアニキ――」
「言っとくが日本語限定だからな。横文字だったら眼鏡なしで読める。
だいたい漢字なんて棒が一本あるかないかで全然違う字になっちまうじゃねぇか」

確かに、奴にとっては若い頃は文字といえばアルファベットで
日本語の読み書きももちろん不自由ないが
慣れているのはどちらかといえば欧文の方だろう。
そうはいっても、最近の老眼鏡というのはお洒落なもので
受け取った細身の眼鏡をかけて資料に目を通す姿は
男の俺が言うのも何だが、なかなか様になっている。

「それに遠くはまだはっきり見える。本業の方は支障はないさ」

そう言って俺に資料を送り返してきた。
一応、念のためにそれに目を通すが

「アニキ、それもジジくさいと思うわよ」

撩の頼れる相棒として今回もサポートにつくべく打ち合わせに加わった香が
兄の姿を一瞥するなり、はっきりそう言い切った。
――無理もない、手元の資料を見るために
眼鏡を鼻へとずり下げて裸眼で紙面を眺めていたのだから。

「もともと近視だったぶん、老眼が入ってちょうどよくなったんだよ」

近視の場合、焦点が網膜の手前で結ばれてしまうが
老人性遠視、つまり老眼の場合はそれが網膜より奥になってしまう。
なので、結果プラマイゼロということになる。
もっとも、これから老眼が進めばより遠視側に傾くことになってしまうが。

「どんどん度が進んでレンズが分厚くなっていって
それでも齢をとったら逆に眼鏡が要らなくなるのを支えに
これまで眼鏡人生を生きてきたんだからな」

といったら大袈裟かもしれないが、ある意味で事実でもある。
今でこそファッションで視力が悪いわけでもないのにかけるやつもいるが
俺達の若い頃など眼鏡なんてマイナスでしかなかった。
もちろん格好いいフレームなんてのも無かったのもあるが
付いて回るイメージといえばガリ勉だのネクラだの、そんなのばっかりだ。
それゆえコンタクトへと“転向”した同志も少なくなかったが
俺の場合、眼鏡を外すと顔がぱっとしないのでかけ続けたままだった。

ブリッジに人差し指を押し当て、ずらしていた眼鏡を上げる。
今では技術の進歩のおかげで牛乳瓶の底をかけずに済むが
その代わりに相変わらず一番高いレンズのお世話になりっぱなしだ。
もっとも、色眼鏡を含め、流行のフレームもいくつか持ってはいるものの
普段や仕事のときはいつも、時代遅れのこのツーブリッジ。

一度は志半ばで、老眼には遠く及ばないまま命を落としそうになった。
だが今、こうして眼鏡なしで再びものを読むことができるようになって
さらにはこの元相棒の老眼鏡姿なんてものを目にすることができた。
まぁ、お互い50過ぎだ。万年ハタチもカラダのどこかにガタがきて当然だろう。
まだまだ長生きという年齢ではないが、あれからずいぶん遠くに来たものだと
慣れた感じで片手で眼鏡を外す元相棒の横顔に思った。
そんな光景を見ることができたのも、今まで生き延びてこられたおかげだと。

「ああ、そういえば香、お前はどうなんだ?」
「えっ、あ、あたしはまだ――」
「そうそう、そういえば槇ちゃん――」