stars in the eyes

東京のど真ん中では満天の星空など拝めそうにない。
見ようとするなら渋谷辺りのプラネタリウムに行くしかないだろう。
だが、こうして本物の星を眺めていると
わざわざ偽物を入場料まで払って見に行くのが馬鹿らしくなってしまう。

他県警から指名手配され、遠く新宿まで逃げてきた容疑者を
職質をかけて逮捕に至ったばかりに、私たちに護送が押しつけられた
その帰り道でのこと。

行きは雨交じりの曇り空だったものの
陽が落ちて帰路についたころにはすでに雲の切れ間が覗いていた。
どうせあとは無事署に帰ってくればいいだけ
少しばかりの寄り道もいいだろうと、私は勝手に
覆面パトカーを海沿いの路肩に停めた。

「おいおい、いいのか?」
「かまわないわよ、もう仕事は終わったんだし」
「署につくまでが護送なんだぞ」

と、相棒兼指導係はまるで小学校の教師のようなことを言う。
まぁ、警察幹部のお嬢様に苦言をいうヤツはいないか、という呟きが
陸風に乗って耳に入ってきた。

「それに、こんな星空――都心じゃ見られないわ」
「ああ、そうだな」

気がつけば彼もまた私の後に続いて
砂浜へと降りてきていた。

「ほら、そこでしょ。それに――ほらっ、そこにも!」

と、ついつい夢中になって目に入る星を
子供のように無邪気に指し示す。
けれども槇村は、その指先を追いながら
か細い目をさらに細めていた。

「どうかした?」
「――いや、もともと夜目が利かないものでね」

視力が悪いせいか、暗いところでは余計によく見えないんだと
すまなさそうに彼が言った。

「眼鏡をかけても?」
「ああ。ビタミンAは摂っているつもりなんだが」

私の目に見えているはずのものが、彼の目には映っていない――
そのとき私が心の中に抱いたのは、先輩を出し抜いてやったという優越感ではなく
むしろ、まるで全知全能であるはずの神に不可能があったかのような戸惑いだった。
槇村は、私と齢はそう変わらないはずなのに
刑事として、人間としてさまざまなことを目にし、経験し、知ってきた。
それは私の苦労なんてまだまだお子様だと思わせるほどであった。
そしてずっと、現場研修で彼と組み始めてからずっと
彼の眼鏡越しの目には私には見えない様々なことが見えていると信じていた。

「星――詳しいんだと」

いつだったか慣れない夜道で道に迷ったとき
槇村は北極星の位置を探し当ててくれた。

「一等星までは見えるんだ。それに俺は父親から
目印の星から探し方を教わっただけさ。
こんな風に雲でまだらになっていたらそれも見つけられやしない」

確かに、この空では大三角を探そうにも
シリウスが見つからなければブロキオンもベテルギウスも判らない。

「なぁ、野上は裸眼か」
「え、ええ……そうだけど」
「じゃあ判らないかもしれないな」

そのとき、冷たい風が私と槇村の間を通り過ぎていった。
コートを車の中に忘れてしまったことに気がついた。

「さすがにこの齢ではもう度は進まなくなったけど
昔、眼鏡を変えるたびに思ったものさ
今まで見えてきた世界はいったい何だったんだろうとね」

そして、肩にふわりと暖かなものが被せられた。
いつものよれよれのコートを掛けられたのだ。

「さっきまでは何の支障もなかった。はっきりと見えていたはずだった。
自分の目に、たとえレンズ越しでも映るものこそが世界と信じて疑わなかった。
だがそれは新しいレンズと比べればあまりにもぼんやりとしていた
『世界』を名乗るのがおこがましいほどに」

槇村は寒さに肩をすくめながら夜空を見上げていた
彼の目にはただの漆黒としか映らない夜空を。

「野上、たとえ君の視力と同じように矯正されたとしても
俺の目に見えるものは君の目に映るものとは違う。
誰の目にも、他の誰とも違う世界が映っているんだ」

私には、彼の言葉をすぐには実感をもって理解できなかった。
彼の見ている世界と、私の見ている世界は違う――だとしたら
唯一無二の『世界』は、『真実』というものは存在するのだろうか。
例えば『正義』は――それは一つでなくてはならない
そのたった一つの正義に私たちは身を捧げたのだ
それが人の数だけあったら何を拠り所にしなければならないのか――

「でも、だからこそ面白いんだよ。世界は」

そう槇村はかすかに口元を綻ばせた。
そのときからもう道を違えていたのかもしれない
私の信じる正義と、彼にとっての正義は。
でも、今なら判る。人の数だけある真実も
そして、たとえ誰と分かち合うこともできなくても
それを貫いて生きていけばいいということも。