セーラー服を脱がさないで

温暖化のせいかそうでないのか、とにかく年々暑くなっているような気がする。
最近じゃ『真夏日』なんて言葉じゃ間に合わなくて『猛暑日』などと呼ばれるくらいだ。
この調子では『熱帯夜』のさらに上級カテゴリーが生まれそうでぞっとするが
問題は真夏だけではなさそうだ。
残暑といってもかつては夏のおまけ程度の暑さに過ぎなかったが
ここのところ昼間は真夏と変わらないかんかん照りだ。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはいうものの、とっくに秋の彼岸も過ぎたというのに
ようやく感覚的には昔の9月程度というのはどうしたものか。
とはいうものの、年中ほぼ半袖Tシャツを捲り上げている俺としては
気になるほどのものではないし、むしろこの季節になっても
薄着姿のもっこりちゃんを街で見かけられるのは嬉しいくらいなのだが。

などと暢気なことを考えていたら、ぜぇはぁと肩で息をしながら娘が帰ってきた。

「どーしたんだ、誰かに追われてんのか?」

まぁ、そんなことは我が家じゃ日常茶飯事だが。
しかしひかりは、顔中だらだら流れる汗を手で拭うと
目を座らせてこう吐き捨てた。

「暑ぃんだよ!」

なるほど。今あいつが着ているのは紺色の
ウールのセーラー服の冬服だった。

「まだ移行期間だろ。夏服着てけばよかったじゃねぇか」
「朝涼しかったから、あんなペラペラで行ったら風邪ひくよ?」

そう言いながらひかりは、台所の冷蔵庫を開けるといつもの牛乳ではなく
ボトル式浄水器のきんきんに冷えた水を、いつものようにラッパ飲みしやがった。

「っぷはぁ」
「だったらその上にカーディガンでもはおってきゃいいだろ」
「それ校則違反」

と言いながらも、今のひかりの格好はセーラー服の袖を
いつもの俺のジャケットのように捲り上げていた。
それも充分違反していると思うのだが。

とはいえ、確かにこの時期のセーラー服の冬服は悲惨だ。
ブレザーだったら登校時は上着をはおって行っても
後から脱いで気温の変化に対応することができる。
だが、セーラーはそれすらままならないのだ。
そういえば、同じように5月の辺りもひかりのやつ
顔中汗だらけにして学校に行っていたっけ。

「ママは?」
「伝言板見に行った。ついでにCat's寄ってくだろ」
「あーっ、もぉ!」

と叫ぶと、何を思ったのかひかりはリビングで
脇のジッパーを上げると白昼堂々上を脱ぎ始めた。
向かいの親子ともどもケダモノの毛唐野郎に見せてはならじと
慌ててベランダのカーテンを閉める。
下には汗取りの色気のない白のキャミソール。
そして娘は脱いだ服をリボンごと放り投げ、ばたばたと歩きながら
スカートを落とし、靴下を片方ずつ脱ぎ捨てていく。

「おい、どこ行くんだよ」
「シャワー浴びてくる」

残されたのは、まるでチルチルミチルのパン屑のように
あいつの足跡どおりに残された服たち。
きっと終着地点には派手なチェックのパンティがぶん投がっていることだろう。
さすがにそれに手をつけると母親譲りのハンマーが飛んできそうなので
とりあえず、足許に落ちているセーラー服の上を拾い上げた。

セーラー服の構造というものを初めて知ったのは
実は娘が中学校に上がってからだ。
世の中には女子学生の制服を有難がる輩も多いが
俺は18歳未満は対象外だったから特に何とも思わなかった。
それにしても、ずいぶん不可思議なように出来ているものだ。
ブラウスのように前合わせがないから(あるのもあるが)
いったいどうやって脱ぎ着するのだろうと疑問には思っていた。
横に脇の下まで届くジッパー、だが袖に阻まれ目立たないようになっている。
さらに頭が通りやすいように、胸元の三角襟の合わせ目のところに鉤ホックがついている。
ひかりなんかときどきそれが外れて、中がチラ見えになりそうなこともしばしばだ。

普通、服というものは見ただけでそれの脱がし方の見当がつきそうなものだが
セーラー服ほどその脱がせ方の想像できなかった服はない。
そして、実際に脱がせようとするとなぜか萎えてしまいそうになる。
だからこそ、男たちの憧れなのかもしれない
妄想の中ですら脱がせることのできない、絶対的な清純の象徴として。
だが男たちの視線とは裏腹に、それを身にまとう少女たちは
いったいどれほどの犠牲を払っているのか。
5月・10月の酷暑に耐え、着崩すことも叶わず
――まるで白鳥だ、優雅に水面を滑りながら
その下では絶えず水を掻き続けているかのような。

拾い上げた、ジッパーもフックも全開のセーラー服は
そんな優美さとは無縁のもののように思えた。
明け透けで身も蓋もない現実。
――ふと「体面」という二文字が浮かんだ。
それを取り繕うために人は必死になる
その手伝いに俺たちも駆り出されることもあるのだが
懸命に守ろうとするものの裏側は得てしてこのようなものだった。

そうはいっても、この点々と脱ぎ散らかされた服が散らばっている光景は
香が帰ってきたらハンマーどころではないだろう。

「拾ってもハンマー、拾わなくてもハンマーか」

だったらまだ娘の方が威力もマシと
しぶしぶその次の膝上丈のスカートを拾い上げた。