恋に酔っぱらって

お隣さんほどではないけどけっこう外で飲み歩くことは多いものの
たまには部屋で気の置けない近しい人とグラスを交わすのもいいものだ。
もっとも、あまり近すぎる相手というのもまた面倒ではあるが。

「あーあ、どっかいい男いないかしら」

酔いが回ると口癖のように出てくる言葉
いつものことなので友人たちは聞き流すその一言を
彼女は耳聡く言葉尻を捉えた。

「いい男って、あなたもう別れたの!?」
「えーっ、お姉ちゃん彼氏いたの?」

まだまだ飲酒年齢手前の妹が、オレンジジュース片手に探りを入れてくる。

「彼氏っていうかまぁなんていうか……ボーイフレンドっていうの?
わたしより年下なんだけど」
「へー、年下なんだぁ。なんだかカッコいい!」
「どうせ年端もいかない若い子をたぶらかしたんでしょ」

と、姉はいたって辛辣だ。

「でもねぇ、一緒にいると楽しいんだけど
モノにした途端そうでもなくなるっていうか」

すると、根は品行方正な優等生の姉が
口の中の赤ワインを一気に噴き出した。

「ちょっとそれ、『釣った魚に餌はやらない』ってアレ?」
「まぁ、興味がなくなるっていうより
最初っからそんなに好きじゃなかった、のかなぁ……
友達にするならいいんだけど、恋人にはちょっと」

次の瞬間、電話の着信音がけたたましく鳴り響いた。

「大丈夫、留守電にしてあるから」

そして、吹き込んだメッセージと発信音の後に
若い男の声が続いた。

「麗香お姉ちゃん、この人ってもしかして?」
「そっ、さっきの年下くん」

仕事が終わるとこうして毎日電話をかけてくるのだ
彼女にはそうするのが当たり前だというように。
確かにわたしはあなたと一夜を共にしたけれど
彼女になった覚えは微塵たりとも無いのだから。

「まるで男の言い草じゃない」

そう、俗に女は一夜を共にした男に対して
たとえ最初はその気がなくても、情が移ってしまうという。
それは人間として以前に、動物としての本能なのだろう。
『男』として優れていても、その彼が『人間』として立派とは限らない
場合によっては愛想が尽きてしまうこともあるはずだ。
だが、そんな男でも子供の父親でもあるのだ。
半分はろくでなしの種でも、我が子と思えば愛おしいと思えるのだろうか
それでも坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、自分がお腹を痛めて産んだ子であっても
あんな男の子供と思うと、育てる気も失せてしまうこともあるのかもしれない。
だからこそ、遺伝子を何が何でも次の世代に伝えるために
女は愛を「錯覚」しなければならないのだろう。
男は逆に、どこかの種馬のように種を蒔き散らすのが本能
だから種付け済みの女にはもう目もくれないのだ
次なる畑を見つけなければならないのだから。

「あんたって昔っからそういうさばけたところがあったけど」

と姉は空になってしまったグラスに再びワインを注ぎなおす。

「野上家『長男』の姉さんに言われたくはないわ」
「あ、そういえばホステスさんは男の気を惹くために
なかなかベッドは共にしないけど、ホストは逆に
さっさと寝ちゃうって聞いたことがあるんだけど」
「唯香、そんな話いったいどこで聞いたのよ!」

そういう俗説を聞いたことがあったからこそ
20代の半ばまで迂闊なことはできなかったのかもしれない。
自分から後腐れのない関係を望んでおきながら
その自分がずるずると恋の深みにはまりこんでしまうとしたら――
でも、実際は違った。どうやらわたしは例外だったようだ。
確かに、一度寝てみないと気持ちとして判らないものというのはあるし。

「でもカッコいいなぁ、麗香お姉ちゃん
なんか『大人のオンナ』って感じで!」
「唯香、教育的指導」
「いーじゃない、憧れるだけなら
ほんとに実行に移すわけじゃないんだし」

わたしの頭上を通り越して、長女と三女の間で姉妹喧嘩が始まったようだ。
ひとり蚊帳の外に置かれた格好の次女は、ワインだけでは酔えなくなってしまい
グラッパをこっそり手酌で開けた。

――女だてらに釣った魚に餌をやらない性質だとしたら
彼を釣り上げなくて本当によかったのかもしれない。
No. 1スイーパーにして『新宿の種馬』
そして、今もなおわたしにとって最愛の男である、冴羽撩。
もし最初の望みどおり、彼と結ばれていたとしたら
その瞬間からわたしにとって彼は魅力を失ってしまう。
次第に飽きが来て、欠点ばかり目につくようになって
いつか心の底から嫌気がさしてしまうのかもしれない。
それは、それだけは考えるだけでぞっとする話だ。
だからこそ、ずっとこうして手の届かない距離から憧れ続け
お隣さん兼、男女の枠を超えた良き友人として
節度を保ち続けるのが最善なのだろう。
そこを踏み越えないかぎり、わたしはずっと撩を好きでいられる――

「場合によっては男、紹介してあげようと思ったんだけど
この調子じゃ無理ね」

誰が好きこのんで部下を毒牙にかけさせるものですか、と
姉がグラスを差し出すので、同じくグラッパを注ぎ込んだ。
唯香はというと、一滴も飲んでいないはずなのに
なぜかソファの上で眠り込んでしまっていた。

「えー、そんなに贅沢は言ってないんだけどなぁ」

わたしが求めているのは、大人の恋に夢を見ない男
ただそれだけなのに、ね。