1983.4/one-way girl

「かーおりっ、何見てんの?」

3年生になって親友は春休み前と変わったような気がする。
最高学年になって、あるものは受験生となり
誕生日が来れば18にもなるのだから
何かしらの変化はあって当然かもしれないけれど、
彼女の場合、もともとボーイッシュな子だったのが
ますます「男らしくなった」ともっぱらの評判だ。
でも、私が思うにそれは単なるカモフラージュというか
そんな上辺とは正反対に、前より女らしく
より魅力的になったような気がする、というのは
友人の欲目だろうか。
例えば、ありがちな恋する乙女のように
生徒手帳に忍ばせた写真を見つめる横顔も――

「えっ、絵梨子!何すんだよいきなり」

とっさに手帳を後手に隠したその表情はまるで
エロ本を母親に見つけられてしまった男子のようだけれど
(といってもうちには男兄弟がいないので本物は知らないのだが)
さっきまでの彼女はどこか切なげで、でも幸福そうで
間違いなく今まで私が見たことのない香だった。
――今年の文化祭のショーのテーマは変えた方がよさそうかしら。

「始業式のときからずっと気になってたんだけど
それ、写真でしょ。写ってるの誰よ、ねぇ見せて」
「ダメ、ぜぇったいダメっ!」
「えーっ、いーじゃない!わたしと香の仲でしょ?」
「ダメっ、絵梨子でもダメだってば!」

それがぱっと見、男の人だってのは
ちらりと見えたときにすでに見当はついてる。
しかも私たちより一回りは年上そうだということも。
でも、そこまで必死に隠し通そうとするあたり――

「――香、好きな人できた?」
「へっ!?」

とっさの返事はおおよそ17歳の女子高生らしからぬものだ。
しかもその顔といったら、実際に鳩が顔面に
豆鉄砲を喰らったかのような間の抜けた表情だった。
もっとも、彼女にとっては意外な言葉であっても
そんなの見る人が見ればとっくにバレバレだったのに。

「どんな人よ、ねぇ教えて」
「ったく、しょうがねーな。ま、絵梨子には関係ないからいっか」

そう香は大人しく引き下がったが
生徒手帳は制服の胸ポケットにしまいこんでしまった。
もちろん彼女の想い人の顔を拝んでみたいというのはやまやまではあったけれど
これ以上深追いしないのが親友としての礼儀だろう。

「齢は?」
「うーん、アニキと一緒か……それより少し年下くらい?」

あら、ずいぶんと年上。私の家庭教師以上じゃない。

「で、どんな人?」
「すっごい女好き。街を歩けばナンパばっかで
何度肘鉄くらってもしつけぇのなんの。
しかも口も悪くて、俺のこと一目見るなり
『おい、ぼうず』って、目も悪ぃんかってんだよ!」

……って、思わず頭上にトンボが飛び去ってしまった。
男の趣味にかけてはわたし以上に堅実だと思っていたはずの香が
何でこんな男に心を奪われてしまったのか、信じられないくらいだ。

「でもさぁ、頼り甲斐があるっていうか
男の中の男っていうの?それはすごく心強かったし
それに、ほんとはとっても優しいんだよな
ただそれが表に出ない、判りづらい優しさってだけで」

そう言いながら視線はおそらく虚空に
その『彼』を思い描いていた。
そのうっとりとした表情は少年というより少女――
いや、わたしたちさえすでに半歩置き去りにしていた。

「ねぇ、そんなに好きだったら
好きって言っちゃえば?」
「えっ///そんな……
んなのムリに決まってんだろ」

途端に彼女の顔が年齢よりも幼くなってしまった
その百面相こそが香の最大の魅力なんだけれど。

「だいたいオレなんて全然可愛くなんてないし
それに、このとおり男みたいだろ?
絶対そういう対象に思われてないって」

気にしてるなら「オレ」なんて言わなきゃいいのに……
なんて矛盾にはこの際目をつぶるとして、

「そんなことないわよ、絶対香は磨けば光るんだし
磨かなくてもそれに気づいてる人はいくらでもいるんだから。
ほら、サッカー部の小林くんとか――」
「なんでそこでタクミが出てくるんだよ」

と、香は思わず机に顔を突っ伏してしまった。

「絵梨子は自分に自信がないだけだって言ってたけど
オレは別にタクミのこと好きでもなんでもなかったんだよ、
ただ中学のときから仲が好かったってだけで。
それを絵梨子たちがあんなこと言うから……
あっちが勝手に意識して気まずくなっちまって
おかげで話もできなくなっちまっただろーが」

そう机にうつぶせたまま、恨みがましい眼でこっちを睨む。

「じゃあ、写真の彼のこともただの友達なの」
「友達ですらないっていうか……好き、だよ///」

顔を耳まで真っ赤にして、視線をそらす。

「でも、あいつのタイプはもっとセクシーな
大人のオンナだもん。オレなんて最初から相手にされないよ。
それに――オレとは住む世界が違うからさ」

住む世界が違う――そんな恋愛は私たちの周りには無かった。
どんなに遠くても、せいぜい他校の生徒か
バイト先の先輩や家庭教師の大学生。
しかもわたしの場合は、香とは対照的に
好きになったら押しの一手。
といっても、自分から告白しておいて
自分から嫌気がさして(主にセンスの問題)
振ってしまうということもしばしばだったのだけど。

「彼女になんてなれっこない。
だから、最初からそういう期待はしてないんだ」
「でも、それでいいの?」
「ああ」

そう言い切る彼女の表情は決して負け惜しみなどではなく
むしろ清々しいものだった。
さっぱりとした、竹を割ったような、裏表のない
そんな愛すべき17歳の男前な少女の、一番良い顔だった。

「こうやってときどき写真眺めて
今頃きっとナンパして女に振られてるんだろーなぁとか
朝まで飲み歩いて二日酔いでフラフラしてんじゃないだろーなとか
考えるだけでもうお腹いっぱいなんだぜ、
それ以上ってなったら満腹過ぎて死にそうだよ」

――片想いというものは不完全なもの
両想いになることで初めて完全なものといえる、
恋する乙女の端くれとしてそう思い込んでいた。
そして、片想いに暮れる者はみな
両想いになることを願っていると。
でも、香は違った。
片想いのはずなのに、彼女の表情には
何一つ欠けたものなど見当たらなかった。
それはまるでもうその恋は完成してしまったかのように。

わたしはそうは思えなかった
欲しいものは何が何でも手に入れたい性質だったから
「そういうところがお嬢様なんだよ」と言われようと。
もちろん、恋の形は人それぞれだし
それで大人だの子供だのと比べる意味はない。
だけど――わたしもいつか、そんな恋心を
理解できる日が来るのだろうか?
そう思うと、今まで自分の隣を歩いていた親友が
ずいぶん先へと行ってしまったような気がした。
いや、正直に言えば「追い抜かれてしまった」と――