合わせる顔が無い

まだ俺たちが離れて暮らしていて
あいつがこっちに戻ってくる前のこと。
それでも一日の大部分を香は俺のアパートで過ごしていた。
寝坊の俺を叩き起こし、朝飯を作り掃除洗濯
冴羽商事アシスタントとしての仕事をこなし
伝言板を確認ついでにCat'sでお茶、帰りに買物に寄って
夕飯を作り、そのまま一緒にテレビなどを見て
深夜と呼ばれる時間になる前にはまたアパートに帰る日々。
そんな、かつてとほとんど変わらない毎日を送っていた頃。

「りょー、夕飯出来たわよー」

いつものように台所兼用のダイニングからあいつの呼ぶ声がする。
白木のテーブルには相変わらずいっぱいに料理が並ぶ。
最近、少々脂っこいものが続いたせいもあって
今日はどちらかといえば和食寄りのメニューか、
毎日こってりでも俺は充分かまわないのだが。
どちらかといえば醤油系の色合いの食卓の上で
ひときわ目を惹いたのは、みずみずしい色合いの小鉢の中身だった。

「ああ、この漬物自家製なんだから」
「自家製?」

てっきりスーパーでパック詰めのものを買ってきたと思ったら。

「ほら。あたし糠床ダメにしちゃったでしょ
こっちに来るとき一緒に持ってきて
代々木上原に移るときも連れてったんだけど
また撩のとこに転がり込んできたとき置いてきちゃってそのまま。
それでね、アニキが別けてくれたんだ」
「へぇ、槇ちゃんがねぇ……」

そういやあのとき以来、元相棒とは逢っていなった。
あっちも忙しくなってしまったというのもあるが
こっちもこっちで、顔を合わせづらい事情ができてしまったので。

「アニキのっていっても、冴子さんと一緒になったときに
漬け始めたのだからまだ一年経っていないんだけど、
やっぱり隠し味が違うのかしら、ちゃんとアニキの味になってるのよねぇ」

さっきつまみ食いしちゃった、といたずらっぽく苦笑いを見せる。
糠床には昆布やら鷹の爪やらを米糠の中に入れたりするようだが
(香も以前せっせと手入れを欠かさなかったっけ)
味の良さは秘伝のレシピだけではないだろう。
常温保存では毎日糠床を掻き回してやらなければならない。
律儀なやつのこと、その手間を惜しむことはなかったのだろう。
もっとも、これからはその槇村も特捜のエースとして
家に帰れない日々が続くほどの活躍が期待されている。
となれば、妹に分けた糠床は自分に代わって
槇村家の味を守り続けてほしいというバトンでもあるのかもしれない。

云わば小鉢の中身は、槇村が手塩にかけて育て上げたもの。

「ねぇ撩、食べてみて。美味しい?」

と問いかける香も――やはりやつが手塩にかけて育て上げた、可愛い妹。
九谷風の器に負けない色合いを放つきゅうりと茄子の糠漬けは
洋食派の俺の食欲さえも刺激するものではあったが、
その由来を聞けばぴたりと箸が止まってしまう。
香の方はすでに美味しく頂いてしまったというのに。

小鉢の向こう、微笑みかける香の向こうに
元相棒の無言のプレッシャーが見え隠れする。
それは単に俺自身の後ろめたさの裏返しに過ぎないのかもしれないが。