Chronicle of 2013:9.17

いったいいつの間にベッドから抜け出しやがったのかと
思ったら……いた。リビングのテレビの前。
そりゃ昔は俺の腕の中から抜け出そうと思ったら
返り討ちにしてあと2,3時間はシーツに縫い止めてたさ。
でもそれは女を覚えたてのガキみたいに夢中になって
がっついていた頃のこと。さすがにそれから成長したつもりだ
そんなことをしてたら朝飯も食えなくなるって。

にしてもだ。部屋の時計が指しているのは朝の4時
外はうっすらと明るみ始めているとはいえ
こんな時間から朝食の準備をしなければならないほど
今日は早朝から予定は入れてないはずだ。

「気になるのかよ、地球の裏側が」

時差にしてちょうど半日のブエノスアイレスでは
今まさに7年後の未来が決まろうとしていた。

「東京でオリンピックなんてやってみろよ
この辺一帯『浄化作戦』だなんていって
俺たち住みづらくなるだけだぜ」

だから先代の知事は大ぇっ嫌ぇだったんだよ
国政に鞍替えしてくれてせいせいしたぜ。
それに、そいつが前回のときからやたらと旗振って
ついでに歌舞伎町クリーン作戦なんてやってくれちゃったが
結局、開催地に決まったのはウチよりよっぽど治安の悪い
リオデジャネイロじゃねぇか。バーカバーカ【笑】

「住みづらくなるのは『俺』だけでしょ
一緒にしないでくれる? それにさ
やっぱりあたしも見てみたいのよね、東京でオリンピック」

あたし「も」ということは……

「槇ちゃんか」
「そう!そうなのよ!」

と、いきなり俺にくってかかってきた。

「アニキは見てんのよね、東京オリンピック!
国立競技場なんて目と鼻の先じゃない?
だから会場には入れなかったけど
開会式のときは外で選手団の入場前の行進
見てたっていうし、マラソンなんて
アベベと円谷この目で見たっていうのよ!!」

香が生まれたのは1965年、五輪がその前年
ちなみに槇ちゃんは当時8つになるかならないか。
無論やつのこと、自慢話のつもりはなかっただろうが
香にしてみりゃ嫉妬するほど羨ましかったはずだ。
まぁ、そういや俺もアメリカ出ていって数年後に
昔住んでた街でオリンピックがあったけど……
別に羨ましくもなんともなかったな。
それはともかくとして、

「ほれ、もう決まっちまうぞ」

俺の胸ぐらを掴んでいるうちに衆議は終わって
白人のおっさんがマイクの前で封筒を開き始めた。

《Tokyo》

リスニングに自信が無くてもこれは聞きとれたはずだ。
途端に香は、まるでアメリカの新年カウントダウン直後のように
いきなり俺にきつく抱きついてきて(あいつから抱きつかれたのって
いったい何年ぶりだろう……)かと思うと次の瞬間
肩を掴まれて思いきりシェイクされた。
ボブルヘッド人形なら――いや、そうじゃなくても
首がもげちまうんじゃないかというほどに。

見ればテレビの向こうの招致団御一行様も
客席で思いきり歓喜を爆発させていた。
そりゃ数年がかりのミッションを無事ハッピーエンドで
締めくくられたのだから、あの弾けぶりも当然だろう。
そして、それを端から見守っていた香たち一般市民も。

「これで絶対7年後見に行くんだから!
何でもいいからツテ辿ってチケット貰ってきてよね」

そんな中、無邪気に喜べない俺がいた。

ね?と反応の薄い俺に香は念を押す。
どうやら7年後、五輪を見られると思っているようだ
7年後も生きていられると思っているようだ。

こういう商売をしていれば1年後はおろか
明日だって無事生きているか何の保証も無い。
それに、敵は武器を持った良からぬ連中ばかりではない。
交通事故はじめ不幸なとばっちりとしかいうしかない事態に
いつどこで巻き込まれるかは俺もカタギも変わらないし
俺だってもう結構な齢だ、この齢になるまで
生きていられるとは思ってもみなかったほど。
もちろん今死んじまったら人生80年のこのご時世なら
充分早死にの範囲内ではあるが
それまで生きてるつもりもなかったので
酒・煙草、その他身体に悪いこと片っ端からやってきた
どう考えても心臓によくないこの生業を含めて。

そんな俺に、7年後の期待なんて全く持てなかった。
それでも、こんな仕事を続けながらも
無邪気に7年後を待ち望む香がやけに愛おしかった。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/top10news/20131221-OYT8T00312.htm