corkscrewed

あいつが帰ってきた、ぐでんぐでんに酔っぱらって
というのはいつものこと。
まるで背骨を失くしてしまったように
床に伸びているあいつを、肩に抱えて
引きずるようにして部屋へと連れて行くのも。
ただでさえの大男なのに、全身の力が
抜け切ってしまったせいで、さすがのあたしも
リビングへ辿り着くのも一苦労だ。
飲む際には欠かせないのだろう
頬にかかるアルコールと煙草の交じったにおいが
たまらなく不快だ。
朝剃ってから伸びた髭もざらざらとする。
明らかにパーソナルスペースの侵害だ。
いくら同居人とはいえ、清い仲の男が
女にさせる振舞いではないはずだ。

「ほら撩、着いたわよ。ただいまは?」
「にゅ〜、たらいまぁ〜」

もう後は面倒なので、広いリビングの床に
転がしておくことにした。いくら図体ばかりでかくても
あいつを迂回してキッチンと行き来できるスペースはある。
とりあえず、冷たい水でも飲ませて
あとは自力で何とかさせよう。

「はい、これでも飲んで少しはしゃっきりしなさい」

とコップを差し出しても受取ろうとはしないので
仕方なしに飲み口を撩の唇に近づけさせた。
ったく、子供じゃないんだから
何であたしがここまでしてやんなきゃいけないのよ。

が、そのとき。
撩があたしの手首を掴むと、そのままくるりと
身体を反転させた。自ずと、今度はあたしが下になる。
バランスを失ったコップの水が
重力に従って、あたしの上半身に零れ落ちた。

「――っ、何すんのよ!!」

酔っぱらっても腕力は鈍ることがない。
それどころか、理性を半ば失ってしまっている分
手加減していないのかもしれない。

「あんれぇ、香ちゃんご不満?」
「不満も何も、組み敷かれて嬉しいわけないじゃないっ!」
「組み敷かれてって、男同士じゃねぇんだから」

その言葉を裏づけるように、撩の眼には
妖しげな暗い光が宿っていた。

「好きな男に迫られて、嬉しくないわけないだろ?」
「誰があんたなんか――」
「意地張んなよ、バレバレなんだぜ」

これほどまでの狼藉を許せるわけがない。
だが、両手首をがっちりと拘束されてしまっているので
ハンマーも繰り出せない。

「嫌よ、あんたみたいな女たらし
どうせ他の女にもそうやって迫ってるんでしょ」
「俺は本気だ」

わざとらしく耳元に囁きかける。
だが、ぞくぞくと背筋に込み上げてくるのは
甘い痺れではなく嫌悪感でしかなかった。

「よ、酔っ払いの言うことなんか
信じられるわけないじゃない」
「バァロォ、こんなこと酔った勢いでもなければ
言えるわけねぇだろうが」

――好きな男に好きだと告げられる
それを望まない女はいないだろう。
でも、いるのだ、ここに。

「良かったなぁ、香ちゃん
一番好きな男に“初めて”を捧げられて」

酒臭い息が口元に迫る。
懸命に顔をそむけるも、視界から消えた向こうで
嗜虐的な表情を浮かべているに違いない。
もはや抗えないと悟ってしまったのか
今のこの状況を俯瞰するような感覚で
ふっと、前にもこんなことあったようなと
場違いな回想が脳のどこかで始まっていた。

――お前、俺のこと好きなんだろ?

ああ、そうだ。何の理由だったかは覚えていないが
教室にあたしとそいつとの二人きりになったときだった。
まだあたしが高校生だった頃。
彼とは昔から気が合って、よく二人で
くだらない話で盛り上がっていた
まるで男同士の会話のように。
彼もまた、あたしにとって親友だった。

――槇村って判りやすいんだよなぁ
 顔見りゃバレバレだぜ。
 他の男とのときと全然違うから。

確かに好意のようなものは持っていた。
でもそれだけだった。
あいつと一緒にいる時間が
とてつもなく楽しかった、それだけだったのに。

――俺も好きだよ、槇村――香のこと
 なぁ、だから付き合わないか?

彼の言葉にどう応えたかすら定かでない。
まるでそのシーンがカットされたように、記憶は次の瞬間

――いいだろ、キスぐらい

迫ってきた口唇を、思いきり払いのけた。

「酔っ払いにくれてやる“初めて”なんて
持ち合わせてなんかいないわよ!!」

高校の同級生の彼とは、その後卒業式まで
会話らしい会話を交わすことはなかった。
もしあのとき、あたしが抗わなかったら
大切な“親友”を失わずに済んだのだろうか?
――いや、「彼氏」を得た代わりに
失くしてしまったことだろう、永遠に。
そんな、欲しくもなかったもののために。

あたしは撩を失いたくなかった。
今のこの、毎日一つ屋根の下に暮らして
同じものを食べ、一緒に仕事をして
夜にはあいつの帰りを待つ
そんな生活が永遠に続いてくれれば
愛だの、恋だのそんなものはどうでもよかった。
それは決して酸っぱいブドウなんかじゃなかった。
その先に、今以上の幸福が
あるとは思えなかったから。

それでも、あたしは撩が好きだ
それだけで、充分幸福だ。

あたしに思いきり突き飛ばされた撩は
いてててと、床にしこたま打ち付けた腰をさすりながら
あれだけ泥酔していたとは思えない
しっかりした足取りで立ち上がった。

「あたしはもう寝るから。
撩もせめてシャワーくらいは浴びなさいよ」

そう言ってリビングを後にする。
それでいい、そして翌朝ここにまた戻ってきたとき
またいつもどおりの毎日が、二人が始まるのだから。

「――どうせ、素面で迫ったって
受け入れてくれやしないんだろうよ」

そんな、ドアの向こうの呟きは
聞かなかったことにした。