1985.6.1/夏のはじめ

季節というものは、三寒四温というように
少しずつグラデーションで変わっていくものだと思っていた。
でも、本当はそうではないみたいだ。
寒い日が続いていたと思ったら、ある日突然
ぽかぽか陽気になって冬が終わり
うららかな陽気も、いきなりカーッと暑くなって
気がついたらもう夏だった、というように。

まだ梅雨も前だというのに東京・新宿は
ここのところ夏を思わせるような日差し。
アスファルトの照り返しにまるで融けてしまいそうだ。
こんな天気でも相変わらずナンパに繰り出す
あの男の同居人の神経が信じられないほどだ、
まだ数ヶ月の付き合いではあるのだけれど。

それにしても、こうもいきなり暑くなってしまっては
まだこっちはその準備も心構えもできていないというもの。
まず夏物の服を引っ張り出さなければならないし
それと引き換えに冬物をしまわなければならないのだけど
クリーニングに出しそびれているものもまだ残っている。
面倒で洗っていなかったセーターも。
嗜好も、さっぱりしたのが飲みたくなってきたから
麦茶でも作った方がいいかしら――と
タンスの中から冷蔵庫まで、季節が変われば
替えなければならないことが山ほどある。
そうでなくても、気候ががらりと変われば
体調だってそれに追いつくのがやっとだというのに。

――先日、扇風機を引っ張り出してしまったのだ
まだ5月中なのに。というのも
ナンパのあいつより一足先に帰ってきたら
一日中締切だった部屋の中は
もう居ても立っても居られないほどの暑さだったのだから。
おそらく、あたし以上に軟弱者の撩なら
間違いなくそうしていたに違いないはずだ。
でも――まだ5月だろ? 今からそんな調子じゃ
7月8月の夏本番はどうするんだよと
ちくりとした罪悪感があの日から胸に突き刺さったままだ。

そのときふと、

「あっ……」

目に飛び込んできたのは、学校帰りなのだろう
駅から飛び出してきた、涼しげな夏服姿の少女たち。
ああ、今日は6月1日。衣替えだ。
ほんの数年前まであたしもその一人だったのに
卒業してからは半袖も長袖も自分の好きにできたから
その日の意味をすっかり忘れてしまっていた。
そういえば、中学生のときから毎年最初から
半袖姿で学校に行ってたっけ。
梅雨寒のときは夏服とはいえ長袖の方が多かったけど
せっかくの夏服、より夏らしさを満喫したかったのだろう
一年でたった4ヶ月しか着られないのだから。

もう夏服の季節なのだから、夏には違いない。
そして暦の上とはいえ、何事も誤差はつきもの
ということは、先日からの暑さは季節外れというよりも
もうとっくに夏の夏さなのだ、と思えば何てことはない。
5月と思うから暑いのだ。夏だと思えばむしろ
梅雨明け以降の真夏よりも湿度が低いのか
からりとした感じで、過ごしやすいくらいだ。
部屋の中より外の方が風が気持ちよく思えるし。

「さーて、缶ビールいつもより多めに買ってやるか」

あいつの風呂上がりの一杯もいつもより増えるだろうから
それが2杯、3杯となると家計にも響きかねないが。
あと冷凍庫にはアイス、これはあたしの分も。
もう季節は夏なのだ、もたもたしてはいられない。

見上げれば、駅前の大型ビジョンには夏らしいCM
南国のビーチで爽やかにビールを飲み干す姿に
思わず足を止めた。流れるBGMはちょっと古風で軽快な
だがパワフルなロックンロール。
思わずあたしまで、ごくりと喉が鳴る。

――思えば似たものなのかもしれない、季節も、人生も。
グラデーションで変わっていくものではなく
突然の出来事でがらっと、鮮烈なコントラストで変わってしまう。
あたしだってようやく慣れてきたところだ、新しい生活に。
これからもまた、同じように新たな“季節”を迎えるのかもしれない。
でも、それに抗うことはできない
地球の動きを止められないように。
でもせめて、それを決然と迎えていこう
撩と初めて迎える、この夏のように。