human first

撩ではなくあたしご指名の仕事ということで
喜び勇んで出かけたものの、要は便利屋代わりというか
いわゆる「偽装恋人」の依頼だった。
もっとも、「何でもやります」と銘打って
ビラをまいていたのはあたしなのだから
報酬も入ったし、願ったり叶ったりなのだけど。

でも、仕事というのは何にせよ気苦労が絶えないのかも
しれないのだけれど、今回もそれほど甘いものではなかった。
「恋人」扱いが性に合わないということを
身をもってまざまざと実感させられたのだ。
席につくとき、椅子を引いてもらうのはまぁ良しとしよう。
コートはわざわざ着せてもらい、手荷物は
たとえ小さなポシェット一つであっても
率先して彼が持とうとした。
その中には財布がある、運転免許証がある
そして――ローマンがある
そんなものを軽々しく他人の手に
任せられるかというものだ。

でも、世の女性たちはそれを「レディーファースト」として
甘んじ、それに憧れさえ抱いている。
あたしもかつてはそんな振舞いに対して
羨望を抱いていた一人だった、
撩が、他の女の人にすることに。
だけど自分の追い求めているのが
シティーハンターに相応しい相棒になることと
はっきり見えてきた今となっては、
対して羨ましいとは思えないのだ。
「女扱い」というのは、慇懃そうに見えて
彼女たちを何もできない無能力者とみなすことなのだから。

けれども、そんな窮屈な日々をようやく終えて
ようやくいつもの「槇村香」に戻れるのだ。
依頼人と別れて新宿の街へと帰ってくると
伝言板のところに撩がいた、まるで待っていたかのように。

「よぉ、今日は結局依頼ゼロだったぜ」
「そっかぁ。でも一仕事終えてもう一仕事ってのも
骨が折れるから、これで良かったんじゃないの」
「だよなぁ、撩ちゃん今回は留守番だけで
濡れ手に粟だったし、ぐふふw」

というより「鬼の居ぬ間」の何とやら
だったんじゃないか、容易に想像がつく。

「あ、そうだ。報酬の一部
内金ってことで、キャッシュで貰ってきたんだ。
これで買い物しちゃおうよ」

冷蔵庫の中はずっと空だったはずだ。
その間、あいつがどこで何を食べていたのか
詮索するのも野暮ってものだけど
まずはそれをいっぱいにしてしまおう。

「げ、俺もつき合わされんのかよ」
「まぁまぁ、リクエスト聞いてあげるから」

と、渋々だったはずが、撩はいつも大股で
あたしより先にさっさと店へと入ってしまう。
その後ろをあたしはカートを押しながら続いていく。
自動ドアにレディーファーストもないのだけれど
ついさっきまでの依頼人とどうしても比べてしまう
良し悪しはともかくとして。
スーパーだけじゃない、アパートでも
“仕事”中でも、二人一緒のときは
いつも撩が先陣を切る。

「まったく、あんたの辞書には
レディーファーストって言葉は無いのかしら」
「あれ、香ちゃんはそんなこと真に受けてるんだ」

単なる独り言のはずが、耳聡い撩にはお構いなしだ。

昔、中世ぐらいの軍隊は兵士の他にも
そいつら向けの商売人やら娼婦やらいろいろ引き連れてたんだ。
ブレヒトの肝っ玉おっ母みたいに」

題名は聞いたことはあるが、不勉強にも
詳しいことは知らなかった。
後であらすじだけでも調べておこう。

「それで、行軍のときは彼女たちを
先にしていたのさ。目の前に敵が現れても
本隊が被害を受けないように」

まぁ、早い話が人間の盾ってわけだと
いつものように訳知り顔で薀蓄をひけらかす。
でも、確かに狭義のレディーファーストは
女性を尊重しているように見えて
実は思いっきり危険に身を晒させているというのは
あたしにも確かにそうと判った。
ドアの向こうには何があるのか判らないのだ
それを先頭切って行くのは最もリスキーなのだから。

撩は、たとえスーパーの売り場の角でも
一歩先に出て、ちらと左右を見回してから進む。
その短い一瞥の間にくまなく周囲を確かめているのだ
プロなら当然のことだろう。
でも、先陣が切れない自分がときどき
たまらなく口惜しくもある。
撩と比べれば赤ん坊のようなものだろうけれど
せめて少しは、成長したところを見せたいのに……

買い物の戦果はレジ袋2つ分にもなった。
それを肩からポシェットをかけたまま
両手にぶら下げた。今日は車で来たわけでないので
このままアパートまで歩いて持ち帰らなければならない。
撩にちらりと視線を投げかける。でも「持って」と
はっきり口で言う気にはなれなかった。
レディーファーストとは一線を画す自分の覚悟と
相容れないような気がして、このくらいの荷物
持てないような非力じゃないんだぞと。
けど

「貸せよ」

と撩はそんな気も知らないで
重い方の袋をひょいと手に提げた。

「おまぁはバッグ持ってるから
これで50:50だろ」

なーんて言って、自分の腰に
しっかり隠してる重いパイソンのことはスルーで。

でも、それで良かった。
撩が重い方の荷物を持ったのは
あいつの方が力があるからで
あたしが女だからではない。
だったらもう一つの袋からポシェットから
身ぐるみ剥がされていたところだった、
さっきまでの彼のように。

男とか女とかは関係ない
持てる者が、その力に応じて
持っていけばいいのだ、それぞれの重荷を。
だいたい、100tハンマーも担げない男だって
世の中にはいくらでもいるのだ【笑】
彼らの分はあたしが担いでやればいい。
そして、いつの日にか
今より重い荷物が背負えるようになるまで
今はただ修行あるのみだ。

「撩、待ってよ
歩くの早すぎ!」