51 years ago

「お父様、お父様!」

夜もまだ明けやらぬうちに
末の娘が寝室に飛び込んできた。
手には古風な文のようなもの。

「部屋の、机の上に、これが……」

上の姉たちはみな嫁いで家を出ていったが
この子もいつ縁談があってもおかしくない年頃だ。
なのに、この慌てぶりはいったい何事だ
言葉がまるで要領を得ない。
それだけこの書置きが青天の霹靂だったということだ
彼女のみならず、我が家全体にとっても。

とにかくこの手紙が置かれていた
息子の部屋に行ってみることにした。
そこにはすでに人の気配というものがしなかった。
発つ鳥跡を濁さずとばかりに片づけられ
――もともと年頃の少年の部屋にしては
整頓されている方だったが
本棚は何冊かが櫛の歯が抜けたようになっていた。
厳選したものを供に連れて行ったことだろう。
そして、鴨居の洋服掛けには制服と制帽が
塵を払って掛けられていた。
これを、つい昨日まで身につけていたのだ。

あの子がこれをしたためていたであろう
机の上に座り、改めて書置きを広げ眺めた。
幕末の志士が出奔前夜に書き残したものと
見紛うほどの筆の運びにまず息をのんだ。
かつて、姉たちに交じって筆を拳骨のように握り
金釘流の書を披露していた昔がありありと甦ってくる。
だが倅はもはやあのときのような幼子ではない
身の丈六尺をはるかに超え、父の背丈すら
とうに追い越してしまったのだから。

あの子が育ったのは、貧しくも戦争の無い世の中だった。
そこから次第に復興へ、そして更なる繁栄へと
歩みを進める中、我が家は脈々と受け継いできた
武人としての禄からは離れることになってしまったが
それでも先祖伝来の志だけは絶やすまいと
あの子にはその名に恥じない武士(もののふ)としての魂を
事あるごとに教え込んできた。
それが結果として、あの子を
追いこんでしまったのかもしれない

武士としての魂を持ちながら
この刀すら持つことの許されない時代において
その置き所をはたしてどこに探せばいいのか。
そして、守らねばならないものが
そのために立たなければならない義がありながら、
なぜ立つことすら許されないのか。

なるほどこの国は、今や
「もはや戦後ではない」というほどの
繁栄を手に入れつつある。
だが、海の向こうでは未だ貧しく
圧政に虐げられたものがいる。
先日も、それに身をもって抗おうと
高僧が自らに生きながら火を放った姿を
ブラウン管を通して目にしたばかりだ。
それを座視するのを、彼の中の武士が許さなかったのだ。

「お父様……」

娘がすがるような眼差しを向ける。
その眼にはうっすらと涙が浮かぶ。
当たり前だ、弟が旅立っていったのは
明日の生命の保障の無い戦場、正真正銘の修羅場だ。
だが、

「それでこそ薩摩隼人、
それでこそ我が伊集院家の男児!」

そう叫ばずにはいられなかった。
あの子こそ武人、この昭和の世において
武士道を貫こうとする最後の侍なのだ。
ただ、それを振るう場はこの国には無かった
というだけのこと。

空けそめた東の空の下には神宮外苑。
かつて多くの学徒兵を送り出したそこに
一年後、世界中からあまたの若人たちが集うことになる。
それは「平和の祭典」と呼ばれる。だが
独裁者がそれを自らの目的のために歪めたことを
同時代人として忘れてはいない。
もちろんこの祭典は日本の復興と平和を
内外に示すためのもの、だがその向こうで
未だ戦禍に苦しむ国々もある。
その事実に眼をつむり、ただただ平和を享受する
そのような人間に育てた覚えはない。

その一年後の晴れの舞台、倅が――隼人が
いつ、どこで迎えているかは神のみぞ知る。
だが――せめて達者でと
愚かな父として願わずにいられなかった。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141006/k10015173181000.html