never make you cry again

それは何てことのない一本の電話から始まった。

「えっ、うん、わかった。
なぁん、お母さんも気ぃつけられ」

いつもと違う口調のカノジョが電話を切ると
さっきまでのおっとりとした印象が一変した。

「ミック、すぐ荷造りできる?
それと富山までのチケット!
――ああ、手ぶらじゃ帰れないわよね
花園饅頭だったら大丈夫かしら?」
「荷造りって――」

仕事柄、出張も多いから
常にある程度の旅行用荷物は
スーツケースの中に
入れっぱなしにしてるくらいだが――

「What's happened on the earth
(いったいどうしたんだい), Kazue」
「ああ、ごめんなさいね。まだそれ言ってなかったわ
祖母が今朝亡くなったって、母から――」

その答えがむしろ意外だった
さっきまでのきびきびとした彼女からは。

「あー、チケットっていったって
飛行機今から席取れるかしら?
バスで行くにはちょっと骨が折れるし
でも、お通夜は明日だからそんなに急がなくていいって
お母さん言ってたから、特急にしようかな
うん、お義姉さんもついてるし――」
「You look so calm
(ずいぶん落ち着いてるようだね)」

敢えて聞き逃してくれるだろうという
希望的観測を込めて、母国語で発した呟きに
カズエはすかさず返事をかえした。

「うーん、もうわたしずっとこっちで
顔を見せるのも年に一回有るか無いかだったから
祖母がいない生活ってのが
当たり前だったのかもしれないわね、
飛行機に乗れば逢いに行けるかどうかはともかくとして。
それに、もう5年くらい入退院を繰り返してたし
80も過ぎてたから、心のどこかで
覚悟は出来てたというか――」
「Uh-huh(ふぅん)覚悟、ねぇ」
「あと――」

するとカノジョは、全速力で走っていた自転車が
ペダルの回転が止まると同時に倒れるように
ばすりとソファに座り込んだ。

「前に、一番死にそうにない人を失ってしまったら
死んでも不思議じゃない人に死なれてしまっても
哀しくないっていうか、驚かなくなるのかもしれない――」

一番死にそうにない人――カノジョのかつてのフィアンセ
虚空に目をやる彼女の瞳は、無機質な天井ではなく
在りし日の面影に焦点を合わせているのだろう。
オレもその頃のカノジョを直接知らないし
その名前も直接カズエの口からは聞いたことが無かった。
だが、齢の頃はおそらく30になるかならないか
そんな健康かつ幸福な未来が待っているはずの青年が
生命を落とすとは誰も考えなかっただろう
たとえそれが不慮のものだったとしても。

そのとき、とてつもない悲しみと驚きが
一塊の衝撃となってカノジョを襲ったに違いない。
それに比べれば遠い故郷の祖母の死は
冷静に受け止められるほどのものなのだろう、
これがもし初めて身内を見送るのであれば
少なからず悲しみにくれ、また狼狽もするものだろうが。

そんなカノジョの経験は判らなくもなかった
オレだって、あんな稼業を続けてこられたのは
駆け出しの頃に、この世で殺したくないことにかけては
五本の指に入る相手を、自らの手に掛けたからに違いなかった。
それに比べれば、見ず知らずの他人の生命を奪うことなんて
大して良心の痛むことではなかったのだから――

「だからミック、もしあなたが
よぼよぼのおじいちゃんに
なってから死んだとしたら、わたし
全然哀しまないかもしれない」

きっと、あの人のときのようには
そのために誰かを恨んで
それを実行に移すほどには――

「It's happy to me(それはそれで嬉しいよ)」

カズエと一緒になろうと心に決めたとき
迷ったことがある。
オレがカノジョにとって大切な存在になる以上
そのオレがもし死んだりしたら
同じようにカズエはまた哀しまなくてはならない。
もうカノジョに哀しい思いをさせたくない
そのために一緒になるはずなのに――

でも、もしオレが将来与えてしまうであろう
最大の不幸が、カノジョにとって
さほどの哀しみを与えないというのであれば
オレも肩の荷が少しは楽になるというもの。

でも――願わくば、オレの方が少しでも
カズエより長生きできるのであれば
そうすれば、カノジョは再び愛する人の棺を
見送らなくていいことになる。
その分オレが哀しい目を見なくちゃならなくなるが
それくらい耐えるさ、オトコなんだから。

そのために、今でもジムでトレーニングは欠かさないし
カズエの言うとおり食事にも気を配っている
(だからハニー、サプリメントと称して
手製のカプセルを処方しないでくれないか)
タバコは……やめられないけれど
本数を減らすよう努力はしている。
それもこれも、総てカノジョを泣かさないため。

「――あっ!」

そのカズエは、まるでバネ仕掛けの人形のように
再びソファから立ち上がった。

「ミック、ちゃんと喪服って持ってるわよね?
ただのダークスーツじゃダメだから!」

はいはい、My Sweetheart
ついでにキミに恥をかかすことも
させないつもりだから。