天才と秀才と凡人と

あれから、冴羽さんが銃を教えてくれるようになったと
香さんが言う、嬉しそうに。
でも相変わらず、うちに来ては射撃場で
わたしに習う回数は前とは変わっていない気がする。

「体に力入ってきてるわよ。
そう、肩の力を抜いて少し前屈みに」

言われたとおりに構え直すと、彼女の人差し指は
「闇夜に霜が降る如く」というお手本どおりに
すぅっと静かに銃爪を引いた。
轟音が射撃場全体に響き渡る。
その音に、標的の真ん中近くを射抜いた
小気味良い音がかき消された。

「リョオ、見て見て! ほらっ
今日はほぼ全弾が真ん中近くの丸の中!」

店に戻ると、冴羽さんがレッスン終了を
見計らったようにカウンターに座っていた。
そこに香さんがひらひらと
ターゲットペーパーを見せびらかす。

「ほぉ、大したもんだ
それがうちでもできればな」
「できるわよ、帰ったら見せてやるから」
「香さん、シャワー浴びてく?」

お互い、嗅ぐ人が嗅げば判るであろう
硝煙の匂いを全身から漂わせつつ、
彼女にコーヒーを差し出した。

「ううん、うちに帰ってからにするわ」

その前に、アパートの射撃場で
冴羽さんに今日の成果を見せつけるのだろう。

照準を直したローマンを渡してからは
冴羽さんは彼女が銃に触れることを
タブー視しなくなったと聞く。
そして、請われれば直々に彼女を指導することも。
けれども香さんは相変わらずここに通ってくる。
かつては隠れて銃を撃ちに来ていたのが
今ではおそらく黙認――いや、むしろ彼の
無言の奨励のもとで。

「ねぇ冴羽さん、だったら冴羽さんが
教えてあげればいいのに」

彼のカップにもお代わりを注ぎながら、苦言を呈す。

「俺? 教えてやってるって」
「だったら香さんがもう
ここに来る必要はないんじゃない?」

二人の視線がちらりと横の彼女へ向かう。
当の本人は、ファルコンが出してくれた
ケーキの試作品に熱心に感想を述べていた。

「なぁ、美樹ちゃんは
物覚えのいい生徒だったかい?」

藪から棒にそう問いかけると
満足げにカップを口につけた。

「そう――でもなかったと思うわ。
でも――」

「美樹ちゃん、ごっつぉさん。
おい香、帰るぞ」
「はぁい。海坊主さん、美味しかったわ
これ、出したら絶対売れるって」

と言うと彼女は、匂い除けのコートを羽織って
冴羽さんの後をついて店を出ていった。

「――だからこそ冴羽さんに
教えてもらった方がいいのに……」

きれいに平らげられたカップとお皿を
カウンター越しに片づけながら
思わず不平がこぼれる。

「だからこそ、香の気持ちが
あいつには判らないんじゃないか?」

太い腕を伸ばしてカウンターの天板を拭きながら
ファルコンが言った。

「『出来の悪い生徒』だったお前の方が
よっぽど香の気持ちがわかるはずだ」
「香さんの、気持ち……」

わたしが初めてファルコンに、銃の扱いを教えてほしいと
頼み込んだのは、10歳かそこらの齢だった。
難民キャンプとはいえ、その外には
どこにゲリラ兵が潜んでいるか判らない。
ましてわたしのような孤児は、兵士がいないときは
自分で自分の身を守るしかなかった。

ファルコンの指導は、年端の行かぬ女の子が
相手とはいえ、非常に厳しいものだった。
事あるごとに「やめろ」と言われた
お前が武器を持つ必要はないと。
でも、もともと負けん気の強い方だったのか
その言葉すらばねにして、数年後には
自分とその周りくらいだったら
何とか自分で守れるくらいにはなった
何度も何度も、ときにはこっそり一人で
練習を繰り返して。

「――もしかして冴羽さんは
弾の当て方は判っていても
その伝え方を知らないんじゃ……」

彼はその世界ではNo.1と呼ばれるスイーパー
銃の腕はもちろん百発百中だ。
そして彼は、その数奇な運命ゆえに
武器を玩具とするような子供時代を送っていた。
栴檀は双葉より芳し
彼の妙技は、そんな環境の中で
自然に身についていったものなのかもしれない
彼自身、何も意識することのないまま。

つまづきを克服する術を教えてやれるのは
同じところでつまづいたことのある者だけ
例えばわたしのように。
もしかしたら冴羽さんは
そのつまづいた理由すら
理解できないのかもしれない。

「――名選手、必ずしも
名指導者たりえず、ってことね」

ならばわたしが鍛え上げるしかない
香さんを、冴羽さんが教えられるレベルまで。

「美樹、あんまり入れあげるな」

と、内心の決意を見透かしたように
ファルコンが声をかける。
でも、これが入れあげずにいられるものですか
愛する人と同じ眼の高さでものを見られるということが
恋する女にとって、どれほどの幸福なのかも
わたしにはよく判るのだから。