キューバ・リブレ

ニュースを見ながら香が発した問いに
俺は我が耳を疑った。

「ねぇ、キューバとアメリカって
仲悪かったんだっけ?」

たまには二人で晩酌を傾け合いながら
ぼんやりとテレビを見ていたときのこと。

「っておまぁ、何年俺の相棒やってるんだ?
キューバ危機ぐらい知らんのか
『13デイズ』見ただろ? 映画の」

シティーハンターの相棒として
どこに出しても恥ずかしくない程度の
この業界での一般教養は、もう立派に
持ち合わせていると思った俺がバカだったのか。
これだって、中学の歴史のレベルだぞ
まぁ、近現代史は3学期に時間が無くなって
駆け足で教科書をなぞるだけというのは
今に始まったことではないのかもしれないが。

「判ってるわよ、それくらい
でもこないだ、このカクテルのことを教わったから」

香が傾けていたのは、ラム酒のコーラ割りというか
コークハイのウィスキーがラムになったやつというか
早い話が、キューバ・リブレだった。

「戦争でアメリカがキューバの味方をしてくれたときに
そのお礼というか記念として作ったカクテル、だったわよね」

ああ、それは間違っていない。

「米西戦争な。そのときまだキューバは
スペインの植民地だったけど、その戦争で
アメリカが勝ったおかげで独立できたんだ」

その友情を表したのが、アメリカの象徴の一つである
コーラと、キューバが誇るラム酒とを組み合わせた
このカクテル、その名も“Cuba Libre”(キューバの自由)だ。

余談だが俺はこの『キューバ・リブレ』という
日本語表記が、正直なところ気に入らない。
これはスペイン語を齧ったことのある人間なら
誰でも引っ掛かりを覚えるだろう。
「キューバ」という発音は英語式で
現地スペイン語だと「クーバ」になる。
そして「リブレ」はもちろんスペイン語
だから正しくは「クーバ・リブレ」になるか
英語読みに統一すると「キューバ・リバー」だ。
もちろんlibreとriverの発音を混同するやつはいないと思うが。

「でも結局はアメリカもキューバを
自分とこの裏庭にしたかっただけさ」

そう、それは俺が育った国でも同じこと。
だから、今となってはそんな理想はとっくに捨てたものの
かつてはカストロやゲバラを神や聖人のように
崇めていた身としては、今回のニュースには
耳を疑わざるを得なかった。

アメリカとキューバが国交正常化に向けて
動き出したという。
まるで、離婚家庭で育ってさんざん母親から
別れた父親の悪口を聞かされたものの
成人して独立した後、その両親が
どうやらよりを戻したらしいと聞かされたような
居心地の悪さがある。まぁ、それはともかく。

「でもキューバって共産主義って感じしないなぁ」

液晶画面に映し出された資料映像の
ハバナの街並みに、香が素直な感想を漏らす。

「昔のソ連とかだと、みんな暗い顔してさ
KGBとか、秘密警察とかが目を光らして
えーと、なんて言ったっけ、ゲシュタポじゃなくて」
「シュタージ、東ドイツだろ」
「そうそう! でもみんな、キューバの人は笑顔だもん」

まぁそれはラテンのノリってのもあるのかもしれないが。

「やっぱり共産主義って
キューバの人に合ってたのかもしれないね」

グラスの中身に一口つけると、香はこう続けた。

「ロシアとか東欧とか、他の共産主義だったところって
みんな寒いとこじゃない。そこだと頑張って努力しないと
食べ物とかもまず作れないでしょ?
でも資本主義は頑張れば報われるってのが建前だけど
共産主義は頑張っても頑張らなくても
生活は保障しますよ、っていうのだから
必要以上に頑張る必要が無いじゃない。
だから行き詰っちゃったのかな」

そこには何の理論的根拠もない
ただあいつなりの実感からの推測にすぎなかったが
それなりに的を得ているのではないだろうか。

「でもキューバみたいなところだったら
果物とかも勝手になるだろうし
あんまり努力しなくても生きていけるのかなぁって」

だったら俺の『故国』はどうだったんだろうか。
そこも実り豊かな熱帯の国である
もし俺やオヤジたちが勝利を収めていたら
やはりキューバの人々のように、彼らも
笑顔で共産主義を謳歌していたのだろうか……
いや、歴史に「たれれば」は一番似合わない
結局、俺たちは敗れ、内戦の爪痕は未だ深く
その治安の悪さは『北斗の拳』もかくやだとか。

もっとも、この「南国の共産主義の楽園」も
今では必ずしも楽園とは言い難いようだ。
難民は今も続々とフロリダ辺りへと向かう
最近じゃ政治的亡命というより、もっぱら
「アメリカン・ドリーム」目当ての不法入国もどきだと聞く。
野球選手なんかも次々と「亡命」して
メジャーで荒稼ぎしているのだから
故国にはもう夢が無いということなのだろうか。

だからといって、アメリカ的生活文化というのも
必ずしも完全無欠というものではない。
例えば医療、その国では未だに
「お金が無いから医者にかかれない」
という事態が起こりうるのだ、驚くべきことに。
それよりキューバの医療制度の方が
格段に上だと言われている。

そんな「アメリカ的」ではないが故の良さを残す国に
直接アメリカの文物が押し寄せてきたら
いったいどうなってしまうだろうか。
もしかしたら星条旗一色に塗りつぶされてしまうかもしれない
かつてこの国もそうなったように。その結果
彼らの美点も消えてしまうのだろうか。

「でもうまくいくのか、これ」
「いくんじゃないの、きっと」

その根拠も、いかにも香らしいものだった。

「だって美味しいんだもん、これ」

確かにこのグラスの中には
キューバ生まれのラムとアメリカ生まれのコーラが
渾然一体に混じりあって一つの調和を為していた。
それらを生み出した者たちが、そうなれないはずがない。

「じゃあ俺にもちょうだい、それ」
「ダメ、勝手に人の酒飲むな!
だったら今作ってあげるから」

そうそう、これからは「キューバ・リブレ」という
呼称にも目くじらを立てないことにした。
英語とスペイン語、それらが混じりあってこその
このカクテルなのだから。

ロイター:オバマ米大統領、キューバのカストロ議長と11日会談へ