Light of Life

私が育った場所と、ここでは
生命の価値がずいぶん違うような気がする。

あの国では常に死が自分たちの近くにいた。
戦争だけではない、貧しさゆえに
病に倒れればそれは生命の危険を表していた
子供も、働き盛りの大人も。

でも、この国では違う
世界に関たる長寿国、だからなのかは判らないけど
老いも若きも、ずいぶん無造作に生命を捨ててしまう。
まるで砂漠では「生の一滴」である水が
とある国では「タダ」呼ばわりされているかのように。

もちろんそれ以外に宗教観の違いなども
関係しているのかもしれないけれど、
それを割り引いても痛々しいニュースには
あたかも我が事のように胸がつぶれる思いがする、
それがまだ未来ある若い世代ともなればなおさら。

「またいじめとかじゃなければいいんだけど……」

夕方のニュースに映し出されたのは
10代の少年が電車に飛び込んだという話。
この手の痛ましい事件は後を絶たない
いったい大人たちは何をやっているんだとも言いたくもなる。

「あ、今日捕まっちゃったの多分これだ」

と言ったのは、カウンターに座る常連客兼親友だった。

「事故があったの10時ごろって言ってたよね」
「え、ええ」
「じゃあやっぱり。この事故のせいで
乗ってた電車止まっちゃって大変だったのよ」

見れば香さんは、今日は普段のような
カジュアルな格好ではなかった。
紺のジャケットにストライプのシャツ
ベージュのキュロットスカートという
ぱっと見どこかのOLでもおかしくはない。

「仕事の打ち合わせに行くんで
電車に乗ったんだけど、それが
現場検証と後始末で、長いこと
駅の間に止まりっぱなしになっちゃって」
「車で行かなかったの?」
「うん、今日は撩は連れてく用事じゃなかったし
最近ガソリン代も馬鹿にならないしね。
幸い、先方も駅の近くだったから……って
珍しく電車に乗ってったら、慣れないことは
しない方がいいわね、おかげで契約は白紙」
「まぁ……」

確かに、遅刻というのは社会人にとって
決して褒められた行為ではないのは判っている
それがスイーパーという裏稼業であっても。
でもこれは避けられなかった不測の事態
香さんに何の落ち度も無かったはずだ。
でも、

「やっぱり、一代で会社を大きくするには
あれだけ自分にも人にも
厳しくなくちゃダメなんだろうな。
きっと、撩だって今回のことは
依頼がダメになって当然だと思ってるはず。
たとえどんなことがあろうとも
約束の時間を守れなきゃプロ失格だもの。
一路線がダメになっても別ルートを考えておくとか
だったら最初から車で行くとか」

今回はただの打ち合わせだったものの
これがガードの本番ともなれば
その時間に来られなければ
クライアントの身を危険にさらすことになる。
香さんの反省はプロとしては当然のこと。
でも、その対策も今日の彼女のように
線路上の車内に缶詰めにされていたのでは
全く意味を為さなくなってしまう。
せめて電車に乗る前か、乗っていたとしても
途中駅で止まってくれれば――
やはり、こればかりは
運が悪かったというしかないだろう。

「まぁ、大変だったのはあたし一人だけだった
わけじゃないとは思うけどね。
電車の中なんてものすごく殺気立ってたもの
外回りのサラリーマンとか、登校途中の学生とか」

ブラウン管にも、満員のホームで
待ちぼうけをくらう人々の姿が映されていた。

「――きっと、判らなかったんだろうね
その死んじゃった子は。自分がもしそこで死んだら
大勢の人がそのとばっちりを受けるってことさえ
気づかないくらい、追い詰められちゃってたんだろうね」

ときに、苦境は人から視野を奪う
もう少し広い視野で考えることができれば
きっと解決策が見つかったかもしれないのに
それすら思いが至らず、気がつけば
死の淵へと追いやられてしまうのだ。

それでも、自分の死を悲しむであろう
身近な人々の顔くらいは
真っ先に思い浮かぶかもしれない。
でも、それ以上の多くの人々の生活が
自分が今、生きていることによって
つつがなく流れているのだ。
だからこそ、それが急に断ち切られれば
こうしてその流れも不意に乱れてしまうことになる。

いったい彼にどれだけの苦しみがあったのか
私たちには今は知る由は無いし
その上で「死ぬな」というのは
見ず知らずの人間の我儘なのかもしれない。
でも、一つ言えることは――
その小さな生命の灯火もまた
大きな灯火の一つとなって
暗闇を照らしていたのかもしれなかったのに。