Si Vis Pacem, Para Bellum

――ああ、今日もだ

ここが昼も夜も眠らない街・新宿である以上
その中心である駅前は一日中ごった返しているのは
いつものことであった。ただ、ここ数日
その空気がぴりぴりとしているのは
毎日伝言板を見に通っていれば判ることだ。
それが脛に傷持つ連中の一触即発な雰囲気であれば
まだましな方だ、そのとばっちりを一般市民が
蒙ることはほとんど稀だといえるのだから。
けれども今、その緊迫感を醸し出しているのは
他でもないその「一般市民」だった。

このところデモ隊が国会周辺を取り囲んでいるのは
テレビのニュースでも目にした光景だった。
その一方で、とかくマスコミの目に触れやすい場所でもある
新宿駅周辺にも連日デモ隊が、それも「賛成」と「反対」が
ほぼ日替わりのように押し寄せていた。
アニキなんて「まるで60年代だな」なんて
懐かしそうに目を細めていたけど――

報酬も振り込まれて少々懐も温かくなったのをいいことに
夕方の伝言板の確認を一緒に行ったついでに
夕飯はどこかに食べに行こうと、撩を連れ出した日に限って
今日デモを打っていたのは、「反対派」の方だった。

「ほうあんせいりつ、ぜったいはんたーい!」

切迫感があるのかないのか判らないようなシュプレヒコールに
撩の機嫌は、目には見えないながらも次第に険悪になっていく。

「ぜったい、はんたーい!」「「「ぜったい、はんたーい!」」」
「せんそう、いらないー!」「「「せんそう、いらなーい!」」」

その声に、我慢が限界に達したかのように
思わず撩が吐き捨てた。

「戦争ってのは、要る要らないじゃねぇんだよ」

「望むと望まざるとに関わらず、今そこにあるんだよ
まぁ、この国には70年間一度も無かったけどな」

撩はこの手の「平和活動家」を毛嫌いしていた。
彼らが“9条”をお題目にして、かつての撩を
そして今も、あのときの彼と同じように
いつ果てるともしれない戦争に苦しみ続けている人々を
見て見ぬふりをしているのに他ならないからだ。

「確かに、あんなもん碌なもんじゃねぇ
とっととこの世から消えてほしいと俺も思ってるよ。
でも、だからって『戦争反対』と言い続けているだけで
戦争が無くせるんだったら、誰も苦労はしないさ」
「――まるで、いじめとおんなじね」

意外すぎる思考の飛躍に、撩は驚くかと思った。
でも、

「――ああ」

あたしがそう感じた理由を彼は判っている
だからそう素直にうなずいた。

あたしたちが受けた直近の依頼は、とある少女からの
彼女をいじめた同級生に
正義の鉄槌をくらわせてやりたいというものだった。
でも、それだけではまた同じような犠牲者が出かねない
だからマスコミ沙汰にしてやるという脅しついでに
ミックも巻き込んで、彼女の通う名門私立校に
乗り込んでいったところ、学校側は
「我が校にはいじめなんて存在しません」の一点張りだった。
現に、依頼人の彼女がその被害を訴えているにもかかわらず――

いじめも、もちろん戦争も
本来あってはならないものだ。
でも、いくら「あってほしくない」からといって
今、実際に起きているそれそのものを
否定してしまったら、それを無くすことから
むしろ一歩、遠ざかることになってしまわないだろうか。

「そういや香、9パラの語源って知ってるか?」

9パラ――9×19mmパラベラム弾
うちではあまり出番はないが
オートマティック拳銃、サブマシンガン用として
世界で最も多く使われている銃弾の一つ。

「Si Vis Pacem, Para Bellum――ラテン語なんだが」

と、さもその言葉においてはクレオパトラも口説けるほど
ペラペラと言いたげな口ぶりであたしを見下す。
って、どうせそういう決まり文句しか知らないくせに。

「平和を望むなら戦いに備えよ、って意味さ」

平和を望むなら――それは軍備拡張主義者の
いい言い訳に聞こえるかもしれない。
でも、本当に平和を望むのであれば
戦争から目を背けてはいけないはず、
視線を据え、しっかと睨みつけて――
そこからしか何も始まらないはず。

撩の見つめる新宿の喧騒の向こうには今も
脳裏から決して消えることのない
戦場が見えているに違いなかった。
その喧噪の真っただ中の人々の、そしてあたしの
眼の中に、その惨状を、たとえ数分の一であっても
思い描くことができるのだろうか。

「採決した、全部可決」 安保法案ドキュメント17日:朝日新聞デジタル