1993.5/今日は稼業休みます、な懲りない面々

新宿っていやぁ良くも悪くも
毎日がお祭り騒ぎみてぇなとこだが、それが
ここしばらくは祭りが終わっちまったような
気の抜けた空気が街を覆っているようだった。
もちろん老若男女、堅気にチンピラ
お上りさんも地元っ子もいつものように
通りに繰り出しちゃあいるが、それでもどこか
いつもとは違うってのは、情報屋というより
毎日街の片隅にしゃがみ込んでる靴磨きの勘だ。
現に歌舞伎町の客引きの声もどこか上の空
ヤクザに至っちゃ、肩で風切って通りをのし歩くのは
毎度のことだが、その怒らした肩に不用意な通行人が
ぶつかってきても喧嘩も売らずに通り過ぎちまう。

その理由といっても、思いつくのはせいぜいこれ一つだ
――あの『新宿のアイドル』香ちゃんが
長年のパートナーにして想い人の
撩ちゃんとようやく結ばれたっていう噂。
もちろん新宿の情報屋連中は躍起になって
そのウラ取りに駆け回ったもんさ。
でも得られたのは、あの子の荷物を
撩ちゃんが自分の部屋に運ばせたって状況証拠だけ
それどころか、相変わらず街で見かける二人の
距離のつかず離れずっぷりに、あの噂はガセで
まだあの子らは清い仲だって話も聞こえてくる始末。
まぁその辺は撩ちゃんが水も漏らさぬ鉄壁の防御で
これ以上尾鰭がつかないようにしてるってのは
想像に難くはないんだが。

それでも、確証は掴めないにせよ
あの二人にとっちゃ目出度い話だということで
“情報屋組合”総出で、本人不在ではあるものの
祝いの宴を開いたものの、席を設けた
裏通りの小さなスナックの雰囲気は
ものの見事に二分されちまっていた。

「いやぁ、あの撩ちゃんがなぁ」
「とうとう年貢の納め時ってわけか」
「じゃあ次は二世誕生だな♪」

という祝杯組(主にベテラン)と、

「いつかこんな日が来るとは思ってたけど……【泣】」
「もうショックでショックで……
しばらく立ち直れそうにないっすよ【涙】」
「嘘だ……嘘だと言ってくれぇっ!!【号泣】」

とのヤケ酒組(主に若手)と。

「まぁまぁ、香ちゃんにしてみれば
高校生の頃から思い続けてきた初恋の君と
ようやくいい仲になったっていうんだから
一緒にお祝いしてやらねぇと」

と、隣の席の源さんが年寄りの重い腰を上げて
横のテーブル――精神的な距離は
海を隔てた以上に遠い――へビールを注ぎに行く。
俺なんざ、デカだったあの子の親父さんとからの付き合いだから
香ちゃんはいわばまるで娘みたいなもんだ。
花嫁の父ってのは確かにちょっぴり淋しくもあるが
そこは晴れの門出、笑顔で送り出してやらねぇと。
だが、

「あの純粋無垢で穢れを知らない香ちゃんが、
あの性欲魔人の冴羽撩と、っすよ!?」

キャバクラの客引き・トオルの言葉に
露骨な想像が頭に浮かんだのか、連中は揃って
クサヤでも焼いたかのように顔をしかめた。
って、撩ちゃんもれっきとした俺たちのお得意様だろうが。
それに「穢れを知らない」っていったって
あの子も一昔前だったら“嫁き遅れ”呼ばわりされても
おかしくない齢だってのを、あいつら忘れてるんじゃねぇか?
兄貴の秀ちゃんだって、ようやく胸を撫で下ろしてるだろうに。
というかあの若い衆、まさか香ちゃんは
トイレに行かないとでも思ってるんじゃねぇだろうな。

「ったくなんだい、いい齢した男が
ぴーぴーぴーぴー、女々しいったらありゃしない」

と一喝したのは、この店のママ。
俺たちと同じこの街の古株で、肝の据わった姐御肌だが
今夜ばかりは情報やご一行に
軒を貸して母屋を取られた格好だった。

「だいたい、香ちゃんが人妻になったからって
あんたらになんの不都合があるってんだい?
まさかあの子を自分のお嫁さんに
したかったわけじゃないだろ?」

そう煙草片手に壁にもたれて吐き捨てる。
ヤケ酒組は抜け駆け禁止とばかりに
輪の中の顔を互いに見回した。
シティーハンターの恋敵に立候補しようなんて
太ぇやつは、どうやらこの場にはいないらしい。
そもそも、この中にはカミさん持ちのやつも
何人かいるってぇいうのに。

「――別に香さんとどうこうしたいって
わけじゃないんすよ。ただ、彼女が
誰か一人だけのものになっちまうってのが
どうしても耐えられないってだけで」
「そうだそうだ! 香ちゃんは俺たちの
いや、新宿みんなのものなんだ!!」

との黒服のアキラの口上に
周りからやんやの喝采が巻き起こる。
が、そのときだった。

「香が誰のもんだって!?」

半開きのドアの隙間から垣間見えた長身に
奴らは一瞬で、まるで
猫に睨まれた鼠のように凍りついた。

「おいおい、なんだよこのシケた雰囲気は
今夜は誰のお通夜だっていうんだよ」

と居丈高に周りを睥睨するその態度と
一変して縮こまってしまった若い衆の姿から
どっちが勝者でどっちが敗者だか
一目瞭然になっちまってた。

「情報屋連中が集まって密会してるって聞いたから
なんの一大事かって思って
来てみたら、ただのフラれ酒か。
駆けつけて損したぜ。家じゃあカオリンも
淋しがっているだろうしな」

と、自慢げに見せつけ、もとい「聞かせつけ」れば
たとえ負け犬連中とはいえ我慢の限界も近いかもしれねぇ。
がっくりと俯きながらも沸々と音が聞こえてきそうなほどに
湧き上がってくる、やり場のない奴らの憤りに
すわ血の雨が降るか!と思わず息を呑んだ途端、

「誰が淋しがってるって!?」

と、勢いよくドアを開け放ったのは
この場にいる全員が拝み伏してやまない
新宿のアイドル、いや“マドンナ”だった。
ご丁寧に右手にはそのシンボルたるハンマーまで握って。

「せっかくだから言わせてもらうけど、撩
あんた最近つけあがりすぎ!
外に出れば偉そうにあたしに
ハンカチからマッチから全っ部出させるし
家にいればいるでやれコーヒーだやれ靴下だって――
言っとくけどあたし、あんたとそういう仲になったけど///
あんたのものになった覚えは少っしもありませんからっ!!」

思わぬ真実の暴露も、彼女のその剣幕に気圧されて
その場の全員が聞き逃してしまっていたに違いない。

「あたしは誰のものでもないの
っていうかそもそもあたしは物なんかじゃないの!
それでもあえて持ち主は誰かっていったら
あたし以外に誰がいるっていうの!!」
「そりゃあ……ご説ごもっとも」
「このハンマーだって、いくら撩がやめろって言っても
やめるつもりはこれっぽっちも無いんだからねっ。
あんただってそうでしょ? いくらあたしが
夜遊びはやめてって言っても、聞かないでしょ?
だから言うつもりはないんだけど」

そう思いきり顔を、及び腰な撩ちゃんの方に突き出す
香ちゃんとの間に、当然ながら
ロマンティックな雰囲気というのは微塵も無い。
だがそのロマンティシズムってやつを信じたい
連中の間から、声にならない撩ちゃんコールが巻き起こっていた。

「夜遊びは――」

惚れた女にそう言われたからには、もう金輪際、と。

「やめ―――」

情報屋、ママ、そして香ちゃんの視線という視線が
寄ってたかって撩ちゃんの全身を串刺しにする。が、

「――られるわけないじゃな〜い、このもっこり撩ちゃんが♪」

一同、溜息。

「でしょ? だからせいぜい財布に無理のない範囲にしてねって
我が家の“飲み代係数”は馬鹿にならないんだから」
「――ふぁい」
「皆さんも本当にすいませんでした、楽しい席を
撩のやつが台無しにしちゃったみたいで。
ほら、帰るわよ」

と首根っこを掴まれている様は
もはや亭主を尻に敷く古女房の風格で。
まぁ、清い仲でも長い付き合いだから
当然っちゃ当然のことか。
すると香ちゃん、帰りしなに店のママに
何やら小さく囁いてった。
そしてママはカウンターの内側へと消えると
ボックス席へと戻ってきたときには
手には大仰な琥珀色のボトル。

「それってレミーマルタンじゃないっすか!!」

さすが黒服のアキラ、それを毎晩運んでいるだけのことはある
といっても一口も飲んだことはないんだろうが。

「そうよぉ、香ちゃんが皆さんにって。
だからこれ飲んで、元気お出しな!」

と注いで回る瓶の口にはキープの名札
ちらっと見えたその名前は「R」の一文字。
――自分は自分自身のものでも
撩のものは自分のもの、ってわけか。
まぁ、それが「夫婦」ってやつなんだろうから。

「誰のものでもないってことは
誰のものでもあるってことだよな!」
「そうそう、香ちゃんは昔も今も
オレたちみんなのものなんだよ!」

と若い連中が再び意気軒高としている中
ママがようやく俺の方にもコニャックを注ぎにきた。

「轍さん、時代も変わったもんねぇ
アタシたちの頃だったら
『あなた一人のものになります』っていって
嫁いでったもんだけど」

生憎、古馴染みではあるがこのママに
結婚歴があるかどうかは情報屋の範疇外だった。
なのでその辺は曖昧に頷きながら、

「まぁ、でもその方が香ちゃんらしいじゃないか」
「そうね、あの子らしいわねぇ」

と、ママも撩ちゃんのレミーのご相伴に与った。

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