Our Endless War

戦場において、敵の矢玉に斃れることは
もはや宿命といっても過言ではない。
それゆえ、もし不幸にもそのような事態に陥っても
当の本人は従容としてそれを受け入れうるだろうし
(実際のところどうなのか、向こう岸からは
戻ってこられようがないので判らないが)
それで仲間を失っても、遺された者たちは
その哀しみを敵への憎しみという
さらなる戦いへの燃料と換えることもできる。

だが、それが戦病死ともなればどうだろうか。
戦場での華々しい最期とは対照的に
病み衰えた姿は英雄的とは言い難く
恨むとしても相手は死神しかいない
さもなくば、その病から戦友を救えなかった
自らの装備の不甲斐なさか。

そして今日、一人の兵士が戦場を後にした。
彼は幸いにも生きてそこから抜け出せたが
むしろその方がこれから先、地獄を見るかもしれない
――オンコセルカ症、またの名を河川盲目症
回虫を病原体とする伝染病であり、その名のとおり
患者を失明へと至らす病でもある。
そして未だ、その効果的な治療薬は発見されていなかった。

「ああっ、くそ!」

周りに人がいないのをいいことに、椅子を思いきり蹴り倒した。
何のために自分がここに――ゲリラの部隊に
軍医として身を置いているのだ。
そもそも、自分は元は臨床医というわけではなかった
日本を離れ、中米のジャングルに分け入っていったのも
伝染病の研究者として、未知の病原体を探し出すためだった。
それをゲリラの支配地に足を踏み入れてしまい
命が惜しくば、というわけでここに居ついてしまったのだが
彼の症例はまさに私の守備範囲だったはずだ。
なのに貧弱な医療設備と、何より自分の力不足で
貴重な戦力を一人失ってしまったのだ。

椅子とはいっても兵士の一人が木を組んで作った
簡素なものだが、材質そのものはいたって堅固で
しかも小指の先をぶつけてしまったようで
次の瞬間、蹴った足を思いきり抱えて
片足立ちで思いきり痛がっていた。
こんな姿、たとえ仲間であっても見せられるもんじゃないが――

「――きょーじゅ?」

ひょっこり野戦病院を覗きにきたのは“ベビーフェイス”だった。
今は目立った戦闘も無く、彼らは訓練と作戦会議に
明け暮れているようだったが、それに飽いたのか
はたまた“医学書”目当てに顔を出したのか、その両方か。

「さっきカルロスとすれ違ったけど」
「ああ、あの目じゃもう戦えまい
里に帰ると言っておった」
「里って、そこで何するんだよ」
「さぁ、農作業も無理だろうし……
按摩でもするのかね」
「あんま?」
「あ……あぁ、マッサージのことだ」

盲人の稼業といえば按摩というのは
日本だけの常識というのに今さら気づく。

「なぁ、あいつはもう二度と――」
「無理だろうな、戦場に出るのは
もっとも、お前さんほどの腕利きだったら
目が見えなくとも戦うことはできるだろうが」
「俺? ムリムリ。せめてオヤジかハリーぐらいじゃなきゃ」

と謙遜するが、伊達に幼いころから仕込まれているわけではなく
弱冠10代であの海原と戦場で行動を共にしているのだ
他の年上の兵士たちより頭抜けているのは確かだろう。

撩と話しているうちに、ささくれ立った心も
少しは落ち着きを取り戻してきた。
椅子に腰かけ、診療机の上の一冊の本
――正真正銘の医学書――を手に取った。
見返しには自筆の殴り書き。

「『努力だ、勉強だ、それが天才だ。
誰よりも、3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ』

後ろから覗きこんだ撩がその悪筆をすらすら読み解いた。

「これ、教授が?」
「というより、野口英世の言葉だ。
知らんか? 野口博士のことを」

診察台に座り込み、首を横に振る。
――知らんのか、偉大な同胞のことを
まぁ仕方ない、海原も日系人とはいえ
生まれも育ちもこの国なのだから。
なら、私が教えてやるほかない。

「日本が誇る世界的な医学者でな
今から70年も前に日本を飛び出してアメリカに渡り
そこで数々の研究を成し遂げた。おお、そうだ
黄熱病の研究においても多大な功績を残しておる」

この中米のジャングルもまた黄熱病のはびこる地だ
撩の周りにもそれにかかったものは少なくなかった。

「じゃあ今、ワクチンがあるのも
その野口博士って人のおかげ?」
「いや……」

病原体を特定するどころか、彼自身が
黄熱病のためにこの世を去ったことは
偉人伝でもよく知られている事実だ。

「――そういや、オヤジがよく言ってたよ
特に誰かが戦死したときなんか。
『たとえここに一人の兵士が志半ばに斃れても
それで彼の戦いは敗北のうちに終わったわけではない。
彼の遺志を継ぎ、遺された武器を持って戦うものが続く限り
彼は敗れたわけでも、その戦いは終わったわけでもないのだ』」

海原の追悼演説での決まり文句だ。
だが、たとえ毎回一言一句とも同じであっても
その弁舌に戦友たちはいつも勇気づけられてきた
仲間の志を決して無駄にはすまいと。

それは人と人との争いごとだけではない
人と病との絶えることない戦いもそうだ。
たとえ誰かの研究がその甲斐なく潰えても
技術の進歩と、そして新たな意志が
それを受け継ぎ、いつか花を開かせるのだ。
例えば、細菌より微小なウイルスの発見により
黄熱病の病原体が特定され、ワクチンの開発に至ったように。

「だからカルロスが戦場を離れても
俺があいつの分までも戦い抜く。
それに、もし俺が死んだとしても
きっとまた誰かが俺たちの分まで戦ってくれる」

我々の戦いは遠くヒポクラテス、そしてそれより昔の
名もなき先人たちからずっと引き継がれ
これからも受け継がれていくだろう、
ヒトという種が存在し続ける限り。
だが、撩の戦いはせめて彼が生きているうちに
決着がつくことを願わずにはいられなかった。
それが勝利でも、また敗北であっても。

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