violation of compliance

参ったことになった、と思ったに違いないだろう。

よりにもよって、警視庁特捜課のガサ入れに
居合わせてしまったのだ、警視総監の次女のわたしが。
しかも現場指揮官は当然ながら、あの長姉
来年の1月からは東新宿署の署長への栄転が
内々に決まっているそうなのだが
それを踏まえての最後の実績作り、というような
いかにも官僚的な思考は彼女の中には皆無だろうけど。

「言っとくけど、あの店の客のほとんどは
クリーンな堅気の人間よ、わたしも含めて」

どうせヤクの密売現場を抑えるつもりだったのだろう
あのバーは外国人も多い店だし。だからといって
そこにいた客全員をまとめて「任意」で引っ張って
後からふるいをかけるってのはずいぶん稚拙な手だ。
わたしだって、刑事だった頃は薬物担当だったのに。
でも、

「クリーンな堅気の人間が、そんなに毎晩
派手に男と遊び歩いているものかしら」

もともと夜遊びは嫌いな方じゃない
これでも10代から夜の街ではちょっとは有名人だった。
ただ、その遊びの性質が変わったのはここ数ヶ月のところ
――奥多摩での、ファルコンと美樹さんの結婚式に
呼ばれてからのことだった。

「まぁ、あなたが羽目を外したくなるのも
判らないでもないんだけど――」
「何その『判らないでもない』なんて
奥歯に物の挟まったような言い方」

傍から見ればこの姉は、『警視庁の女豹』であり
色気を武器に男を手玉にとって捜査に利用する
いっぱしのファム・ファタールに見えるだろう。
だがすぐ下の、付き合いだけは長い妹にはよく判る
その仮面を一枚剥いでしまえば、そこに現れるのは
エリート警察官一家の長女であり
『学園始まって以来の秀才』であり
品行方正な生徒会長であり
正義感ぶった、不器用で融通の利かない
上から目線の堅物以外の何物でもなかった。

「――あ、そうそう。あなたと一緒にいた男性
今さっき取り調べが終わって釈放されたそうよ。

「えっ、ほんと?」

その瞬間のわたしは飛び上がらんばかりに
目を輝かせていたに違いない。現に
パイプ椅子から腰が少し浮きかけていたのだから。

「好きなのね、麗香。その彼が」

好き――と言っても、きっと姉や
撩と香さんにとっての「好き」とは別物だろう
「結婚前提」とか「永遠の誓い」とは対極の
束の間のときめきと刺激だけで結ばれたもの。
それでも、今の自分にとって彼は大切な存在だった。

「好きでもない男とは寝ないってわけだ」
「///そうよ、文句ある?」
「そういうところは相変わらず純よね」

なんて言われてしまうと、なんだか見下された気分だ
ほんの数歳しか変わらないというのに。だけど、

「そんなこと、あの頃のわたしにはどうだってよかった
行きずりの、名前も知らない相手でもいい
愛なんて要らないからとにかく抱いて
乱して、穢してほしかった――」

姉のどん底を、わたしは知っている
自分はまだ制服警官だったときだった。
最愛の恋人を失って、遮二無二仕事にのめり込んでいた
そんな生真面目なワーカホリックの裏側に
それだけでは満たされぬ虚無を、闇を抱えていたなんて――

「そう……すればよかったじゃない」
「できるわけないじゃないの」

そうすげなく吐き捨てた。

「槇村さんを愛してたから?」
「ううん、いつまで経っても帰ってこない人に
操を立てたってしょうがないじゃない。
わたしはただ単に、今の地位を失いたくなかった
それだけよ」

確かに、エリート美人警察官の
しかも現役幹部の娘の乱倫ぶりなんてものが
世間に知れたら、恰好のスキャンダルだ
姉は当然、警察を追われてしまうだろう。
――だが、その保身もまた姉さんにとっては
愛の裏返しなんじゃないだろうか。
「女刑事・野上冴子」こそ
彼の愛した姿でもあったのだから。

「麗香。羨ましいわ、あなたが」

堕ちることも許されない姉を、初めて憐れだと思った
今までずっと、見下されてばかりだったのに。

「だから、いいこと? どうせ堕ちるんだったら
そん底まで堕ちる覚悟をなさい。もしかしたらそこに
何か光明があるのかもしれないのだから」

ええ、端からそのつもりだ
どうせ一番欲しいものは得られないのだ
二番目の幸福なんて手に入れても意味がない
そんなものには背を向けて、ずぶずぶと堕ちていってやる
うたかたのような、束の間の夢さえあれば
それだけでも生きていけるのだから。

「その代わり――手が後ろに回って
わたしたちに迷惑がかかるようなことだけはしないでよ」

はいはい、判ってますってお姉さま。