too heavy to love

ジャーナリストという商売はfrom 9 to 5というわけでないから
これといって何も起きていない平和な午後に
Sweetheartの顔を覗きに行っても特に責められるわけではない。
その代わり、一たびフウウンキュウをツげれば
たとえ結婚記念日でもヨウチアサガケは当たり前なのだけど。

なので、教授の屋敷のキッチンでカノジョを見かけたのは
本当に予想外の、嬉しいハプニングだった。

「What's up, Kaori!」
「あら、ミック。あなたこそ
どうしたのよ、こんなところで」

リョウがカオリを本気でパートナーとして傍に置くと決めてから
カノジョもヤツの気持ちに応えようと、今まで以上に
あれこれ努力を重ねているようだ。その証拠に
オレのとっさの英語でのリアクションも
正しくヒアリングできていた。

「オレはある意味自由業みたいなもんだからね。
カオリこそ、リョウのお守りはいいのかい?」
「これも仕事のうちよ。かずえさんから助手を頼まれて
っていってもあたしにできるのは後片づけとか
数値のメモ取りとか、そんなものだけだけど。
あとはメシスタントぐらい」

それも立派な仕事のうち、カズエの場合本当に
「寝食を忘れて」実験に没頭してしまうから
誰かがちゃんと栄養のあるものを用意してあげないと。
どうやらカオリは、その昼食を終えた後の
後片づけに励んでいたようだ。
洗い物を済ませてオレの方に向き直ろうとしたとき
――立ちくらみか、膝から上がぐるりと揺れた。
流し台にもたれかかって事なきを得たけど
それを黙って見ているだけのオトコじゃない。

「What's wrong? You look a little pale
(顔色が少し悪いよ)」
「ううん、なんでもないの。ただの二日酔い
キッチンドランカーなんてタチが悪いわよね」

いかにも健康的なカオリと、キッチンでの孤独な深酒とが
瞬時に結びつかなかったが、オレに手を取られながら
カオリは未だ焦点の定まらない上目づかいで
こう尋ねてきた。

「――ミックって、かずえさんの気持ちが
重たいって感じたこと、ある?」

「――そんなことないわよね、かずえさんったら
研究がもう一人の恋人みたいなもんだから
逆にミックの方が淋しがってるくらいよね」
「カオリ、リョウに何か言われたのかい」

確かにカオリのリョウへの愛情は、一部の男たちからすれば
「重たい」と感じてしまうかもしれない。
何くれとなく世話を焼き、どんなにつれなくされても
決して諦めることなく無償の愛を注ぐ――
愛してくれと求めないからこそ
不実な男たちはなおさら居たたまれなくなってしまうのだ。
それとも――逆か。

「リョウ」と「重たい」なんて言葉は
一見、全く正反対のように思える
あの自称「世界一軽い男」にとって
重いのはせいぜい体重くらいのもので
それはあの筋肉質だから仕方ないだろう。
だが――来る者拒まず去る者追わず
美人だったら誰でもOK、の「軽い男」は
薄情そうに見えて、実は誰より多情なのだ
たった一人の女ではその愛を満たせないほどに。
けれども、太陽が西から上ってしまったかのように
リョウがその愛情がたった一人の女――カオリ――にだけしか
向かなくなってしまったのだ。その結果
彼の愛情にカオリが押し潰されそうに感じるのは
当然ともいえた。

「ミックは昔の撩を知ってるのよね
あいつが昔、どんなにやさぐれてたか」
「ああ――でも、それを変えたのが
カオリ、キミなんだよ」
「それが、ときどきすごく重すぎてしまうの。
一人の女のために生き方を変える――それって
傍から見れば憧れちゃうくらいロマンティックだけど
でも、自分がその立場に置かれると
あたしは、それだけの撩の愛情に
十二分に応えられるのか、不安で不安で
――もう、どうしようもなくて……」

椅子に深く腰掛けて、首も支えきれないというように
カオリは大きくうなだれていた。オレにできることといったら
冷たい水を汲んでやることと、カノジョの言葉に
耳を傾けることぐらいだった。

「でも、カオリだってリョウのパートナーになるために
いろんなものを犠牲にしてきたんじゃないかな」
「ううん、それだってせいぜい自分が20年間生きてきて
身につけてきた程度のものだもの。
そんなもの、大したことじゃないわ
それより――撩と出逢ってから得てきたものを
今、総て――撩を除いて、手放せって言われても
あたしにはできそうにないもの。この新宿も
ここで出会った大切な人たちも――もちろんミックもね
それら全部を捨てろっていうんだったら
あたしは撩と一緒にいることの方を諦めるかもしれない。
たとえ傍にいられなくたって、想い続けることはできるから……」

リョウにしてみれば、あいつが捨て去ったのは
自ら望んで手放したものだったのだろう。
ヤツの選択をカオリが重荷に感じることはない
まして、だからといって今度はリョウのために
カオリが生き方を変える必要はこれっぽっちも無いのだ
リョウ自身がそれを望んでいないのだから。

「――なのに、撩があたしにしてくれたことに対して
あたしは10分の1……ううん、100分の1も返せてない
身体中から愛情という愛情を捻り出したとしても
撩の与えてくれたものには全然足りないの――」

深く俯いた顔からは、カオリの綺麗な鳶色の眼は窺えなかった。
ただ、そこから零れた滴がエプロンの膝を濡らした。
きっと、そんな居たたまれない夜にはカオリさえも
バッカスのもたらす酩酊に総てを忘れてしまいたくなるのだろう。
うなだれてありありと覗くうなじからは、背筋を伸ばしていれば
判らないであろう昨夜の跡がくっきりと刻まれていた。
そして、見ればカノジョの細い手首にもかすかに
強く掴まれたような鬱血の跡――酔いに任せて
相当激しく乱れたに違いない。

リョウがカオリに、自分の捧げただけの愛情を
捧げ返してくれることなど求めていないだろう。
だがその寛大さも、ときに相手を追いつめてしまう。
ならばカオリの苦悩は決して終わらないのだ
やり過ごして、やり過ごしきれなくなって
酔って、溺れて、乱れて、それでリセットして
そしてまたやり過ごす――その繰り返し。

カオリを愛する男の一人として
カノジョの思いつめた横顔はできるものなら見たくなかった。
でも、だからといってオレにはどうすることもできない
それでもカオリはオレを選んでくれることはない
カオリが選ぶのは――いつもリョウであり続けるのだから。