TONIGHT

相変わらずの不夜城の喧騒の向こうから
除夜の鐘が響く夜。
公共放送の国民的歌番組の決着ももはや付き
画面は各地の年越しの風景を映し出していた。
テーブルの上には、残り少なくなった
とっておきのバーボンとアイスペール
そしてショットグラスと背の高いタンブラーが一つずつ。

ひかりはというとカウントダウンとか言って
いつもの連中と街へ繰り出していった。
それでも朝までには帰るだろう、あいつらと
新年最初の太陽を眺めるのはいつもここの屋上なのだから。
なので今は二人きりで
2015年最後のひと時を過ごしていた。

「今年もいろいろあったわよねぇ」

すでに上機嫌に頬を赤らめながら香が唐突に切り出す。

「なんだよ、いきなり」
「いいじゃない、今年ももう
あとちょっとでおしまいなんだから」

と、ボトルの中のわずかな残りを俺のグラスに空けた。

「まぁな。でもまさか誕生日の
デートの相手が実の娘だとはな」
「あら、あの子にとってもいいお祝いに
なったんじゃない? 記念すべき20歳の誕生日だもの」
「ハタチ、か……」

その20歳の誕生日、彼女の目の前の母親は
俺の許へと転がり込む羽目になった。
それからもう30年が経ち、その年も終わろうとしている。

「そうそう、今年も海に行ったよね」
「ああ、そうだったな」

今年は、30年前の夏に二人が初めて行った海に
久しぶりに二人だけで足を運んだのだ。

「そこで麦わら帽子、失くしちゃったんだよねぇ」

いや、失くしたというのは厳密にいえば正しくない
決して所在不明になったわけではないのだから。
そのありかは、今頃は海の底か
それとも千切れて波間に漂っているのか……。

その日、あいにく台風が接近中で
空は晴れ渡っていても波風はすでに荒かった。
その一陣の風に、香がかぶっていた帽子が
舞い飛ばされてしまったのだ。

「見る見るうちに沈んでっちゃって
あたしたち、波打ち際で見てるしかできなくて……
でも、しょうがなかったんだよねぇ」

もうそれは過ぎたことというように香は笑う。
けれども、本当に仕方がなかったんだろうか。
昔だったら――30年前の自分だったら
逆巻く波をも恐れずに飛び込んで取り戻しに行ったことだろう
それがたとえ「ただの相棒」の帽子だったとしても。
だが、今の自分にはその一歩が踏み出せなかった。

「ねぇ撩、来年もまた行こうね」
「えっ?」
「海によ。また来年の夏――」

俺は強く、香を抱きしめた。

「――りょお?」

あいつの顔はここからは見えないが
その声は戸惑いに揺れていた、まるで少女のように。
そんな相変わらずの初々しさに心動かされずにいられなくて
目の奥がつんと痛くなる。

香の言う「来年の夏」、それがはっきりと思い描けなかった。
そんなことはこういう生き方をしている以上
避けられないことなのかもしれない。それでも
かつては未来を夢見ることができた、たとえ幻でも。
その「未来」は今や、手のひらにのせた砂のように
指の隙間から、ほんの僅かを残して零れ落ちてしまっていた。

遠くに聞こえる鐘の、108の音も
じき終わりを迎えようとしている――
さよなら、30年目の季節。さよなら、愛しい日々よ。
閉じた瞼の裏側によぎるのは今年の、そして今までの記憶。
もうとっくに今の人生、余生だと思っていた
心も体もボロボロで、いつガタがきても覚悟の上だと。
でも、もうそれが洒落にならなくなってきたみたいだ。

だから、せめて今夜だけは――
お前の総てを刻み込みたくて
俺の総てを刻みつけたくて
この一瞬一瞬を、心に焼きつけたくて。

――そのとき、俺はシャツの胸の辺りが
僅かに湿り気を帯びてきていることに気がついた。

「香――なんで泣いてるんだよ」
「じゃあ撩は、なんでこんなことするの?」

腕を緩め、真正面から向き合えば
香の目から滴が頬を伝う。
それでもあいつは、俺をいたわるように
その腕を俺の首筋に絡めた――
どんなときも、たとえ切なさに胸が壊れそうなときも
香は、その大きな愛で俺を包み込んでくれる。
その表情が涙で曇ったさまはこれ以上見たくはなかった。
だからせめて、これからもあいつが笑顔でいられるように
そのときたとえ、俺が隣にいなくても――

香、お前を愛したい。この生命が尽きるまで。

あけましておめでとうございます、と
テレビからは明るい声が聞こえた。

「あ、年越しちゃったね」

ぽつりと香が呟いた。

「年越しそば準備するはずが
『年越したそば』になっちゃったじゃない」

ああ、そういえば昼間に生そばを買ってきたとか
言ってたな、一緒に天ぷらも。つゆももう準備済みで
あとはどちらも温めるだけ、俺があんなことをしなければ
少なくとも年をまたぐ瞬間には間に合ったはずだ。
それでもあいつは俺の腕の中から抜け出すそぶりは見せなかった。
「年越したそば」なら5分越そうが1時間越そうが同じこと
だったらひかりが帰ってきてから一緒にありついてもいい
残りの面子にくれてやる丼は無いが。

「香ちゃんは年越しそばより
撩ちゃんの傍がいいんじゃないの?」

とおどけてやれば、照れたような笑みを浮かべた。
そうそう、その笑顔が見たいんだよ
それがあと何回見られるか判らなくても。

だから俺は、再び香を強く抱き寄せた。

TUBE TONIGHT 歌詞 - 歌ネット