教育的配慮

この仕事は依頼人を家に泊めることも多い
というかほとんどだ。だからひかりが生まれてからは
そういうときは、あの子を美樹さんや教授のところに
泊りがけで預けて面倒を見てもらっていた。
でも今はケースバイケース、さほど危険が無さそうな場合は
家でひかりの面倒を見ながらガードすることも少なくない。

あの子ももう赤ちゃんという齢ではなくなった分
世話が焼けることも減ったということもあるだろう。
それと同じくらい、自分たちも親としての経験を
多少は重ねてきたつもりだ。初めのうちは
ひかりの世話だけでいっぱいいっぱいになっていたのが
少しは余裕が出てきて、その余裕を今度は
依頼人に対して向けられるようになってきたとは思う。

もちろん、それも程度によりけりだ。
依頼人が相当危険な連中に生命を狙われていて
その巻き添えをこちらも食らいかねないという場合は
当然ひかりは余所に隔離せざるを得ない。
でも今回は、最近よく聞くようになったストーカー
それくらいだったら何とかなりそうだ。

ひかりの世話をしながら依頼人を匿うことには
意外なメリットがある、ということに気づいたのはつい最近のこと。
近頃セラピードッグ、アニマルセラピーなんて言葉を
聞くようになったけど、あの子にはそれならぬ
『セラピーキッド』としての力もあるようだ。
といってもただ普通の子供として毎日を過ごしているだけだけど
今までずっと追い詰められてピリピリしていたような依頼人にとって
子供が無邪気に遊んでいる姿を近くで目にしたり
一緒になって絵本を読んであげたり、ということが
心の平穏を取り戻させる手助けになっているのかもしれない。

まぁ、そんなわけで現在こうして家族ぐるみで
依頼人と生活を共にしているのだが
一つ頭が痛いことがある。それが――あの子の父親、撩だ。
依頼人の美人にセクハラまがい、というかそのものの
ちょっかいを出すのは昔からのいつものこと。
でもそれを、子供の前でも改めようとしないのだ。
人の親としていかがなものかという以上に
教育的配慮というのが無さすぎる【怒】
まだ幼いひかりに対して悪影響を及ぼしかねないというのが
あの中年もっこり野郎は理解しているのだろうか……
幸い、今は彼女は入浴中でこの場にはいないのだけど、

「リョオっ!?」

ヤツはというと抜き足差し足でリビングを抜け出そうとしていた。

「どこに行くつもりかしら?」
「あ、ゆきえさんのお背中を
流してあげようかなぁって……」

「リョオ?」
とソファに腰を下ろすと、隣の座面を2回叩いた
ここに直れと。その目と鼻の先でひかりはアニメに夢中だ
背後で繰り広げられている光景は、あの子にとって
残念ながら日常茶飯事のやりとりでもあった。

「よくもまぁあの子の前でそういうことが言えるわね
いくら女の子とはいえ、将来ひかりに何かあったら――」
「だから、そういうことにならないためにっていうのでもあるんだぜ」

意外な言い訳に一瞬たじろぐ。口から出まかせかもしれない
そういうときに限ってこいつはやけに自信たっぷりなのだから。

「ま、それはおまぁの協力が欠かせないがな」
「協力って何よ」
「そういや最近のアニメって
スカートめくりとか出てこないよなぁ」

と、ちらりとひかりの視線の先を見遣る。
今やっているのは、とかく悪評がついて回る
あの不埒な幼稚園児が主人公のではなかった。

「ちょっと、はぐらかさないでよ」
「なぁ、香」
「何よ」
「おまぁさ、スカートの中身は見せちゃいけないって
誰かに教わったか? あ、槇ちゃんか?」

話がさっきから右往左往するのに振り回されそうになるが
それがやつの巧妙に張り巡らせた伏線だということに気がついた。

「……ううん」

昔のマンガやアニメには、撩みたいな登場人物が珍しくなかった。
スカートめくりなんてのも当然のお約束だった
その後に続く「いやぁん、○○君のエッチぃ!」という
女の子の当惑とセットで。
こんな光景を繰り返し見せつけられれば
女性にとってスカートの中身を見られるというのは
不愉快なことなのだと、無意識に刻み込まれることだろう。

「だから、俺がこうして彼女にちょっかいを出して
それに対してお前がちゃんとハンマーでお仕置きしてくれるから
ひかりも、身体を見られたり触れられたりすることは
良くないことなんだって覚えてくれるってわけさ」

ただ詭弁を弄しているだけかもしれない。
でもあたしにとって、撩の言葉はまさにそのとおりだった。

「小さい頃は良からぬものは見ざる聞かざる言わざるっていうけど
サ●エさんみたいな口当たりのいい理想ばっかり見せつけられたら
疑うことを知らないお人好しに育つだけだ。
それじゃ危なっかしくてこっちが見ちゃいられねぇよ。
だったら小さいうちから現実を、正しい見せ方で
教えてやる方がよっぽど親心って言えるんじゃないのか」

確かに、この世は教育的配慮に満ちた子供向けアニメのような
人畜無害の心優しい世界ではない。その無邪気さにつけこむ
オオカミたちがのさばる“野生の王国”なのだ
あたしたち――もちろんひかりも含めて――が生きる
この界隈はなおさら。まず身につけるべきは、そこを生き延びる術。

「さてと」
と撩が腰を上げる。

「ねぇ、どこに行く気?」
「え……っと、ちょっとそこまで(^^;)
「ねぇ、あんたの『教育』もあたしの協力があってこそ
って言ってくれたわよねぇ」

――だったら『お仕置き』は甘んじて
受けなさぁぁぁぁぁいっっっ!!!!!

と、いい年こいたセクハラ中年オヤジは軒下にぶら下げておく。

「ねぇ、ママぁ」

ベランダで娘は目をこすりながら
上目づかいで顔を覗き込んできた。

「眠くなっちゃった? そろそろねんねしようねぇ」
「パパは?」
「パパは今日はここでねんね」
「じゃあおやすみぃ、パパぁ!」

そう下へと向かって思いきり叫んだ。

大きくなってあの子が、ときにあたしの代わりに
撩に対して、文字どおりの『鉄槌』を
下してくれるようになったことに関しては
撩の教育的配慮は間違っていなかったのかもしれない。
ただ、街にはびこる不審者を、自ら進んでおとりになってでも
とっちめようとすることは、誰のせいとは言い切れそうにないのだけど。