1994.1/Shirts on the skin

朝、といわず真夜中といわず
些細な物音で目が覚めてしまうのは
相変わらずの悪い癖。
今やベッドも俺一人のものではないのに。
あいつと結ばれて初めて迎える、冬の朝。

香の朝は俺より1時間は早い。
朝食の準備だのゴミ出しだの洗濯だの
早くからやってしまわなければならない家事は
総て相棒任せにしてしまっているが
そのことをあいつ自身が何も言ってこない以上
ベッドから抜け出す物音で目が覚めても
そこから優雅に二度寝を決め込んでいた。

今日もいつものようにベッドから
俺の腕の中から香はするりと抜けだすと
シャワーを浴びる前に今日の服を
引っ張り出しているようだ、といっても
これから鏡で昨夜の跡の分布具合を確かめてみないと
せっかく用意した服も着られなくなることもありうるが
――とぼんやりと考えながらまどろんでいれば
よかったのに、出来心でふと身をもたげて
薄目で香の姿を確かめた。
ブラインドと遮光カーテンが朝日を遮る薄暗い中
あいつは素肌にダンガリーシャツをまとっただけで
引き出しの中身を覗き込んでいた。

あ、そういやあれ、昨夜ここまで着て来てたっけ。
いつもTシャツの袖を思いきり捲り上げている俺でも
年がら年中そうしているというわけではない。
冬場はさすがにTシャツも長袖になるし
(それを相変わらず7分丈に捲くっているが)
さらに寒さが厳しくなると、家の中では
その上にシャツを一枚引っ掛けるのが常だった。
着古した、いわゆるダンガリーシャツ。

普段はリビングのソファにぶん投げてあって
帰ってコートを脱いでから代わりにそれを羽織っているのだが
その乱雑に脱ぎ散らかされたシャツを
片づけるでも、そうするよう俺にせがむでもなく
それを手にして香がぼそりと訊いてきたことがあった。

「ねぇ、このシャツって古着?」
「いんや。でもどうして」
「だっていい具合に着古してあって
肌触りもすごく気持ちいいんだもの」

確かにそのシャツは、一見だいぶヨレヨレだが
だからこそ風合いも着ていてちょうどいいように柔らかだ。
なのですっかり手放せないのだが、俺と同じくらい
香もこのシャツに愛着を感じているのかもしれない。
その肌触りに加えて、惚れた男の残り香が染みついているのだから。

「最初買ったときは普通に新品だったよ」
「それって何年くらい前?」
「んー、こっち来てすぐだったと思うから
確か、10年くらい前かな」

そのとき、香の表情がわずかに曇ったのを思い出した
それは――嫉妬、というのは穿ち過ぎだろうか。
このシャツは真新しい、いわばヴァージン状態だった頃から
俺以外の肌を知らずに、ここまでその肌に馴染んできたのだ。
今だどこかで馴染みきれずにいるあいつにとって
その“先輩”に羨望の念を抱くのも当然のことだろう。
だが、そのシャツは同時に10年後の香でもあるのだ。

少しは慣れたとはいえ、未だ行為そのものに対して
どこか怖々したものがあるのは俺としても否めない、
10年前、まだ買ったばかりで硬さの残るシャツのように。
それだけではない。香と生涯を共にすると覚悟を決めた後は
仕事上のパートナーとしての関係も以前とは違うものになった。
かつてより確実に重くなった責務に対しての戸惑いもあるはずだ。

でも、今から焦ることはない。時が経つにつれて
その新しい“服”も馴染んでくるはずだ、このシャツのように。
そして香自身も、着古したシャツのように俺に馴染んで
きっと手放せない相棒になるに決まっているのだから。

「あっ、りょう」

どうやら俺の半起きの気配に気づいていたようだ
それだけでもパートナーとして大した進歩だ。

「いやぁ眼福眼福」
と開き直る。それはそれで、今の香の姿は
まさしく“男の浪漫”なのだから。

「あっ、このシャツは着替えを用意するまで
借りてるだけで、シャワーを浴びて着替え終わったら――」

返すから、なんて言い訳は聞かなかったことにする。
早く肌に馴染ませるにはまずは回数あるのみと
俺は香を再びベッドの中に引きずり込んだ。