わたしの扶養家族

出先から帰ってくると郵便受けに何通か刺さったままになっていた。
仕方なく自分がそれを回収して、デスクで一通一通開く。
ダイレクトメールばかりだったらまだしも、こういう仕事をしていれば
名指しで封書が届くことも多々あって、その中には
訴状だったり内容証明郵便だったりと
有難くないものも混じっていたりするので
無下にななめ読みしたり、ましては開かずに
紙屑の中に入れてしまうことはできない。
幸い、今日はその手のぞっとするような手紙は無かったものの
最後の一通が、

「あー、そりゃそうだよなぁ……」

オートローンの明細など、どちらかといえば
「有難くない」の範疇に入ってしまうものだろう。
でも人生楽ありゃ苦もあるさ、これも
お楽しみの代償と思うしかないのだ。

アルファロメオ1960年式ジュリエッタ・スパイダー
イタリアが誇るコンヴァーチブルの名車だ。
名匠ピニンファリーナが手掛けた軽快なフォルム
そして何よりこの赤!などというと
やっぱりお姉さんが気になるんでしょ、なんて
言われかねないのだけれど、ドイツの陰鬱な空の下の赤と
アルプスを越えた地中海の輝くばかりの太陽の下で
映える赤とは訳が違う!とかなんとかいってるうちは
やっぱり張り合いたくてうずうずしているのかもしれない【苦笑】

でも、こんな派手な車は仕事には使えないだろう
尾行しようにもこれじゃ目立ってすぐにバレてしまう。
なのでそのときは、経費を依頼人に請求したうえで
レンタカーを借りるというのが賢明な選択だろう
(でもクーパーだって充分目立つわよね
撩たちその辺大丈夫なのかしら?)
なのでこれはもっぱらプライヴェート用、どうせ2人乗りだし
これで海岸沿いを走ったらどんなに気持ちいいだろう
1人でも、もちろん2人でも。といっても
助手席に甘んじてくれる男性はどれだけいるだろうか
わたしだってこれのハンドルだけは譲れないのだけど。

そんなわけで惚れ込んで、衝動買いしてしまったのだ
結構な値段で。そして、その月々の支払額が
こうして今手元に届いたというわけだ
手に入れた喜びに冷水を浴びせかけるかのように。
これでも、一括で払えるだけの蓄えはぎりぎり持っている
だがこういう先行き不透明な仕事、もしものためにも
それには手を付けずにおこうと思ったのだが、

「半分は切り崩してもよかったかなぁ……」

と思えど後の祭り。額も額なので10年の長きの間
それでもそれ相応の支払いを
月々続けていかなければならないのだ。
つまり、そのためには今後10年
嫌でも仕事を続けていかなければならないということ。
そう思うと肩にずしっと何かが重く
覆いかぶさってくるような気がした。

もちろん、いつでも辞められるというような軽い気持ちで
この探偵という仕事を続けているわけではない。
わたしを頼りにしてくれる依頼人や
手を貸してくれる“取引先”に対しても
責任を負わなければならない立場にある。
けれどもそれはあくまで人対人の関係
いざとなれば話し合えば分ってくれるはず、というのもある。

だが一方で、借金はそんなに甘いものではない
どんなことがあっても、たとえ死んでも借りたものは
返さなければならないのが人としての義理。
ましてわたしのような、宮仕えと比べれば
何かと信頼感の薄い自由業であればなおさら
その義理を全うしなければならないのだ。
それを途中で放り出すわけにはいかない。
(まぁ、実際死んでしまうようなことがあったら
車が抵当に取られてそれで完済なんだろうけれど)

数字にざっと目を通すわたしの脳裏に
「働かされる」という暗雲が立ち込めていた。
それまではあくまで自分がそうしたいから
「働いている」という感覚だったはずなのに
そこに押しつけが加われば嫌気がさして当然だ
逃げようにも逃げられないとあれば余計に。

そのときふと、そんな雰囲気に不似合いな
明るい声が外から聞こえてきた。
窓の下を覗き込めば、それは隣のガレージから
おそらく洗車をしているのだろうけれど
いつしかそれは愛娘を交えての水遊びへと変わっていた。

――わたしにとっては、この新しい愛車が扶養家族なのだ
撩にとってのひかりちゃんがそうであるように。
もちろん「この子」に扶養手当も(経営者なのだから
当然だけど)控除もつかない、傍から見れば
金ばかりかかる贅沢品かもしれないけれど
わたしは「この子」のためなら頑張って働こうと思える
親が我が子を思うように。

でも、車はローンを払い終えればあとは維持費だけになるけど
子供は10年というわけにもいかないし、それ以上に
お金だけではどうにもならない責任も
同時に負わなければならない。
それと比べて愛車を「扶養家族」と呼ぶことは
甘い考えかもしれないけれど――それくらいは許してよ
今後「本物」は持てないだろうから
いいじゃない、雰囲気くらいは。

「じゃあ、『お母さん』は頑張りますかねぇ」

と電卓を取り出すと、今後10年間
無事完済するためのやりくりに頭を捻り始めた。