KNOCK KNOCK CATS

それは普段の、何てことのない外出でのことだった。

「あらファルコン、いいわよ
あたしが運転してくから」
「いや、かまわん」
「でも目が――」
「慣れた道だ。多少見えなくても判る」
「……はいはい、判ったわ
あたしにはランクルのハンドルは触らせないのよね」

でも、もし危ないと思ったら
無理にでも運転変わるからねと言いながら
美樹は助手席の方へと回り込んだ。

「しばらく暖かい日が続いたけど
今日はまた真冬に逆戻りだわ」

俺もまた運転席のドアに手を掛けたとき
――ここまで近づいて気づかない方が迂闊だった
エンジンルームの中に何かの気配を感じた。
無論、そこに何かが潜んでいるということは
本来ありえないはずだ。しかも、こともあろうに
その気配は俺の全身を逆撫でするものであった。

店の常連兼腐れ縁の種馬野郎のように
自分の好物に対して鼻が利くのは当然のことだろう
(にしても奴の場合はほとんど病的だが)
しかし、好物以上に「天敵」と呼べるほど
毛嫌いするものの方が、人間、意外と
より敏感にその気配を察知してしまうということがある。
それも一種の本能だろう、天敵の存在には
いち早く気づかないと、身の危険に直結しかねない。
もっとも、俺の場合はたかがそんな小さなものが
「身の危険」になるはずがないのだが。

「ファルコン?」

ノブに手を掛けていたドアから離れると
そのままボンネットの方へと近づく。
そして、

  バンバン

と、これでもフードが凹まないように手加減して叩いた。
すると、

  にゃっ

「ウワッ」とも「ギャッ」ともつかない
情けない声が思わず漏れる。
天井から鳴り響いた轟音よりも
そっちの方がよっぽど驚いたのではなかろうか。

エンジンルームの下へと飛び出してきたのは
その着地の足音からして、さほど大きくはないだろう。
そしてその足音の柔らかさ、微かな爪の音からして――

「――猫、か」
「さすがファルコン、ご明察」

そのとき俺は、額から後頭部からびっしり
脂汗をかいていたのが美樹にも見てとれたはずだ。

「冬場にはよくあることだ。寒さをしのごうと
エンジンルームやタイヤの隙間で丸くなっているらしい」

それに気づかずにエンジンをかけてしまえば――
その惨状は、すでに目がほとんど見えなくなっている俺でも
目に浮かぶようだ。

「でも素敵だわ、あんなに猫嫌いなのに――」
「フン、無駄な殺生はしたくないだけだ」

もちろん、嫌いは嫌いでも「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
この世の猫という猫など総て三味線の皮になってしまえと
言わんばかりの猫嫌いも世間にはいることだろう。
だが俺はそこまではない。確かに猫は嫌いだ
目の前に現れてくれるなといつも思っている。
だが、現れてくれなければそれはそれでかまわない
ただお互いがそれぞれの縄張りを侵さずに
平和的にすれ違いながら共存できればそれでいいのだ。

――――――――――――――――――――――――――――――

「うわぁ〜、海坊主さんって優しいのねぇ」
「でしょお?【ハート】」

と、すっかり美樹はカウンターを挟んで
常連の女友達とすっかり盛り上がっていた。
もともとは、冬の運転の前にはそういう心配も必要だと
啓発のつもりで話した経験談だったが
いつの間にかすっかりその趣旨が変わっていた。
フン、「優しい」なんて男に対する褒め言葉じゃない。

「でね、その話には続きがあって――」

――それは、その翌朝のことだった。
新聞を取りに裏口へ出ようとすると
ドアの前に嫌な気配があった。
それは前日の猫とは別物の――屍の気配
といっても決して鼻につくほどの大きさではない。
とはいえ、目が悪い以上当て推量だけでは埒が明かない。

「美樹!」

彼女を呼んでからドアを開けた。

「ネズミ――というところか」
「さすがファルコン、ご明察」

ただ、自然死ではないということは見当がついた。
大きさには差があれど、この手の死臭は散々嗅いできたのだ。

「昨日の猫かもしれないわね。よく飼い主に
ネズミを捕まえて見せてくるっていうけど
もしかしたら恩返しのつもりかしら」

と言われても、もし仮に恩義を感じてくれているのなら
俺たちの周りをうろつかない方がよっぽど恩返しだろう。

「美樹、後で塩をまいておけ」
「じゃあついでにヘンルーダの鉢植えも置いておく?
あの匂いは猫が嫌いだっていうから」
「――いや、それはしなくていい。
一応うちは食べ物商売だからな、
そんなところにネズミがいようものなら
店の信用にもかかわる」

そう言ってネズミを摘み上げ、中へ戻ることにした。
こいつは後で焼却処分というのが一番無難だろう。
そのとき、背後でくすりと笑い声がした
あいにく目が悪い分、前も後ろも俺には関係ない。

あれから、猫もネズミも気配を感じることはない。
だが、それでいいのだ。確かに俺は猫は嫌いだが
目の前に現れなければそれでかまわないのだから。

日産:#猫バンバンプロジェクト 猫も人も安心して過ごせる社会のために。