End of the USA

さっきから奴は、届いたばかりの夕刊を手にしながら
My God! Heavens! Jesus Christ!と
妄りに神の名を口にしていた。

「ミック、いい加減新聞を皺くちゃにするのはやめろ
他の客も読む」

聞くに聞きかねた店の主がたしなめる。
奴の言うとおり、この店の客も今では
主夫婦の営業努力のおかげで
俺たちばかりというわけではなくなっていた。
何もその日の夕刊に載っているのは
その忌々しい記事ばかりではない。
今夜のテレビ番組も、肩の凝らない芸能ネタも
楽しみにしているやつは他にもいるというのに
ミックは1面に掲載されたそのニュースが
紙面全体を汚染しているかのように
薄っぺらい束をぎゅっと握りつぶした。

「こうなったら今年は何がなんでも
レジストレーション(有権者登録)して
キヨキイッピョウをコウシしてやる!」
「じゃあ今までは投票してなかったの?」
「ミキ、アメリカ大統領選の在外投票システムは
何かとメンドウくさくってね」

と、自称敏腕ジャーナリストは
いかにもアングロサクソン的に肩をすくめる。
って厳密にいえば奴の体内に
Anglo-Saxonの血は流れていたっけ。

「で、誰に投票するの」
「HilaryでもBernieでもどっちでもさ
あのDonald Duckをプレジデントにしないですむなら!」

そうミックは、握りしめた手に新聞を高々と掲げて宣言した。

「じゃあそのアヒル野郎が大統領になったら?」

と、わざと冷水を頭からぶっかける。
そしたら効果覿面というわけで、奴は一転
カウンターに思いきり頭を伏せた。

「こうなったらもうコキョウに思い残すことなんてないさ
真剣にニホンへのキカを検討することにするよ」

というか、それを今まで奴が検討したことがないとしたら
それはそれで意外だった。人生の半分とはいかないまでも
そうなるのは時間の問題というほど、ミックはすでに
もうこの街の住人として長いのだから。

「あんなのが大統領に決まったらアメリカは
世界中に恥をさらすようなもんさ!
ヤツを選んだのは他ならぬアメリカ国民だからな」
「お前はデモクラッツ(民主党支持者)だったもんな」

当の本人の熱の入り方と対照的に
海坊主が淡々とコメントを入れる。

「まぁな、もともとアイリッシュのマイノリティーだし
都会暮らしが長くて、しかもそれ以上に海外が長いとね」
「都会で海外だと、なんでそうなるの」

いい齢して、そういう素朴な疑問をこぼせるのも
ある意味で香の長所かもしれない。

「リパブリカン(共和党支持者)はどっちかといえば
その正反対だからな。白人のプロテスタントで
中西部なんかの田舎町に住んでるような、それも
海外どころか生まれた州から一度も出て行ったことのない
そんなイノナカノカエルばっかりさ、特にヤツの支持者は」

と一方的に決めつける。

「だいたい、ああいうヤツらにとっては
NYだって外国みたいなもんだよ、若い男なんて
連中の嫌いなゲイばっかりだから」

そこは聴衆がどっと受けるアメリカンジョークなんだろうが
あいにく香は真に受けて、ぽかんとしている。

「まぁ、こういう話はアメリカに限ったことじゃない
今じゃ世界のあちこちでこういう狭量なウルトラライトが
のさばってるからな、フランスのルペンとか、ドイツとか。
でもロシアのクマ野郎はともかくとして、未だに先進国で
そういうネオナチのポピュリストはまだ天下を取るに至っていない
有権者もそれほどバカじゃないってわけだ。なのに
アメリカが、よりによってthe United States of Americaが
その第一号に躍り出ようっていうんだ!
これが嘆かずにはいられるかよ!!」
「ま、アメリカ滅ぼすには核兵器もホワイトハウスへの
特攻作戦も要らないわな。チャンスは4年に一度だけだが
こうしてバカをトップに送り込んじまえばいいんだからな」

と、傷口に思いきり塩を塗り込む。

「リョオ、てめぇ……言っていいことと悪いことの
区別ってもんはあるだろうが」

すると、こうして襟首を締め上げられるわけで。

「でも、要は『アメリカ合衆国終了のお知らせ』ってわけだろ?」

最近のネットスラングでいえば、そういうことだ。
だが、こうして国を捨てようとまで思い詰めるということは
愛国心の裏返しだといえる。それほどまでに
「自由の国アメリカ」を愛し、その行く末を憂えているのだから。

奴はまだ、先進国と言われる国の中で未だ
ネオナチのポピュリスト野郎が政権を握った国は無いと言った。
だが――この国はどうだろうか
確かに“彼”は欧州の民族主義者とは違って
既存政党の真ん真中から出てきてはいる。
だがそいつが政権の座についてからはどうだ
経済政策はともかく、鼻につくのはいかにもな権威主義
「一億総活躍」の美名に反して“かくあるべし”から離れた輩は
今まで以上に生き辛くなろうとしているのが現状だろう、俺たちを含め。

じゃあ、その“空気”がある一線を越えたら
俺たちもまた、身の振り方とやらを考えなければならなくなるのか
今こうして見境なく泣き喚いているミックと同じように。
幸いなことに、俺には戸籍も国籍も無いし、だからか
奴ほど“祖国”に対する帰属意識も持っていない。
たまたま、人生で最も長居しているだけのこの国を
捨てることに何の躊躇もない。もっとも
典型的な“日本人”であり“日本国民”である香は
当然、祖国に愛着はあるだろうから
こいつを説き伏せるには一苦労するだろうけど。

「なぁリョウ」
「なんだよ」
「XYZだ」
「野郎の依頼なんか受けるかよ、バーカ」
「もし仮に万が一、口にするのもオゾマシイ
サイアクの事態に陥ったら、ヤツを消してくれないか」
「飛行機には乗らんぞ」
「いや、来日してくれたときでいい」
「断る。なんでわざわざ世界一のハードターゲットを
やらにゃあならんのだ」
「それができるのはお前だけだろ、リョオ!!」

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160504/k10010508631000.html