細腕&太腕繁盛記vol. 2 ナポリタン

「えーっ、無いのー!?」

と香が素っ頓狂な声を上げた。
近所、というほどではないが俺たちの行動範囲内に
この店が出来て(数年前までは美人姉妹が
切り盛りしていたらしい。そのときに行けばよかった;泣)
今ではこうして顔を出してはタコ坊主のマスター姿を
からかうのが日課になった頃。

「え、そんなにおかしい?
あたし、日本の喫茶店には詳しくないから
よく判らないんだけど」
「日本じゃね、コーヒーの次にナポリタンが
喫茶店につきものなのよ!」

と熱弁をふるう香。まぁ、美樹ちゃんほどじゃないが
俺もそこまで日本のサ店に詳しいわけではない
だったら香の方がよほどよく知っているだろう。
でも確かに、どの店に行ってもフードメニューには
必ずといっていいほどナポリタンスパゲティが
載っていたことに改めて気づかされた。

「でも『ナポリタン』っていうからには
ナポリ風ってこと?」
「うーん、あたしもイタリア料理はよくは知らないんだけど」

そっちだったら俺の方が少なくとも香よりは詳しい
同じ理由で中華料理も。何でかって?
この2つの組み合わせなら何となく気づくだろ。
少なくとも、本場の「ナポリ風スパゲティ」は
ナポリタン――ベーコンや玉ねぎなどと一緒に
スパゲティをトマトケチャップで炒めたのとは似て非なるものだ。
つまり純然たる『洋食』、日本人が自らの味覚に
合うものとしてアレンジした西洋料理の一つである。

「でも、香さんがそこまでいうなら
メニューにあった方がいいわよねぇ」

まだ開店したばかりというだけあって
品揃えもまだ素っ気ないものだ。
特に軽食は、もう少しボリュームがあるものも
あってもいいくらいだ。すると香は
待ってましたとばかりに、

「これでもあたし、作り方を教わったことがあるんだから」

と腕まくりしながら立ち上がった。

「お店でプロに?」
「そっ。土曜日は学校が半日だったから
高校生の頃は帰りにいっつも近くの喫茶店に寄ってて
だからほぼ毎週お昼はナポリタンだったんだよね」

でも、本当は学校にバレちゃいけないんだけど、と
その辺の日本の喫茶店事情までは美樹も知る由は無い。

「それで、なんとかその味を再現しようと
頑張ってみたんだけど、自分じゃうまくいかなくて
結局、お店のマスターに頭下げて教えてもらっちゃった」

そう言いながら、さも自然にカウンターの内側に回り込んだ。
美樹もあいつにエプロンを手渡す。店のロゴ入りのそれの
肩紐を頭に通すと、後ろを蝶々にしばりながら
中の棚をあれこれと目で物色する。

「あ、ピーマンとマッシュルーム」
「ええ、ピザトースト用の具に切っておいてるの」
「ならそれ流用しちゃえば下拵えも楽よね。
ピザ用のトマトソースは?」
「ああ、そっちよ。あ、待ってて
今、家のキッチンからスパゲティ取ってくるから」

そうして、見る見る間にお馴染みの材料が揃っていく。

「じゃあ、今日は麺を茹でるところから始めるけど
お店じゃ茹でおきしておいて
サラダ油に和えて取っておくんだって」

へぇ。だからか、外で食べるアレがいつも
アルデンテとは程遠い柔らかさだったのは。

「そういえば出入りの業者さんのカタログに
お湯にさっとくぐらすだけの冷凍麺もあったけど
それなら茹で具合もちょうどいいんじゃない?」
「そうねぇ、でもナポリタンは多少
くたくたな方がいいって人もいるからなぁ」

まぁ、あたしはあんまりぶよぶよなのも
好きじゃないけどね、と香は言う。
麺の茹で時間の残りを見計らいながら
すでに切りおきしてあった具材を炒め始めた。

「そろそろいいんじゃないかしら」

と美樹が告げた時間は、注意書きの茹で時間の少し前
その後、フライパンで炒め合わせるのを考えれば
このくらいで丁度よくあるべきだ、本来は。

「そうね」

じゃあ、と水気を切られたスパゲティが
フライパンに投入される。そして、

「ここからがマスター直伝なんだけど――
あ、美樹さん、クッキングワインって置いてある?」
「家の方のキッチンになら……料理用のじゃないけど」
「じゃあ、もったいないけど……」
「いいのよ、口が空いてる飲み残しだし」

と再び美樹が住居部分に駆け込む。そして
ボトルを手にして戻ってくると、それを受け取った香は
分量をはかるでもなく、いつものように
瓶の口を親指で押さえながら一気に回し掛けた。

「マスター曰く、これが隠し味なんだって」

もちろん強火でアルコール分を飛ばすのを忘れない。
そこにトマトソースとケチャップ、塩胡椒で味を調える。

「はい、お待たせ!」

といかにも店主面で3皿のナポリタンが差し出された。

「ん〜♪ 美味しいっていうのもあるけれど
なんか懐かしい味よねぇ」
「もしかしたら美樹さん、小さい頃
お母さんに作ってもらってたんじゃない?」
「ああ、そうかもしれないわね。
冴羽さんはどう?」

3つの中でひと際うず高く盛られたそれに
フォークを突っ込み、口へと運ぶ。
アルデンテ、というわけではなく
完全に芯が無くなって、なおかつ茹り過ぎない柔らかさ。
日本人好みのしっかり目の味の背後に隠れているのは
さっきこっそり入れていたウスターソースか。
うん、俺好みでもあるが――

「これ、いつものやつじゃねぇか」

ときどき我が家の昼飯に出てくるのそのものだ。

「当たり前じゃない、家でも
その作り方でやってるんだから」

なんだよ、あんまり自信満々に腕を振るうもんだから
どんな「とっておき」をひけらかすかと思えば――
いや、香はそういうやつだ。何にしても
「出し惜しみ」をすることをしない。
常に全力、ベストを尽くす
「手抜き」の3文字などあいつの辞書には無いかのように。

――そのおかげか、今ではこのド定番のナポリタンは
美樹ちゃんお手製のバジルペーストを使った
バジリコと並んで、Cat's Eyeランチタイムの人気メニューとなったが
俺はあまり頼むということがない。
だって、家でもこれとほぼ同じ味を食わせられるんだから
しかもタダで。