KING and pawn

「すいませーん、ちょっといいですか?」

と通りでこの俺に声をかけるとは、いい度胸だ。
歌舞伎町の客引きならともかく
街頭インタビューやキャッチセールスも、俺と目が合うと
次の瞬間、まずいのを見つけてしまったとばかりに
視線を逸らし、次の獲物を探そうとするのだから。
明らかに堅気ではないと雰囲気で判るのか
それとも単純にこのガタイに一歩退いてしまうのか。

とりあえず振り向いたら、また驚いた。

「お時間は取らせませんので」

相手は制服警官の2人組だった。若そうなのと、もう少し年上と。
聞こえなかったふりをして通り過ぎなくてよかったと思った
もしそうしたら余計に厄介なことになる。
こういう商売をしているが、職務質問されたことはほとんど無い。
相手もプロのはずだから、俺がどういう素性の人間か
見抜いているに違いない。それでも街を自由に歩けるというのは
おそらくは警察のホワイトリスト――こいつ“だけ”は
声をかけてはいけないというのに名前が載っているのだろうか。
まぁ、さんざん連中の下請け仕事もやってきたので
それくらいの役得はあってしかるべきだろう。

だが――時期が悪かった、んだろうな。
サミットは目の前、会場は遠く離れた伊勢志摩だが
テロリストにはそんなことはお構いなしだそうで
この東京も狙われる可能性があるという。
実際、イギリスの他の所でやったときもロンドンがやられたし
最近のパリのやつのように、人の集まる『ソフトターゲット』を
狙った方が効果は絶大だと奴らも判っている。
といっても、この極東の島国のどこが狙うべきソフトターゲットだか
判ってるのかねぇ。まぁ、最近は外国人観光客も多いが。
そんなわけで、ここ数日は警備の警察官の数も
文字どおり目に見えて増えているようだ。
ここに立っているのだって当然、地元の所轄というわけでもあるまい
だとしたら新宿の不文律を知らなくても当然だろう。

と、肩のエンブレムを覗きこんだら、燦然と輝く「警視庁」の文字。
だが、見た感じではこうして一般の外勤の制服よりは
ジュラルミンの盾と警棒を持って構えている方が
お似合いという感じだ、二人とも。あ、でも最近は
ジュラルミンじゃなくて強化プラスティックの透明のか。

善良な一般市民にとっては安心安全かもしれないが
俺たちにとっては不愉快極まりないこの状況ではあるものの
それに対して何も手を打っていないというわけではない。
大統領閣下がお帰りあそばすまでは、伝言板にXYZがあっても
依頼は受けない、少なくとも実行に移さないと“あの”香が言っているし
俺はというとそれまで、たとえ夜でも外出するなと
禁足令が発せられている。じゃあなんで今こうして
職質にはまっているかというと――

「どちらに?」
「煙草買いに。切らしちゃってんだよ、ラキスト」
「平日の昼間に。仕事は?」
「ん、アパートの管理人」

若い方が、いかにもマニュアルどおりといった感じで
次々と質問をぶつけてくるから、こっちも素直に返答する。
ただ、リスペクトの欠片も無いタメ口が気に障るが
そんなことにいちいち腹を立てるわけにいかない。
態度こそデカそうにしているが、それでも一般成人男性も
見上げるしかない体格に腰が引け気味なのはバレバレだ。
それにこういうのは大人しくしていれば、案外さっさと
嵐は過ぎ去ってくれるものなのだから。

名前も住所も洗いざらい答えた。
生年月日だって「ハタチ」とふざけずに
真面目にあいつが決めてくれた日付で。
免許証の提示を求められたので、素直に偽造のを見せる
これで引っかかったことは一度も無い代物だ。
もう一人の方が無線で、おそらく犯歴の照会をしているのだろうが
それだって真っ白だと思うがね。

「じゃあ、もういい? ニコチン切れなんで」
「あともう一つ、所持品見せてもらえればおしまいなんで」
「所持品ったって、見てのとおりなんだけど」

つまりは手ぶら。持ち物といえばポケットの中だが
そこに警官の手が伸びる、「ちょっといいですか」の事後承諾付きで。
「いやん【ハート】」なんてジョークでその場を和ませても
そろそろいい頃合かもしれないが――ジャケット、そしてジーンズと
探っていく後輩をじっと見る、もう一人の警官の視線が
それを許さなかった。

全く感情というものを見てとれないのだ。
まるで機械のような――そういう眼は俺だって
嫌というほど見てきた。戦場で、あるいは
それに準ずる都会の修羅場で。
ただただ課せられた任務を遂行するだけの冷徹なマシーン
その眼には俺も、街往く人々も同じ人間と映っていないのだろう
黙って庇護という名の支配を受け入れる「善良な市民」か
その権威に歯向かう「犯罪者及びその予備軍」か。

「はい、結構です。お時間を取らせまして」

――普段はこういうときもジーンズに差し込んであるパイソンも
サミット期間中は極力アパートで留守番だ。香のローマンも。
質問の答えも所持品検査の結果も、得られた手掛かりは
総てシロを示すものばかりだったはずだ
たとえ警察官の勘がクロだと騒いでも。
となると俺を引き止める理由はもう無い、無罪放免。
ようやく解放されたものの、コンビニへと向かう道すがら
心はさっきよりも重く沈んでいた。

俺の知っている警察官は、あんな眼をしちゃいない。
槇村だってあいつがまだただのデカだった頃からの付き合いだが
その当時だってあんな居丈高な態度は取らなかった
権威を振りかざし、それに敬意を示さない者は
いくらでも足蹴にしていいと云わんばかりのような。
むしろ、いつも自分の無力感を痛感していた
それは冴子も同じこと。だからこそ俺のような奴が要る
飛び切り強力で、しかし飛び切り無力な。
そうやって俺たちは、今まで“仲良く”やってきたのだ。

「ありがとうございましたー]

コンビニのレジ横、夕刊の見出しにふと目が行く
取り調べの可視化とか、司法取引とかいろいろ変わるらしい。
これでますます連中の好き勝手にできるようになるのだろうか
桜の代紋の下では、何をやっても許されるかのような。
そうなれば俺のような奴はもう必要なくなる
怪しいと思えば、証拠が無くても踏み込めるようになるなら。
そしたら香は、案外喜ぶかもしれないな
「あんただっていい齢なんだから
これから少しは楽した方がいいんじゃない」って。
いや、でもいい齢して未だに丸くならない正義感の塊だから
ますます引退なんてしちゃ(させちゃ)らんないと憤るだろうか。

まぁいいさ、それより心配しなきゃならないのは
あの二人の行く末の方だろうな。
職質の成果をいちいち詳しく上にあげるのかどうかは知らないが
だとしたら上の上の上あたりから大目玉を食らうのは間違いない。
おそらくは、少なくとも次の異動は希望が通るかどうか。

ようやく心の中でタイに持ち込んだ結果に溜飲を下げると
店を一歩出たところで、1パック封を切って
1本咥えると、ライターで先端に火を点けた。
あ、ここ路上喫煙禁止だったっけか。ま、いいか。

声優・神谷明「足早に歩いた」ことで職務質問される - 芸能 : 日刊スポーツ