Atomic Babies

「どうじゃったかの、広島は」

土産物のメイプルリーフ形の和菓子をつまみつつ
グリーンティーを喫しながら、正面の老人は問うてきた。

「やはり‘Seeing is believing(百聞は一見に如かず)'ですね
行ってよかったと思います、これからこの国で
生きていくという点においても」
「そうじゃろうそうじゃろう」

と今回の道行きを勧めた張本人は満足そうに頷いていた。

「こういう仕事をしておれば、いずれ取材で行く機会もあろう。
じゃが、仕事で見るのとプライヴェートで足を運ぶのとでは
やはり心構えも違ってくるじゃろ」
「そうかもしれませんね。カズエも驚いてましたよ
まさかオレが自分から行こうって言い出すなんてと。
いずれ連れて行きたいとは思っていたみたいですが」
「ほぉ。でも遠慮もあったじゃろうな
お前さんにとっては居心地の良くない場所でもあるからの」
「でも、カオリにCat'sでヒロシマに行くって言ったら……」

そのときのカノジョの表情を思い出すと
申し訳ない気分になりながらもつい笑みがこぼれてしまう。

「本気で心配してくれたんですよ、無理して行くことないって。
修学旅行で行ったら、しばらくうなされたそうですから」
「それも無理もあるまい。あの子は幽霊とか
ホラーの類はからきしダメじゃと撩も言っておったわ」
「だから行こうと思ったんです。怖いもの見たさじゃないですけど
それだけ生々しいものを実際に目の当たりにできるというなら」
「それでも、お前さんの考えは変わらんかの。ミック」

嘆息のように吐き出した言葉が、この小柄な老科学者を
より小さく見せていた。普段の彼はその小ささを
忘れさせるほどだというのに。

「こればっかりは理屈じゃありませんからね」

だからこちらとしても苦笑いにならざるを得ない。
――原爆投下によって、本土決戦で犠牲になったであろう
米兵の、そして日本人の生命は結果として救われた。
学校で習ったという記憶もそれほどはっきり残っているわけではない
だとしたらそれは学習以前のアメリカ人の共通認識なのかもしれない。

「オレの父親だってあの戦争に従軍していました
ヨーロッパだったか太平洋地域だったか
詳しいことは一度も聞いたことはありませんでしたが。
もし原爆が落ちていなかったら、オレはこうして
ここであなたと喋っていることも無かったかもしれません」
「ふむ。つまりはお前さんもアトミックベイビーというわけか。
とはいっても、あの当時の日本に生きておった者としては
仮に原爆が落ちなかったとしても、この国にもはや
戦争を続けるだけの余力があったとは思えんがな」

普段は感じることのない“nationality(国籍)”というものを
こういうときばかりは嫌というほど突きつけられてしまう
自分はどうやっても『アメリカ人』としてしか考えられないことを。

「そもそも、歴史に“if”は禁物じゃ。あの夏
広島、長崎に原爆が落ち、併せて20万人が犠牲となり
それ以上の数十万もの人々が今も苦しみ続けておる」
「20万、ですか……」

Peace Museumでの展示品の数々が、脳裏に生々しく蘇る
――臆病なカオリが眠れなくなったのも当然だろう。
そして胸元に苦しさを覚えたのは、もみじ饅頭を
一気に頬張り過ぎたからではなさそうだ。

「確かにその20万がそれ以上の数の生命を救ったのかもしれない。
でもそれは『200,000』という顔の見えないただの数字ではなく
その一人ひとりが無限に等しい生命を持っていたということを
今回、あらためて実感してきました。
そこに一人ひとりの生活があり、夢があり
そして傷ましい死があった――」

そのとき、

‘Kill one, save thousands(1を殺し、1000を生かす)’

その言葉が頭をよぎった。もしかしたらそれをそのまま
呟いてしまったかもしれない。教授の顔が怪訝そうに曇る。

「昔は『カネのためなら親さえ殺す』だなんて
ずいぶんな悪評も立ちましたけど、これでも
自分の仕事にはそれなりの矜持ってものは持ってたつもりです。
でも、だからといってその『1』を蔑ろにしていいわけじゃない
そこにも無限大の重さはある。その重みに向き合うのが
オレたちの仕事の一番辛いことかもしれません。
ただ、その重みを感じられなくなったら
殺し屋として――いや、人間としてもうお終いでしょうね」

それゆえ、心を病まない殺し屋はいないといっても過言ではない。
もちろんその「病み方」も、酒飲んで一晩寝れば治るという
鼻風邪程度のものから、再起不能に陥るまで人それぞれだ
――いや、病まなくなったときこそすでに
病は膏肓に入ってしまったといえるだろう。

「その『20万人分の無限大』なんてのは
背負いきれる重さなんでしょうか?」

無限大はいくら足しても掛けても「無限大」だと
理系のMy sweetheartは咎めるだろうか
それとも、その重さを知る一人として
この非科学的なレトリックに目をつぶってくれるだろうか。

「――ミック、それはお前さんの背負う重みじゃありゃせんよ」

その言葉に、背筋が少しだけぴんと伸びた
――いつの間にかその重みの何万分の一かを
自分の肩に背負い込んでしまっていたようだ。
爆撃機のクルーたちも、その後に「原爆の恩恵を受けて」
生まれてきたアメリカ人たちも誰も負おうとはしなかった
だからせめて、同胞として代わりに――と
一人で抱え込んでしまっていたのかもしれない
資料館を出た瞬間から。

「お前さんのような若いアメリカ人が
ヒロシマのことを知ってくれた、それだけで充分じゃよ
年寄りの日本人としては。それでもお前さんが
どうしても背負い込みたいというんじゃったら
みんなで背負うんじゃな、お前さん一人じゃなく」
「みんなで――」
「それができるのこそ、ミック、お前しかおらんじゃろ」

そうだ、今のオレは殺し屋じゃない
駆け出しとはいえ、一人のジャーナリストだ。
戦争を終わらせるための「やむを得ない犠牲」だったとはいえ
その犠牲の仔羊が如何にして屠られたかを知る者は
アメリカにいったいどれだけいるのだろうか。
ただの20万人という数だけではなく、核兵器という
さらに筆舌に尽くし難い、非人道的な『凶器』による惨状を。

「それに、しばらくもみじ饅頭も
食っとらんかったからの。これで立派な
冥途の土産ができたわい」

との言葉と裏腹に、齢を感じさせぬ健啖ぶりで
狙っていた最後の一個をほいと口に放り込んだ。

「また買ってきますよ、もみじ饅頭」
「ほぉ、そうか。じゃあ今度はクリーム入りも
買ってきてくれんかの」

これでまた行かなければならなくなった、広島へ
でも、それもまたオレ自身のミッションであるのだから
この国に生きる、アメリカ人ジャーナリストとしての。

米大統領が広島訪問で献花、原爆の記憶は「風化させてはならない」と所感 - WSJ