1992.6/Romantic Grey

あれから随分経った。
ユニオン・テオーペの残党の中で最大勢力を誇った
シンセミーリャを壊滅に追い込み、記憶を失い
ユニオンを経てそこの幹部に納まっていた
フェルナンド・ミナミこと槇村も記憶を取り戻し
冴子と7年越しの縒りを戻したのだが
世の中そう簡単に「めでたしめでたし」とは
なってくれなかった。

記憶を奪われ、偽のアイデンティティを植え付けられていた間
その違和感を封じるために槇村は、向精神薬漬けに
されていたといっても過言ではなかった。
その手の薬には、麻薬ほどではないが依存性があり
そう簡単にすっぱりと止めることはできない。
それゆえ今、ヤツは教授のもとで
減薬・断薬のための入院生活を送っていた。
それももう半月以上が過ぎようという頃。

「よぉ」
「撩、か。元気そうだな」
「そりゃこっちの台詞だよ」

香から前よりは元気になったと聞いたので
久々に顔を見に来たら、あいつは
庭先に広げられたピクニックシートの上、椅子に腰かけ
まるで等身大の照る照る坊主のようになっていた。

「にしても、こりゃまぁ……」
「やっぱり、そう思うよねぇ」

髪切りばさみを持って兄の後ろに立つ香が
苦笑いを浮かべていた。
普段、俺の髪もやっている腕を活かして
梅雨の晴れ間を見計らって、ヤツの頭も
さっぱりさせようという算段のようだが、

「あたしは毎日顔を見てるから
そこまではっきり違いに気づかないけど……」

親友に逢うのは2週間ぶりくらいになるだろうか。
香は何くれと世話を焼きに毎日通っているが
その間、当の槇村はというと、入院したての頃は
離脱症状でほぼ寝たきりの状態だったと聞く。
逢ったところで話ができる気力は無かっただろうし
あいつだって、そんなみっともない姿は
いくら友達でも見られたくはなかっただろう。
一見薄情そうかもしれないが、ベタベタとつるまないのが
男の友情というやつなのだ。

で、その2週間で何がヤツを変えてしまったかというと
まぁ、マリー・アントワネットも斯くやというか……

「そんなに大変、リハビリ?」

と香が顔を覗き込む。

「いや、昨日今日ってわけじゃないさ
前は染めてたからな」

確かに、俺たちの前に現れたフェルナンド・ミナミは
槇村秀幸そのままだった。嵩高い黒々とした髪も含めて。
それが今、目の前の槇村はというと結構な白髪交じりだった。
いや、「交じり」という語感以上かもしれない
比率としては30%くらいだろうが、それだって充分な存在感だ
30代半ばの男の頭に載っているものとしては。

「その頃は、自分のことを本気で
日系コロンビア人だと思っていたから
意識の上では苦痛は感じていなかったはずだが
その分、余計に髪に出たのかもしれないな」

そう言って、入院生活の間に伸びた髪を指で弄ぶ。
いわゆる「カラダは正直」ってやつだ【苦笑】
心の奥底に封じ込められ、決して表に出ることを許されなかった
『槇村秀幸』の悲痛な叫び、せめてもの抵抗がその白髪だったのだ。

「どうする? やっぱり染める?
だったら切ってからの方がいいと思うけど」

と、締まり屋のあいつらしい提案を持ちかけるが

「いや、切るだけでいいよ」

そう槇村は言い切った。

でも……と言い噤んだ香の気持ちも判る。
まだ退院後の身の振り方は決まってはいないが
ゆくゆくは社会復帰しなければならない
「表」の社会か、裏かはともかくとして。
だが、いずれにしろ今のヤツの容貌は
どこか異様さを帯びたものだった――いや
『異形』と言い切っても過言ではないかもしれない。
もともと老け顔ではあったが、30代半ばにもなれば
逆に年相応の顔つきといってもいいだろう。
けれども、その半白の髪はあまりにも不相応に映った
何かあったのかと咎めずにはいられないほど。

「やっと元の自分に戻れたんだ
だからそれをもう偽ったり飾ったりする気になれなくてね」

つまりはその『異形』である自分を受け入れようというのだ
自分をそう為らしめた、掻き消してしまいたい過去も含めて。
どうせもはや、あいつも「常人」ではない
ユニオンの元幹部にして、亡き海原の側近だった男
それを全部無かったふりをして、真っ黒い髪で
世間一般に紛れて生きていくことを、槇村は拒んだ。
決して過去を声高に叫ぶことはなくとも
その髪に、尋常ならざる過去をほのめかさせて
俺の身体中に刻まれた傷跡と同じように。

「でも冴子が嫌がるんじゃないか?
一緒に並んで歩きたくないって」
「いや、もう言ったさ」
「で、なんて?」
「ロマンスグレーも悪くないって」

何だ、結局は惚気かよ
まぁあの女狐らしいといえばそうかもしれないが。

「じゃあ、いくよー
切ったら余計に白髪が目立つかもしれないけど」
「ああ、いいよ」

束の間の初夏の日差しが降り注ぐ
都心とは思えない庭園に、
シャキンと軽快な音が鳴り響いた。